人気アイドルを誘拐してしまいました
今、自分は窮地に立っている。どれぐらいの規模かというと、ばれれば人生が終わるくらいにはヤバい現状に陥っている。どうしてこうなったのか、そう思いながら、自室の角に設置されているベッドの上で片方の手に手錠をし、そのままぐっすりと眠っている金髪の少女に目を向けながら、先程行ってしまった自分の行いを反省する。
人気アイドル『マリン』を誘拐してしまった倉森 千寿は頭を抱えながら、絶望に浸っていた。
・・・・・・
千寿は二十二歳のほぼ引きこもりと言っていい人間だった。根暗、ネガティブ、人見知り、コミュ障、この四つを主に抱えており、そのおかげで学校生活も上手くいかないまま卒業した。卒業後はそのまま就職したものの、二十歳のとき仕事で大失敗をし会社をクビ。
学校でも会社でも友達と呼べる人がいなかったため、大失敗をしてしまったときは同僚達の冷たい視線に晒され、皆ひそひそと自分の事を話す。それがトラウマになり、引きこもりになってしまった。
そこから一年間家に閉じ籠る生活になってしまい、二十一歳を迎えたと同時に両親に無理矢理外に出され、強制的に一人暮らしをさせられた。
最初は支援金をもらい、家賃が安めのアパートに引っ越し、残った支援金で細々と生活していたが、とうとう支援金が少なくなり、流石に働いていた時に貯めていた貯金を消費するわけにもいかないため、なんとかバイト先を見つけ、今はアルバイトで生活している。
「う、うーん……」
「ヒッ」
ベッドから寝息の声が上がる。とうとうばれる、そう思うと変な声が出てしまった。前髪で目を覆い隠しているが、隙間からベッドの方をじっと見つめる。
「あれ……ここは……」
とうとう人気アイドル『マリン』は目を覚まし、千寿のベッドで眠り、片手に手錠を掛けられていることに気付いた。辺りを見渡すと、部屋の隅で体育座りしながらガグぶる震えている千寿の姿があった。
「あのー……あなたが私をここに?」
「へ!? いや、私はあなたを拾っただけっていうか、なんというか!?」
動揺して嘘のことを言ってしまった。ちゃんと言わなければいけないのに。自分が誘拐したって。
「そうなんですね……私、確か仕事の帰りで、家に入ろうと思ったら誰かに口を覆われて……意識を失って、そこから記憶がないんですよね」
「だ、だったら、外は危ないですし、この家から出ない方が……」
自分で言っていてとんでもないことを言っているなと思っている。気が動転して上手く物事を言えていない。これじゃあ言い訳をただ並べているだけだ。
「……あははっ、嘘つくの下手だなぁ」
「へ?」
「私を拾っただけなら、これはなんなんですか?」
そう言って、マリンは自分の片方の腕を千寿に見えるように掲げる。じゃら、と片方の手に掛けられている手錠の音が響いた。
「あ……あ……」
「ご丁寧にちゃんと手錠の鎖をベッドの角に括りつけてるし」
「…………」
「それに、テーブルの上に置いてある『それ』。これだけ見つかればあなたが私を誘拐したことくらい分かりますよ」
マリンがテーブルを見て『それ』と言ったのは、あるものがテーブルの上に置きっぱになっていた。机の上にはハンカチと睡眠スプレー。それを見て、マリンは千寿が自分を攫った誘拐犯だと断言したのだ。
言葉が出なかった。千寿を見るマリンの目は冷たい。あの時と同じような既視感を覚えた。
「……ごめんなさい~~!!」
千寿は深く土下座をした。頭を床に強く擦り付けて、最大限の謝罪をした。だけどこれで自分の罪が無くなるとは思っていない。誘拐したことは事実なのだから。
「え、えっと、頭を上げてください」
「……本当にごめんなさい。出来心だったとはいえ、マリンちゃんを誘拐して……」
沈黙が流れる。お互いどうしたらいいか悩んでいるのだ。
「……えっと、とりあえず、お茶でも飲みますか?」
「え、ああ、ありがとうございます」
そう言って、千寿はキッチンに入った。冷蔵庫からお茶を取り出し、二人分のコップに注ぐ。
(ここからどうしよう。とりあえずお茶飲んだら、警察に自首しにいかなきゃ)
トレーにコップを載せ、マリンのいるリビングに足を進める。
「あの、どうぞ」
「……ありがとうございます」
二人はお茶を飲み、会話が一切ないまま静寂の時間が流れる。
