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腑に落ちない日々①

 腑に落ちない日々(1)


 「やっべ、どこにやったかな」

 礼柩舎(れいきゅうしゃ)章一郎は荷物が山と積み重なっているデスクを前に慌てていた。取材テープ起こしをしようとしたら当のACレコーダーが見当たらないのだ。

 「絶対ここに入れたはずだったんだけどなぁ」

 ぶつぶつと独り言をしながら引出しを雑にまさぐっていると、向かいのデスクにいた同期の高橋和輝が章一郎に聞こえるようにわざと大きなため息をついた。

 「おまえねぇ。いくら最近の機器が小型化してるからって机の引き出しから見つけられない程は小さくないぞ」

 章一郎の机の上の荷が高すぎて顔半分も見えていないが、その眼は呆れていますと語っていた。

 「だいたいその机。そもそも机かどうかも荷物積まれすぎて原型分かんないし。だから無くすんだよ。これを機にいっそ全部捨ててしまえ!」

 和輝の言う章一郎の机は、床にも紙袋やら資料が積まれていて確かに本体が隠れてしまっていた。

 「ちょ、そんなこと言わずに一緒に探してよ」

 「ふっざけんな、俺だって忙しいんだよ。もとい、俺の方が忙しい!」

 そう言って和輝は再びパソコンに向かい鬼の形相で文字打ちを始めた。和輝はこの情報誌『ライフダイブ』編集部の中では珍しく几帳面かつ潔癖な人間で、机の上は常に必要最低限の物しか置かれていない。ほとんどの人間が章一郎のように机上は乱雑な為、むしろ和輝の机の方が浮いている。

 章一郎はというと、編集部内では救いようのないダメ社員として認知されていて他の社員達は相手にすらしていない。「なぜ礼柩舎は入社できたのか」が社内の七不思議のうちの一つにされていたりもする。きっと強力なコネでもあるのだろうとの勝手な見解が、それはそれで敵意を増幅させてしまっている。章一郎の周囲の空気は実に殺伐としていた。見つからないACレコーダーの事はすっかり忘れて腕をさすりながらどうも冷房がききすぎだなぁ、などと呑気な気構えで突っ立っていると

 「おい、礼柩舎。ちょっとこっちいいか」

 いつの間にか背後に来ていた編集長に声をかけられた。

 「あ、はい」

 編集長の後について誰もいない小会議室へ入る。窓から西日が差し込み部屋を鮮やかな橙色に染めていた。眩しいのが苦手な章一郎はブラインドを閉じ、今度は一体何を注意されるのかと憂鬱な気分で椅子を引いて座った。せっかちな編集長は座るや否や要件をぶつけてきた。

 「礼柩舎、急遽だが明日から『白夜』へ異動してもらう。」

 「は、はぁ……。んあ?」

 編集長から出た予想外の言葉に、思わず気の抜けた声が出てしまった。

月刊白夜は文芸誌である。この不況にあえぐ出版業界で文芸誌として異例の売り上げをみせる、名だたるベストセラー作家を抱えた所だ。脳無しの自分がそんなところに?全くやっていける気がしない。章一郎は髪をぐちゃぐちゃとかき混ぜた。

 「正式な辞令は後日になるが、すぐにでも先に向こうに移動して来てくれとのことなんでな。明日から行ってくれ。今日のうちに荷物まとめとけよ。」

 「あ、はぁ。なんでまたオレなんですか?」

 「ま、あっちでも頑張ってくれ。交代であちらからは和田君が来るようになっている。」

 自分の交代人員にはあまり興味無かったが、編集長が質問に答えなかったのが気になった。このタヌキ編集長はどうもまだ伝えるべき事があるのを隠しているような気がする。編集長は用件だけ伝えると退室し、後に残った章一郎は「ホンマになんでやねん」と使い慣れない関西弁で独り言をいった。


 席に戻ってから混乱した頭のまま、机の荷物を要るもの・要らないものに選別していく。結局、必要なものは紙袋一つで収まってしまった。借りっぱなしの資料などをあるべきところに返したり不要物を全部処分したらウソみたいに殺風景になり、図らずも先程和輝が言ったとおりになってしまった。その机でやりかけの仕事を片付ける事にする。

 情報誌「ライフダイブ」は首都圏のちょっとマニアックな情報を隔週でお届けする雑誌だ。ターゲットは二十代から三十代。グルメ記事三割、マニア向けショップ情報三割、街の噂検証が二割、街の写真コーナー一割、その他一割、で構成される。礼柩舎章一郎はそのグルメ班(リサーチ担当)にいて、高橋和輝は街の噂検証(通称ウワケン)班だった。

 無くしたレコーダーにはラーメン通の有名一般人によるコメントなどが入っていた。一般人といっても食べ歩き担当の章一郎とは各所で顔を合わせるので、プライベートで会ってはイチオシ店の情報を交換し合ったりしている仲だったりする。すぐさま携帯に「飲み」の誘いを装って電話をした。今日は自分の奢りだと告げてから事情を説明すると相手は「無くしちゃったのー?あははは」と呑気に笑った。人は仕事が絡まなければこんなにも寛容なのか、とぼんやり思う。

 夜中近くにラーメン通の友人と別れてから再び編集室に戻ってくると、静けさに満ちた社内でまだ和樹が仕事をしていた。章一郎ははたと昼間編集長に告げられた事をまだ和樹に言ってないことを思い出した。

 「和輝、悪い。オレ明日から『白夜』に異動になったよ」

 「なにが悪い、だ。まるで俺が困るみたいな言い回しヤメロよ」

 ヤメロよ、でパソコンから顔を上げた和輝の眼鏡が光る。

 「ん、白夜?」

 正面の章一郎を見たところでその妙な人事異動に疑問符が付いた。

 「向いてないよなぁ、オレ。」

 明後日の方向を見てしみじみと言う章一郎に、和輝は珍しく落ち込んでいるのかと思う。

 「いやぁ正直、おまえはこの仕事自体向いてないと思うけど?」

追い打ちをかけるような事を言うのは気心の知れた仲の裏返しでもある。二人は入社以来同じ編集部で揉まれてきた。有能で優等生肌の和輝とダメ人間章一郎では周りからの扱にだいぶ差はあったが。それでもなにかと手を差し伸べてくれた和輝だ。

 「たかが同じビル内での異動だろ。大丈夫、大丈夫。お前のその三日社内で徹夜して仮眠もとらず風呂も入らずで小汚いナリのまま合コンへ繰り出す元気と無神経さがあればどこでだって生きていけるって。」

 ヒドい言葉だが、彼にとっての励ましであることが章一郎には感じられた。

 「うん、ありがと。オレがいなくなって寂しいだろうけど和輝も頑張れよ。」

 負けずに小憎たらしく返すと、蛍光ペンが飛んできて額に当たった。


 大田区蒲田。章一郎の住むアパートがあるのは古い和菓子屋の隣りである。駅からは少し歩く。この街に住んだのは同棲していた彼女の希望だった。彼女の職場への通勤が楽だったからだ。その彼女は先月出て行ったのでもういない。

 仕事を終えてタクシーで帰宅したのは夜中の二時過ぎだった。玄関のドアを開けると真っ暗な空間がぽかんと待ち構えていた。すぐさま照明をつけると足の踏み場のない散らかった部屋がそこにあった。彼女が出て行ってからこの部屋は掃除らしい掃除をされていない。とりあえず一息つくために部屋着に着替えていると、放り投げたかばんの中から携帯が鳴った。


 「あ、もしもし(あに)?今電話へーき?」






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