第九話 置き去りの時間
パパとママがせっかく用意してくた料理も、結局あまり多くは食べられなかった。
転生した後の私の精神は、想像以上に疲弊しきっていたようだ。
私の疲弊を見てとったのだろう。また私が目覚めなくなるのではと不安そうにしながらも、パパたちは私のために、部屋を出て行った。
やっと一人になれた。
私はほっと息を吐いて、無理やり寝かされたベッドから下りる。
そしてゆっくりと自分の部屋を見回した。
基本的に石造りの王宮とは違い、床や天井、柱は濃い色の木材でできていて、壁は何やら白くて固い泥が塗られているように見える。
もしかすると、これが漆喰というものかもしれない。少なくとも、レベッカの知識にはなくよく分からなかった。
私のものよりも二回りほど小さいベッド。
ベッドの左に入り口があり、ベッド脇に丸い小さな木製のテーブルと椅子が二脚置かれている。
私が先ほど診察を受けた時に座っていた椅子だ。
ベッドの真向いと右手には大きな窓が取り付けられていて、きっとベッドから出られないレベッカがその景色を楽しめるよにという配慮なのだろうと思う。
入り口の横には小ぶりなドレッサー、その横にはワードローブが鎮座している。ワードローブの先にある扉は、バスルームのはずだ。
一通り記憶と部屋の配置を突き合わせると、ドレッサーに座って鏡を覗き込む。
癖のない真っすぐな髪はパパ譲りの赤毛。顔立ちはママ似だろうか。
自分でも気に入っていた大きく丸い瞳のパトリツィアの頃よりも、もっと切長で綺麗な顔立ちだ。
しかし、とにかく痩せている。腕が細いと思ったが、頬も酷くこけていた。長い時を病魔と歩んできた故なのだろう。
パトリツィアとは似ても似つかない顔。唯一、瞳の色は、以前と同じ翡翠色だった。
私はレベッカの記憶を辿りながら、今一度、この身体の主について整理することにした。
この身体の持ち主の名は、レベッカ・ユーバーヴィンデン。
レーベン王国のユーバーヴィンデン男爵家の長女で、私――パトリツィアより二つ年上の十八歳。
そう、最初は平民かと思ったけれど、レベッカはれっきとした貴族だったのだ。
熊のようなパパの名は、ジークムント・ユーバーヴィンデン男爵。
母であるテレーゼが元ユーバーヴィンデン男爵令嬢で、パパは婿養子だ。
パパは元々男爵家で雇っていた護衛で、なんと熱烈な恋の果てに前ユーバーヴィンデン男爵を説き伏せたのだそうだ。
私のお父様とお母様も仲が良かったけれど、当然に政略結婚であったし、ここまで気安い雰囲気ではなかった。まあ、王族であるのだから当然かもしれないけれど。
弟であるウルリヒは現在六歳。姉弟仲はやはり良いようで、病床にありながらも、レベッカはウルリヒによく絵本を読んで聞かせていた。
絵に描いたような仲の良い家族だ。
一体どんな人間に生まれ変わるのかと思ったけれど、この家の娘で心からほっとした。
ここなら、なんとかやっていけそうだ。
ユーバーヴィンデン家は、王国の北方に豊かな自然を有する……要は田舎のフリーデンという名の土地を治めている。
レベッカの身体には王都よりもそちらの方が良いだろうと、家族皆でずっとここフリーデンで暮らしている。
レベッカはずっと病がちで、家から出るどころか、自室から出ることさえほとんどないような生活だった。
だからレベッカは王女の私以上に、狭い世界で生きていたことになる。
よし。だいぶ状況を整理できた。
問題は、今現在国がどうなっているのか。それが全く分からないということだ。
ただでさえレベッカは寝たきりの状態でそんな世情を知る由もなかったし、王家が壊滅したというのに、どういう訳かパパもママも慌てている様子がない。娘が亡くなったことの方が一大事だということだろうか。
それに、フリーデンが国のどの辺りに位置するのかもさっぱり分からない。
私はドレッサーから立ち上がり、ベッドの奥の窓を開けた。
ひんやりとした空気が、私の頬を撫ぜて通り過ぎる。
夏だというのに、随分と風が冷たい。王宮でこれほどの冷たい風は、真冬の朝にしか感じたことがないのに。
窓の外には、屋敷を囲むように広がる草原とさらにそれを囲むように森が広がり、その中に村が見えた。
煙突から煙が上り、夕餉の支度の最中なのだろうことが分かる。森の先には、綺麗な三角形の山がそびえている。
ちょうど、夕日が山の影に隠れようとしている所だ。
森の位置が低いから、どうやらこの家は緩やかな丘の上にあるのだろう。