「あの」
「ひゃい!」
「あはは、変な声」
いきなり声を掛けられ肩がビクッと震え、おまけに変な声を出してしまった。マリンの前で何度も醜態を晒している千寿は恥ずかしさで死にそうだった。
「あなたは私のファンなんですね」
「あ……」
「ポスターとかグッズとか色々飾ってあったから」
リビングの壁、テレビを置いてあるテレビ台の上、置いてある棚の中、そしてベッドの上、千寿の家にはマリンのグッズが大量に飾ってあったのだ。それはそれは、マリンのファンだと一発で分かるくらいに。
「……マリンちゃんは、私にとって生きる希望だから」
「…………」
「あ、いや、ごめんなさい! 勝手に希望だとか言われて気持ち悪いですよね!!」
「そんなことないです。応援してくれるファンのこと、気持ち悪いだなんて思いません」
嬉しさのあまり、コップに入っているお茶を一気飲み。冷たいものを飲まないと顔が赤くなってしまっていることがバレてしまうから。
「あ、あの! 私、夜ご飯の買い物に行ってきます。スーパーがすっごく遠いので、今の内に警察に行ってください」
未だにベッドの上で手錠を掛けられているマリンの側に行き、持っていた鍵で手錠を解除する。これでいつでもマリンは逃げることができる。
「え――」
「では! 行ってきます!!」
颯爽とカバンを持ち家から出る。あえて鍵は掛けなかった。
ゆっくり歩き、近くにあるスーパーへ向かう。
(これでマリンちゃんは逃げ出す。今頃もう家から出てるはず。後は私がゆっくり買い物をすれば、家に帰る頃には警察に包囲される)
自分は取り返しのつかないことをした。だから潔く罪を認めないといけない。その為にすぐにマリンを逃がす。彼女は自分のような陰気臭い所にいちゃいけない。もっと彼女は明るくて、華やかで、煌めく場所が似合っているから。
(今日の夜ご飯どうしよう。どうせ捕まるんだからカレーとかでいいか)
自分は夜ご飯を食べることもなく、捕まるんだろうけど、彼女が警察に行き、警察が自分の住んでいるアパートに着くまで時間を稼がないと。
(と言ってもそんなに買うものがないし……スーパーで時間稼ぎは無理あるかも……)
そう思いながら商品棚を見つめる。この商品棚が全部マリンのグッズだったらいくらでも時間なんて費やせるのに、と考えるがここはスーパー。マリンのグッズなんてものはここにはない。
(しょうがない。帰りもゆっくり歩いて、後は家で待とう)
カゴを持ってレジで会計を済ます。商品を袋に入れて、ゆっくり歩幅を小さくし、なるべく時間を消費するように家に帰る。
警察やパトカーはいなかった。やっぱり早く帰り過ぎたのかもしれない。
玄関のドアを開け、リビングに向かう。家の中は静寂で、マリンも逃げ出してくれたのだろう。安心と寂しさを胸に、リビングのドアを開けた。
「ばあ!」
「うわぁ!!」
「あはは! 驚きやすいんですね!」
「え、え……?」
いないと思って開けたリビングのドア。だけどそこには外したはずの手錠をまた片手に着け、千寿を驚かし高らかに笑っているマリンの姿があった。
これには驚くしかない。どうしてまだ残っているのか、自分は誘拐犯で、マリンにとっては他人の家に勝手に手錠まで着けて逃げられなくした犯人が目の前にいるのに。
「な、なんで逃げなかったんですか!?」
「うーんとね、誘拐したってことは、相当な度胸があるんだなって思ったの。だから私もあなたを試したい」
「え? え?」
マリンはそう言うと、テレビの前では見たことがない程の小悪魔のような笑みで、
「――私をここに匿って。誰にも見つからないように」
「え、えーーーー!!??」
そうして始まった人気アイドルとの秘密の共同生活。ここからが千寿にとって、人生が変わる瞬間だった。
・・・・・・
翌日、朝ごはんの材料を買いにまたスーパーに出向く。昨日は捕まると思って昨日の夜ご飯の分しか買っていなく、朝ごはんの分がなかったのだ。
あまり物音を立てないように、家に帰りリビングに入る。
「あ、おかえり」
「た、ただいまです」
人気アイドル『マリン』がいた。マリンは起きたばっかりなのか、少しゆるゆるな表情で朝のニュースを見ていた。
(あのマリンちゃんの朝の姿を見れるなんて、死んでもいい!!)
