第4話「大戦の足音」
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その日、野営地の空気は少しだけ違っていた。
兵士たちの声が少し低く、歩幅がそろわない。誰もそれを言葉にしないが、空気が揺れているのを、全員が肌で感じていた。
「斥候、また戻ってねえらしいぞ」
「第六陣営の兵、三十人近く減ったって噂だ」
「帝国が動くって、ほんとか……?」
それは、焚き火の周りや兵舎の影で交わされる、**“死の足音”**だった。
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アシュレイは、荷運び任務を終えた帰り道に、兵舎裏の土壁に寄りかかって座っていた。
濡れた靴の中で足がずっと冷たい。もう感覚もない。けれど、今はその不快さの方が落ち着いた。
頭の中がざわついていた。
さっき、物資班の兵が言っていたのを耳にした。
「帝国の先鋒部隊が、国境砦を抜いたらしい」
──それが本当なら、この前線も、すぐに主戦場になる。
そうなれば、アシュレイのような下層兵が最初に送られる。
死体の山を築いて、敵の勢いを削ぎ、それでようやく本隊が動く。
そういう順番だ。
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「やっぱり、来るんだな。戦争ってやつが」
ユリスが、どこからともなく現れた。
いつも通り、果実の皮を剥いている。どこで仕入れてくるのかは聞かない。たぶん、聞いたらまずい。
「アシュレイ、お前さ。こういう時、怖くならねえの?」
「……ならない」
「嘘だな。目が言ってる。ビビってるって」
アシュレイは黙った。たしかに、心は静かに騒いでいた。
心拍がほんの少しだけ早く、体がわずかに硬直している。
「けど、ビビるってのは、死にたくねえってことだろ。いいことだよ。俺なんて、怖くてたまんねえ」
「……」
「だからさ」
ユリスが果実をぽんと投げて、アシュレイの胸に当てた。
「俺が、お前の“死んでほしくない奴”になってやるよ」
アシュレイは、しばらく黙っていたが、やがて果実を拾い上げ、口元にだけ小さく笑みを浮かべた。
「……お前、変わってるな」
「そう言われ慣れてる」
ユリスは、片目だけを細めて笑って見せた。
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その夜、兵舎の端で、伍長たちが密かに会議をしていた。
「本部は、前線を“盾”にする気だな。ここの陣営ごと、捨て駒に」
「だが命令は撤退不可。馬鹿げてる……」
「第七方面隊は“最初に削られる”ってのが、ここだけの噂だぞ」
兵士たちは、その会話を聞かぬふりをして寝たふりをした。
言葉にした瞬間、それは現実になる。だから誰も喋らない。目を閉じ、ただ時間が過ぎるのを待った。
だが、アシュレイだけは、その会話が胸に刺さって抜けなかった。
◆
翌朝。野営地は異様な静けさに包まれていた。
湿った地面。空気に漂う鉄の匂い。
ふと、どこかで鳴った鉄の擦れるの音が、ひときわ大きく聞こえた。
> “何かが起こる”――そう確信できるほど、世界が重たかった。
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