第1話「泥と飯と、名もない兵士」
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雨の匂いが、薬と血の臭いに打ち消されている。
朝の空はどこまでも鈍く、天幕の上で雨粒が冷たく跳ねる音だけが、軍靴の足音に混じっていた。
ぬかるみに沈んだ足を引き上げるたび、ぐちゅっ、と音がする。泥は乾かず、靴の中はもう昨日からずっと湿っていた。
「……また雨か」
俺――アシュレイは、ほつれた軍服の袖口をぎゅっと掴んだ。
前線野営地。リューネ連邦第七方面軍・歩兵混成第三小隊所属。兵舎と呼ぶにはあまりに粗末な掘っ立て小屋で、五人ずつ雑魚寝する場所。それが、俺たち“下等兵”の居場所だ。
階級は一等兵。だが、それはほとんど意味を持たない。命令される側に名前など必要ない。識別番号と肩章がすべてだ。
今日は乾いたパンが支給されなかった。理由は、補給路が一部で途絶したかららしい。代わりに配られたのは、干し肉と、米に似た雑穀を煮込んだ粥。
「食えるだけマシだろ」
隣でしゃがんでいた男――カイルが言った。
無精髭の濃い、痩せた顔。目つきは獣より鈍い。だが、戦場ではよく生き残る。そういう奴だ。
「なあアシュレイ、お前、夢とかあんの?」
「……夢?」
「そう。戦争が終わったら何したいとか」
俺は首を振った。答えはない。
夢を見るほど、長く生きるつもりはなかったし、生きる理由もなかった。
「お前、変わってんな。まあ、別にいいけどよ」
カイルはそれ以上話しかけてこなかった。ぬるい粥をすすり、また兵舎に沈黙が戻る。
そう、ここでは言葉よりも、生きていること自体が十分な意思表示だった。
◆
「アシュレイ、起きてんのか?」
兵舎の端で布を頭にかぶっていた俺に、小声がかかる。
ユリスだった。
十九。俺より二つ年上。だが笑顔は少年みたいに軽い。真っ直ぐな目をしているくせに、冗談ばかり言う。
「お前、またカイルと並んで寝てたのか? 変な噂立つぞ」
「……うるさい」
「ハハッ、冗談、冗談」
ユリスは近くに座り込んで、手に持っていた何かを差し出す。
「これ、貰った干し果実。俺、苦手でさ」
俺はそれを黙って受け取る。ありがたいとも、美味いとも言わなかったが、ユリスは構わず笑っていた。
こういう奴だ。変に人懐こい。
「なあ、俺たちさ」
ユリスが言った。
「今日こそ死ぬかもな」
「……そうだな」
「だったら、かっこつけてこうぜ。どうせ死ぬなら、ちょっとは格好よくさ」
「……俺には、無理だ」
「そっか。でもさ、アシュレイって本当は結構いい奴だよな」
俺は答えなかった。ユリスもそれ以上は言わず、静かに隣で胡坐をかいていた。
◆
その日の朝、巡回の命令が出た。伍長――マルヴェックは、声を荒げることもなく、淡々と人を指名する。
「一等兵アシュレイ。東柵の見回りに行け」
それは、地雷原のそばを通る巡回路。昨日、帝国の斥候が発見されたエリアだった。
俺は「了解」とだけ答えて立ち上がる。
するとマルヴェックが、ぬっと顔を近づけてきた。
「……お前、なかなか死なねぇな。一番最初に死ぬと思ってたのによ」
そう言って唇を歪めた。
あれは笑っていたのだろうか。皮肉か、侮蔑か、それとも単なる興味か。分からなかったし、分かりたくもなかった。
「任務、行ってきます」
俺は踵を返し、泥の中を歩き出す。
泥濘に足を取られながらも、雨は容赦なく降り続く。
頭上の空は低く、まるで俺たちを押し潰そうとしているかのようだった。
それでも俺は、生きて帰らなければならない。理由なんてない。ただ、ユリスが「また帰ってこいよ」と言ってくれたからだ。
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