「見て、私のことが報道されてる。流石早いね~」
テレビを指差すマリンが見ていたニュースには『人気アイドルのマリンが行方不明』という画面が映し出されていた。
「あの、本当になんで警察に行かなかったんですか? 私がマリンちゃんを誘拐したんですよ!? そんな気持ち悪い相手、すぐに逃げ出したくなるに決まってる」
「何回も言わせないでよね。私はあなたを試してる。私が見つからないようにっていう試練と一緒に」
「なんで……」
まずどうして自分を試す必要があるのかが分からない。誘拐したからその仕返しなのか、それとも嫌がらせなのか、全然分からない。仕返しをしたいなら今すぐ警察に行けばいい。そうすれば千寿は捕まる。人気アイドル、マリンを誘拐した罪で檻の中だ。ネットやSNSで千寿は沢山叩かれるだろう。住所も素性も晒されるかもしれない。仕返しならその方がいい。なのにどうしてマリンは自分をここに匿ってほしい、なんて言ったのか千寿には全然分からなかった。
「トイレとか洗顔したいから手錠外してくれる?」
「あ……うん」
マリンの手錠を外す。昨夜二人で決めたルールがあった。そのルールはまずマリンはトイレ等の用事がない場合以外は手錠を外さないこと。そして千寿は用事がない場合以外は外出をしないこと。その二つを昨夜二人で決めたのだ。
「とりあえず、朝ごはんの準備をしよう」
買ってきた食材を元に朝ごはんを作り始める。そんな大層な朝ごはんを作るつもりはない。そもそも作れない。トーストと目玉焼きとサラダ。普通の朝ごはんだ。
パンを焼くいい匂いが漂い、リビングに戻ってきたマリンが後ろから声をかける。
「いい匂いがするね。楽しみだなぁ」
「そんな豪華な朝ごはんじゃないよ?」
そんなこんなで朝ごはんが出来上がり、テーブルに運ぶ。
「いただきます!」
「いただきます」
朝ごはんを口に運び、なんとか失敗しない朝ごはんを作れたことに安堵する。千寿の側には同じく一緒のご飯を食べているマリンの姿があった。昨日の夜ご飯もそうだが、基本千寿は一人なため誰かと一緒にご飯を食べることがない。なんだか新鮮な感じがした。
ふとテレビのニュースをつけると、やはりまだマリン誘拐のニュースで持ちきりだった。マリンの両親の通報で発覚。家族は早く見つけてほしいと懇願している。警察も大掛かりで探している、等の言葉が聞こえた。
(私は……こんなことをしちゃったんだな)
改めてニュースを見ると、取り返しのつかないことをしてしまったことが分かる。
(本当に、なんでマリンちゃんはあんなことを……)
「ねえ」
「へ、あ、何?」
考え事をしている最中不意に名前を呼ばれたため、マリンが千寿の方を見ていることに気付かなかった。
「あなたの名前って何?」
「あ、そういえば自己紹介してなかった……私は倉森 千寿です」
「千寿って言うんだね。私は――」
「ええ!? 待って待って! 本名は不味いんじゃ……」
「今の私はアイドルじゃないもん。普通の一般人だよ。改めて、私の名前は蓮見 真奈」
「真奈ちゃん……」
推しのアイドルの本名を聞けて、これ程嬉しいことがあるだろうか。真奈だから少しいじってマリンという名前にしたのかななんて思ってしまった。
朝ごはんを食べ終わり後片付けをした後、リビングのテーブルにてパソコンを開いた。
「千寿、何するの?」
「えっと、データ入力のバイトを……」
「へぇ~、家で出来るバイトなんだね」
「後、今日私二時から六時までバイトがあって……」
「そっか。それなら外出も仕方ないね。……千寿さ、そんな髪型で邪魔じゃないの?」
真奈が示したのは千寿の髪型だった。千寿は黒髪を肩辺りまで伸ばしている、そこまでは普通だ。問題なのは前髪だった。千寿の前髪は長く目を覆い隠している。だがこれが当たり前の状態で過ごしていたため、邪魔かと言われると、この状態でいるのが普通になってしまいなんともいえない。
「前髪切ろうよ!」
「無理無理無理無理」
即答で断った。前髪を切らずに伸ばしているのにも一応の理由があった。
