プロローグ
穏やかな水面をかき分けて、一艘の小舟が進んでいく。
あまりに素朴な造りではあるが、傷んだところなど一つもない、美しい小舟だ。
ここが海であることなど忘れさせるほど、恐ろしく凪いだ水面を、まるでナイフで切り裂いていくかのように小舟は進んでいく。
降り注ぐ穏やかな陽の光は、先端に立つ彼女の白いローブを神々しく輝かせている。
フードから覗く金髪はいっそ発光しているかの如く、胸の前で握りしめられた華奢な手は白魚のようだ。
彼女の足元には、目の粗い漆黒のローブを纏った人影があった。
人影は俯きながらオールを握り、ただひたすら腕だけを動かして、まるで自身も小舟の一部であるかのように沈黙を保っている。
オールが水面をかき分ける音だけが、彼女の鼓膜を震わせていた。
彼女は、まっすぐに島を見つめていた。
これをただ島と形容すべきか分からない。
切り立った岩に周囲を守られるようにして、黒々とした糸杉が群生している。そんな場所だ。
正面には、石垣が設えられている。
石垣の中央にちょうど人一人が通れるほどの切れ目があり、その奥に、糸杉に向かって数段の昇り階段があるようだった。
門柱に両脇を守られるようにして鎮座するその階段は、まさしくこの神秘的な島の入り口であることを物語っていた。
かこん。
やがて小舟はその階段に着けられた。
白いローブの彼女は黙したまま、そっと階段の始まりに足を下ろす。
彼女が下りるや否や、漕ぎ手は何の言葉もかけることなく、またオールをこいで島から遠ざかっていった。
島にはただ一人、彼女だけが取り残された。
彼女――パトリツィアは、沖に浮かぶ帆船に目をやる。
もうすぐ小舟は、あの帆船に帰るだろう。
ここまで来るのには、想像を絶するような覚悟が必要だった。
それでも、それでも彼女をこの島に向かわせたのは、間違いなく、家族への愛ゆえだ。
「お父様。お母様。お兄様たち。私、立派に生贄になってみせます」
パトリツィアは小さくそう呟くと、帆船から目を背け、糸杉を見上げる。
そしてゆっくりと、階段を登っていったのだった。
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