山も森も見るのは初めてだけれど、レベッカの記憶にあるのはこの景色だけだから、不思議と違和感はない。
ただ、海が見えないのは少し残念だと思った。
(今国がどんな風になっているのか、早く調べなくちゃ。……いきなりパパとママに聞いたら、きっとびっくりするわよね)
レベッカの体と人生を譲り受けたのだ。できる限り、彼女が愛した人たちのことを大切にしたい。傷付けたくない。
だから、私がレベッカではないということは、明かすつもりがなかった。
けれどそうなると、色々制限が出てくる。
私の希望はただ一つ、オスカーへの復讐だ。
果たしてレベッカとレベッカの家族を傷付けずに、それが可能なのだろうか。
(……とにかく、オスカーの所に行かなくちゃ。そうしなきゃ、何も始まらないわ。色々と調べなくちゃいけないけど……)
全身が鉛のように重い。
夕日が山の影に隠れて、薄明の中、ひっそりと部屋全体が夜の気配に包まれていく。
想像以上に、精神が消耗していたようだ。
窓を閉めてぽすりとベッドに横たわると、急激な眠気に襲われて、そのまま夢の中へと落ちていった。
翌朝。
起きた私の体は驚くほどに軽かった。
これは想像だけれど、一晩経って、私の魂がこの体に馴染んだのではないだろうか。それほどまでに、昨日よりも気分が良かった。
ワードローブから適当なドレスを選んで着る。レベッカは久しく夜着以外のものを身につけていなかったから、ドレスを着るのは本当に久しぶりだ。
ライラック色のシュミーズドレスはもう何年も前のもののように思うけれど、すっかり痩せこけてしまった体では、むしろ生地が余っているほどだった。
「お嬢様! お一人でお着替えを⁉︎」
ガチャリと扉を開けて入ってきたベラが驚いて駆け寄ってきた。
昨日は一瞬でわからなかったが、ママやパパよりも年上そうだ。宰相のゲオルグと同じくらいだろうか。
頭の先から爪先まで、観察するように私を眺めたベラが、不思議そうな顔で私の顔を見つめる。
「本当に、お元気になられたのですね……。きっとご主人様や奥様の祈りがアルノー様に通じたのでしょう。ですが、無理はいけませんよ」
そう言ってパタパタとワードローブへと向かうと、オフホワイトのニットのショールを手に取り、私の肩にそっと掛けた。
「ありがとう。ねえ、頭に被るベールはどこ?」
昨日はそれどころではなく気付かなかったが、ママもベレもベールを被っていないのだ。
不思議に思い尋ねると、ベラは「ああ」というように首を縦に振る。
「時流が変わりましたからね、数年前から誰も被らなくなったのですよ」
「あら……そうなの?」
そんな話は聞いたことがないけれど。
あまり納得はできないけれど、被らなくていいと言うなら、その方がありがたい。
何かとあのベールは邪魔であまり好きではなかったのだ。
「お嬢様。朝食、お食べになりますか? もしも可能なら……食堂で」
「……ええ、そうする!」
食堂で食事をするだなんて、もう何年もなかったことだ。
家族で一緒に食事ができるなら、その方がいい。何か情報を得られるかもしれない。
ベラに付いて廊下に出ると、ひんやりとした空気を感じた。私の部屋はよく陽が当たるから、きっと暖かいのだろう。
私の部屋と同じく漆喰でできた廊下を進み、突き当たりの階段を下りると、昨日目が覚めたエントランスホールだ。
ホールの右手のドアを潜り、更に廊下を進むと、突き当たりのドアの奥に食堂があった。
八人ほどが掛けて座れる長テーブルには、まだ誰も居なかった。かなり早く目が覚めたらしい。
レベッカの記憶を頼りに、当主……パパの左隣の席に腰を下ろした。
席に着いて思わず食堂を見回す。漆喰と色の濃い木材でできた壁は私の部屋と同じ作り。
けれどパパの後ろの席にはこのフリーデンの景色だろう風景画が飾られ、私の席の後ろには暖炉があった。
パチパチと火が爆ぜている暖炉を、もの珍しく眺める。
王宮には装飾としてのマントルピースはあったけれど、暖炉はなかった。冬でも暖房が必要なほど寒くはなかったからだ。やはり、王都とはかなり距離が離れているのだろう。
そんな風に部屋を観察していたら、ベラがスープを運んできた。
昨日食べたものは透明なコンソメだったけれど、今朝のものは山羊ミルクのスープだ。
ほかほかと湯気が立って美味しそうだとスプーンで一口啜った所で、食堂に家族が皆やってきた。
「レベッカ! 驚いたぞまさか食堂に来てるなんて!」