『人の視線』が苦手だった。それは会社で大失敗をしたあの時から、同僚の冷たい視線を沢山浴びてしまったことで視線が苦手になった。
「前髪を切るのは……」
折角真奈からの提案だったが、無理なものは無理だ。丁重に断ろうと思っていたが、
「私、もっと千寿のこと見たい。前髪切ったら周りの人は驚くかもしれないけどさ……私だけずっと見てればいいでしょ……だめ……?」
「ぐぅっ、可愛いっ!」
・・・・・・
「痒いところはない?」
「だ、大丈夫です」
結局、真奈の可愛いお願いを断ることができず前髪を切ることに。顔の目の前に紙を掲げ、よく見るととても前髪だけでは埋まらないような量の髪がそこにはあって、流石にここまで放置していたことに驚いていた。
前髪を切り揃えてもらい、千寿の視界はとても良くなった。
「出来ましたよ~」
「わぁ……すごい」
鏡を千寿に向け、映っている自分は目元がちゃんと見えて、自分の顔がよく見える。
「真奈ちゃんって髪切るの得意なの?」
「うん……元々目指してたから」
後片付けをしている真奈にそう聞いた。初めてなのにスマートに、そして丁寧に済ます。経験者じゃないとそこまでスムーズにいかない。
「アイドルになる前、ってこと……?」
「うん」
なんとなく、この話をし始めてから真奈の表情が曇ってしまった気がする。いつもの明るさはなく、どこか悲しみを纏っている、そんな気がした。
・・・・・・
「いらっしゃいませー」
店員の声が響く。これは客がコンビニに入ったことによる接客だ。
今千寿はコンビニにいた。朝真奈に言っていたバイトの件だった。千寿はコンビニでバイトをしている。ここの店長さんは優しい人で千寿を見て接客業はさせず、品だしや掃除などをやらせてもらっている。正直人付き合いが苦手な千寿にとってはありがたいことだ。
前髪を切りコンビニに行くと、一番に気付いてくれたのも店長だった。「千寿ちゃん、似合ってるよ!」という言葉を添えて。
目立ちたくない千寿だが褒められれば嬉しい。少し気持ちが明るいまま品だしを続けていると、女子高生二人組が来店した。千寿の隣のお菓子コーナーで女子高生達は、ある話をしていた。
「はぁ、マリンちゃんがいなくなるって信じられない!」
「はいはい、朝も聞いたよその話」
「絶対悪質なファンが拐ったんだよ! ……ファンなら適切な距離で応援するのが基本でしょ! マリンちゃんは皆のアイドルなのに」
偶然にも聞こえる距離にいたせいで全て聞いてしまった。
消えたわけではなかった。だけど、少し忘れていた。自分は人気アイドル以前に人を拐った誘拐犯なのだと。
・・・・・・
秘密の共同生活三日目。
「ありがとね、私のお願い聞いてくれて」
「これくらいなら全然いいよ。私も久しぶりに食べたかったし……」
真奈との生活もこれで三日目になる。昨日はデータ入力のバイトが溜まっていて、ほぼ一日それに費やしていた。そんな中、真奈からお願いされた。それが『パンケーキを作りたい』という。
その為にさっき材料を色々買ってきた。千寿は料理は出来るがスイーツなどはあまり作らない。極力外に出たくないのもあるが、甘いもの自体積極的に食べないのだ。だけどあったら食べるから、好みとしては普通といったところだろう。
「ふんふんふ~ん」
(マリンちゃんの鼻歌可愛い……)
ホットケーキミックスに材料を全て混ぜあわせれば生地が出来るのだからとても簡単だ。熱したフライパンに生地を流し入れて、ふつふつとしてきたらひっくり返す。マリンはSNSでもよく手作りスイーツの写真を載せている。これくらいならお手のものだろう。
「……よし、できた!」
「すごい……断面とか焼き色とかすごく綺麗……」
「じゃあ次はデコレーションね!」
そう言って真奈は楽しそうに生クリームや果物を飾り付けていく。そして出来上がったのはお店に出せるんじゃないかというレベルのスイーツが出来上がった。
「よし! 我ながら完璧!」
「すごく美味しそう……でも、いいの? 果物もっと飾らなくて」
「……え、なんでそんなこと」
