第8話「血の匂いと、消えた声」
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戦闘は、終わっていた。
斥候部隊は全滅ではなかった。だが、戦果としては“撃退成功”と報告されるだろう。
敵の遺体が、いくつか野に転がっている。
こちらの兵も何人か倒れていた。そのうち二人は顔すら判別できなかった。
戦いの直後の“静寂”は、いつも不気味だった。
焚き火の音すらない。ただ、風の音と、血の匂いだけが辺りに残る。
◆
俺――アシュレイは、立ち尽くしていた。
剣はまだ鞘に納めていない。体が勝手に力んでいる。緊張が抜けない。
だが、それ以上に――
心が、置いていかれていた。
◆
“あの瞬間”の感覚が、まだ体に残っている。
剣の重さ、視界の明晰さ、呼吸のリズム――
まるで、ユリスが一瞬だけ“乗り移った”かのような感覚。
いや、違う。
俺の中に、彼の“何か”が、まだいる。
そして、その声が、ふと耳の奥で囁いた気がした。
> 「……お前なら、やれるって、思ってたよ」
声は、やわらかく、温かかった。
けれど、俺の心を刺した。
◆
そんなはずはない。
ユリスは死んだ。俺の目の前で。
あの声も、あの記憶も、全部――ただの残響だ。
だが、それでも。
心のどこかが、あの声を信じたがっている。
◆
「アシュレイ!」
遠くから、カイルの声が飛んできた。
「おい、何してやがる! お前……血、すげぇぞ!」
見れば、右腕の袖が破れていた。どうやら浅い切り傷が入っていたらしい。気づいていなかった。
痛みもない。熱も感じなかった。
いや、感じるのは別の場所だった。
胸の奥。胃のあたり。
そこがずっと、焼けるように熱かった。
◆
他の兵士たちが、次々と遺体の確認に向かう。
仲間か、敵か、もう区別も曖昧な死体の山。
そして、その中に――ユリスの身体があった。
俺は歩き出す。足が重い。歩幅が定まらない。
彼は仰向けに倒れていた。目はすでに閉じられている。
だれかが布をかけようとした瞬間、俺はそれを止めた。
無言で、彼の胸元から軍章を取り、そっと自分の懐に入れる。
周囲の兵士たちは何も言わなかった。
誰かが死ぬのは当たり前。誰かが何かを拾うのも、当たり前。
だから、誰も干渉しない。
だけど俺は、それが許せなかった。
ユリスの死が、“ただの戦死”で済まされることが。
◆
その夜、兵舎でひとり座っていた。
灯りの消えた空間。寝息、咳、布のこすれる音。
その中で、耳の奥にまた声がした気がした。
> 「……なあ、アシュレイ。次は、お前が誰かを救えよ」
俺は、それが幻聴だと分かっていた。
けれど、涙がこぼれそうになるのを、喉の奥で抑え込んだ。
誰にも見せられない。俺は“生き残った側”なんだ。
死んだ者の分まで、生きて、戦って、何かを残さなければならない。
そうでなければ、ユリスの死が“何も残さなかった”ことになる。
◆
翌朝、俺は軍章を左胸に縫いつけた。
本来は規律違反だ。だが誰も何も言わなかった。
それはもう、ただの死者の証だった。
だけど俺は、それを忘れないために身につけた。
> ユリスの死を、ただの死にしない。
> 想いは、刃にできる。なら俺は、それを背負って歩く。
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