「本当に起きて大丈夫なの⁉︎ まだベッドから出るには早いんじゃ……」
「お姉ちゃんとご飯食べたーい‼︎」
心配そうにするパパとママを押し退けて、ウルリヒが私の左隣の席にちょこんと腰を下ろす。
その様が可愛らしくて、思わず笑みがこぼれた。
「パパ、ママ。心配かけてごめんなさい。でも大丈夫よ。お医者様ももうすっかり治ったって言ってたじゃない。たくさん食べて、たくさん動いて、体力を付けなくちゃ」
胸の前で両拳を作り、自分が健康だとアピールしてみせる。
パパとママは顔を見合わせてから、眉尻を下げて笑顔を見せた。二人の顔立ちは全く似ていないはずなのに、その表情がそっくりで驚く。
「そうか。なら一緒に食べよう」
「お願いだから、少しでも疲れたり体調が悪くなったら言ってちょうだいね」
心底嬉しそうな声で二人は言って、席に着く。私の正面に座ったママだけではなく、両隣からも視線を感じた。
パパとウルリヒだ。
「もう! 本当に大丈夫よ!」
私は注目されいる状況が何だか恥ずかしくて、照れながら笑い飛ばす。
そしてみんなを安心させるように、スープをもう一口掬って口に運んだ。
「美味しい! とっても美味しいわ」
「そう……そうなのね。良かった……」
「もっと食べるといい! 私の分まで食べるか⁉︎」
「お姉ちゃんお姉ちゃん! 僕ねこの卵が好きなんだよ! 食べる⁉︎」
私が食事をするだけでここまで大騒ぎになるのだ。
嬉しくて、何だか心がほかほかする。
けれど、ここでみんなが集まったのなら、言うべきことがある。
「ねえパパ。私これまで、ずっと病気で臥せってばかりで、何もできなかったでしょう? だから、色々なことが知りたいし、色々なことがしたいの。だから……もっと体力が付いて元気になったら、私にもウルリヒみたいに家庭教師の先生を付けてくれないかしら」
これは一つの賭けだった。
女である私に家庭教師をつけてくれと言っても、普通なら反対されるに決まっているからだ。しかし病み上がりで、これまで何も出来なかった反動で多くのことをやりたいと言えば、もしかすると許してもらえるのではないかと思ったのだ。
家を見る限り、そこまで裕福な貴族というようにも見えないし、これまでレベッカの治療が経済的に家を圧迫していたことは想像に難くない。
ならば、健康になり活動的に動けるようになったら、私が働きに出ることを視野に入れてもおかしくないのではないだろうか。
その為には、色々なことを学ぶ必要がある。そう思ってくれればいいが……。
案の定、パパとママは驚きに目を見開いて固まっていた。
「そんな、いきなり家庭教師だなんて……」
「そもそもお前は女の子じゃないか。そんなことをする必要はないんだぞ」
予想通りの反応に、私は思わず肩を落とした。
そう言われるのも当然だ。けれど、そう簡単に諦める訳にはいかない。
どう返そうかと一瞬悩んでいると、隣からガタッと音がして、見ればウルリヒが立ち上がって身を乗り出していた。
「僕お姉ちゃんと一緒に勉強したい! それにラルフのとこの妹だって最近家庭教師が付いたって言ってたよ! パパ、もう古いんじゃない?」
ウルリヒが随分と挑発的にパパのことを斜に構えて視線を送る。
それに対してパパは怯んだように身を引くと、背中を丸めてぽりぽりと頭を掻いてみせた。
「そうだよなあ。もう時代が変わったからなあ。国名が変わってから、女性の勉学も奨励されているし」
「えっ? 国名が変わった……?」
「ああ、そうだよ。一年半前、この国はレーベン王国からシュトルツェリア王国と名前が変わったんだ。現陛下がクーデターを起こしてね。おや、知らなかったかい?」
「あなた、レベッカは昨年からずっと体調が悪かったり回復したりを頻繁に繰り返したんだもの。知らなくても無理はないわ。私たちもきちんと話さなかったし。レベッカ、安心してね。確かに国では大変なことがあったけれど、私たちの暮らしに大きな影響はないのよ。元々うちは中立だし……陛下に反抗する姿勢さえ見せなければ、こんな辺境の貴族にまで影響は及ばないわ」
パパの言葉と、ママの言葉が頭の中を上滑りしていく。
一年半前? アルノー様から転生させてもらったのはつい昨日のことなのに、どういうこと?
そして何より、シュトルツェリア王国って……。
――もしかして。
「ねえ、今の国王の名前はなんていうの」
「オスカー陛下だよ。オスカー・トート・シュトルツェリア陛下」
パパの口から飛び出した名前に、私は呆然と固まった。