真奈は驚いたように顔を上げた。千寿にとってマリンは推しであり生きる希望の存在。マリンの曲は全部聴いているし、グッズも買ってる。マリンが出る番組も全部チェック済み。そんな千寿にとっては何も、驚かれるようなことを言ったわけではないのだ。
「SNSでは果物とか少なめにのせてるけど、本当は果物が好きなんじゃないかなって、この前出てた番組見て思ったんだけど……」
「……そっか、ちゃんと私のこと、見てくれてるんだ……」
真奈は嬉しそうに頬を赤らめていた。いつも明るい笑顔と違う。幸せを噛みしめながら小さく微笑む姿。新たな一面を見てこっちまで頬が緩んでしまう程だった。
「! 美味しい!」
「でしょでしょ~!」
二人でテーブルを囲んで一緒にパンケーキを食べる。真奈の分だけ果物を沢山のっけているホットケーキになっていた。
食べ進めていると、さっきからずっと千寿の方を見ている真奈と目があった。真奈の表情は決して険しいものではなく、それどころか嬉しそうな気もする。
「えっと、どうしたの?」
「ううん、ただ良いことがあったから」
頭の中にハテナを浮かべながら、何かあったかを考える。真剣に悩んでいる千寿の顔が面白かったのか、笑みを溢して笑う真奈の姿があった。
「今度は笑った……? 本当にどうしたの?」
「……ただ嬉しかったの。千寿が私のこと見てくれてることに。すごいね、私いつもスイーツの写真投稿するとき果物少なめにするし、番組に出ても、絶対に本来の好みとか言ったことないのに」
嬉しそうにこちらを見て微笑む。その表情に千寿は再度またマリンという存在に惚れそうになる。
・・・・・・
秘密の共同生活も四日目を過ぎる頃、バイト終わりの千寿はそのまま夜ご飯の材料を買いにスーパーに寄っていた。
(今日の夜ご飯は何にしよう)
悩みながらカートを押し食材を物色していると、視線の片隅に見えたもの。それは警官だった。
(警察……!?)
まだあの警官がマリンの捜索の為にいるのかは分からない。ただの警備の可能性だってある。だけど『もうそこまで迫ってる』そう考えると、息がきれそうになるほど焦ってしまう。
颯爽と夜ご飯の食材をカートに入れ、会計を済ましスーパーを出ようとする。すると、
「あのー」
「えっと、何ですか?」
二人の警官が千寿に話しかけた。遂にばれたのか、そう考えていると、一人の警官が口を開いた。
「その袋に入ってるやつ、ちゃんと買ったものだよね?」
「へ……」
話によると、千寿の態度が端からみれば挙動不審に見えたらしく、万引きをしているのではないかと思われてしまったらしい。
「何もやってないなら堂々としてね」
「……はい、すみませんでした」
「……ひろ。――千寿!」
「へ!?」
真奈の声で千寿はハッと意識を戻す。今は二人で夜ご飯を食べている。オムライスを食べる手を止め心配そうに千寿を見つめる真奈の姿が映っている。
「どうしたの? 千寿。買い物から帰ってきてから心ここにあらずって感じだけど……」
「……えっと、なんでもない。なんでもないの」
千寿の心は動揺という域を越えていた。バイトの時のマリンのファンの本当の心、そしてさっき警官に話しかけられたこと。いずれ警察の手の範囲はここまでくる。最後はどんな結末を迎えるのだろうか。元々自首する気でいたが、ここまでする真奈の真意が知りたかった。
・・・・・・
「…………」
真奈はベッドの上からテーブルで作業している千寿をじっと見ていた。千寿は何も気付いてないのか振り向く素振りすら見せない。
千寿は何か変なのだ。昨日から、正確にいえば昨日の夜ご飯の買い物から帰ってきてから様子がおかしい。
どこかよそよそしく、上の空なことが多い。そして、あまり真奈と正面から話したがらない。真奈だって自分がどれだけ千寿に愛されているのかは分かっている。だから謎なのだ、最初の頃の動揺とはまた違う感じがして。
だけどなんとなくその原因は分かっている。自分がどうして千寿の家に居候するのか、という問題だろう。千寿が最初に言っていた言葉は的確だ。『私がマリンを誘拐した。そんな気持ち悪い相手、すぐに逃げ出すに決まってる』それは真奈だって分かっている。だけど真奈は千寿を選んだ。真奈が所望するものに、千寿が行ったことはちょうどよかったから。
「ねぇ、千寿」
「あの、真奈ちゃん」
二人がお互いを呼ぶ声が重なり、先に真奈は千寿に話していいよと促す。
「……えっと、真奈ちゃんは、どうしてこんなことをするの?」
「…………」
「前にも言ったけど、私は真奈ちゃんを拐った誘拐犯なんだよ? なのに、私の家にずっと隠れて……その理由が知りたいというか……」
「……ふふっ、攫ったのは千寿なのに。もっとちゃんと堂々としてくれないと困るよ~?」
「……誤魔化さないで」
冷たく千寿は言い放つ。これは真奈が嫌いだから言ったわけではない。好きだから、マリンのファンだから言った言葉。確かに拐ったのは自分、それは否定しない。だけど、誘拐犯にここまで好意的でいるのはおかしい。
「昨日夜ご飯を買いにいってたとき、スーパーに警官がいたの。多分警備でいただけで、真奈ちゃんを捜索する目的じゃないと思う。万引きと間違われた時、すごく焦った。……ねぇ、なんで真奈ちゃんはこんなことをするの? 最初に聞いたときも何も教えてくれなかった、本当に、どうしてなの?」
「……千寿は今の現状は満足じゃないの? だって、千寿が推してくれてるアイドルと一つ屋根の下で生活して、テレビやMV、SMSじゃ見られない私を見れてる。それじゃ不満なの?」
「やっぱり、そんなこと言って、根本的には何も話してくれないんだね……私、警察に自首するよ」
その言葉に真奈は黙っていられなかった。千寿の主張も分かる、だけど真奈にはまだ続いてほしい理由がある。おそらくそれをいえば、ますます千寿は自首すると言って聞かないだろう。
「……! なんでそうなるの! 元々、私を誘拐したのはそっちでしょ! 私の気持ち関係無しに攫ったんだから、ちょっとは私のお願いだって聞いてよ!」
「だって自首することが正しいことでしょ? 私は誘拐犯で犯罪者で――マリンちゃんはこんな陰気臭い場所じゃなくて、キラキラしたステージにいないといけない。だってマリンちゃんはアイドルなんだから」
「……アイドルなんて、千寿が思うようなキラキラした場所じゃないんだよ……」
「マリンちゃん……?」
その日を境に二人の間に壁ができた。お互い意地になり、言葉を交わさず、行動を見て動く、今日はそんな一日だった。
・・・・・・
翌日もお互い会話がなく一日が過ぎようとしていた。
今は昼過ぎ、家には真奈一人だった。千寿はバイトがあり家を出ていっていた。千寿がいないこの家はしんみりとしていて、この時間に真奈はいつも考え事をする。それは大体この考えに至ったことについてだった。今日はそれに加え千寿と喧嘩したことも含まれる。
(喧嘩しちゃったなぁ……あんなこと言っちゃったけど、今頃私は普通に家にいて仕事してて……)
千寿に迷惑をかけている。それは昨日からではなく初日から感じとっていた。
だけど、こんなチャンスはもう二度と巡ってこないと思った。真奈はアイドルとしての『マリン』に疲れていた。ただ疲れただけだった。
元々望んでなったわけじゃない、ほぼ無理矢理のようなものだ。だけど真奈の予想以上にマリンが売れて、売れ行きを見届けて細々と辞めるつもりだったのが、後戻りが出来なくなっていた。
苦になりつつあったアイドル活動にほんの少しの癒しがファンの応援だった。ファンレターを貰う度に、握手会で直接触れあうときが、真奈にとってアイドルをやっててよかったかもと思えた。
だけどそんな花がある仕事ではない。妬み、恨み、嫉妬、それらをぶつけられることもある。何回も悩んだこともある。その度にアイドルという仕事に憂鬱感が生じる。
ただ、距離を取りたかった。離れたかった。
ほんの少しだけでいい。仕事も、ネットも、全部遠ざけてマリンを忘れてしまいたい。ただの真奈として生活をしたい。
そんなときに、千寿が自分を誘拐してくれた。
これはチャンスだと思った。だから交渉を持ちかけた。ただ自分の為に。
「だけどそれで千寿に迷惑をかけるのは違うよね」
今日で秘密の共同生活は六日目。続いたほうだとは思う。この逃亡生活は千寿じゃなかったら成り立たなかったかもしれない。千寿だから六日間もこの家でアイドルから離れることができた。
「今日で全部さよならしなきゃ、ね」
・・・・・・
「た、ただいまー……」
そろりそろりと、静かに音を立てないように玄関を開ける。自分の家なのにまるで他人の家に不法侵入しようとしてるみたいだ。
そうなってしまったのは明らかに昨日の口喧嘩が原因だろう。真奈の理由を聞かずに強く問いつめてしまったのは悪かったのかもしれない。それにしたってだ、自分が自主する、それの何がいけないのか。喧嘩など得意ではないが、それだけは譲る訳にはいかない。
(今日こそ、ちゃんと聞かなきゃ)
そっとドアノブに手をかけ音を立てないようにリビングに入る。
「わっ!」
「わぁぁ!」
リビングに入った瞬間、目の前に真奈が現れ千寿のことを驚かす。千寿は驚きいつも通り変な声が出てしまった。
「へ、あ、真奈ちゃん……? その格好……って私の服!?」
「千寿、これから出かけよう!」
「出かける!?」
強引に手を引かれて帰ってきたばっかりの家とまたさよならすることになった。しかもいつの間にか手錠も外している。
「出かけるって……どこに行くの?」
「スマホでこの辺の穴場スポットあったからそこに行こ!」
「わ、分かった」
歩き始めて数分、もう夜だから周りにはそんなに人はいない。犬の散歩とかそんな用事でいるであろう人達にはすれ違ったが。
真奈がばれていない理由は変装をしてるからだろう。真奈の服は千寿の服を着てメガネをかけ、上手く長い金髪を帽子の中に押し込む形で被っていた。そして真奈の肩には真奈自身のカバンをぶら下げていた。
その姿を見ればこれから真奈が何をするかなんとなく分かった。真奈はこの生活に終止符を打とうとしているのだろう。それは千寿自身が一番望んだこと。
――だけど『別れる』そう考えただけで胸がズキ、と痛くなるこの現象はなんなんだろう。
「……着いた」
「わぁ……」
穴場スポットというのは本当だったらしい。住宅街を歩き、林の中に入るとこの街を見下ろす形で見える夜景はとても綺麗だった。
「千寿」
夜景に夢中になっていると、不意に名前を呼ばれた。隣にいる真奈を見ると夜景の光に照らされて、一人心の中で惚れ惚れしてしまった。
「何? 真奈ちゃん……」
聞き返すと真奈は被っていた千寿の帽子を取り、その煌めく金髪が夜景に照らされた。
「ちゃんと話して謝らなきゃって思ったの。……聞いてくれる?」
「う、うん! 真奈ちゃんのこと、聞かせてほしい!」
真奈は全てを話した。秘密の共同生活をやるとなった理由、アイドルとしてのマリンと真奈の気持ち、今まで抱えていた本音、全てを。
「そんなことを思っていたんだね」
「うん。……私、元々美容師になりたかったんだ」
真奈はちゃんとした夢があった。美容師という夢。小さい頃、近所の美容室に行ったとき、真奈が望んだ髪型に変えてしまう店員に強く憧れを持った。
両親は元々姉にべったりで、妹の真奈にあまり関心が強くなかった。だから一度も夢を話したことがなかった。だからこそ、アイドルになってしまったのかもしれない。いや、そもそも話したとしても両親のことだから無理矢理にでもアイドルにされていたかもしれない。
真奈の姉はモデルだった。そのおかげで両親は姉にばっかり構っていた。だけど真奈が高校三年のとき、不意に両親が自分に構おうとしてくることがあった。不審に思ったりしたが、その予感は当たった。
両親に言われた『アイドルになってみないか』と。その時には行きたい専門学校にも目星をつけていたのに、両親の強引な行動により勝手にオーディションを受けさせられ、合格した。そして『マリン』が生まれた。『マリン』は真奈の思っていた以上に人気になってしまった。
本当に全てを話したとき、真奈の心にあった黒いものが少し抜け落ちた気がした。
「けど、それも今日でおしまい」
これ以上千寿に迷惑をかけれないと、千寿にそう告げる。
「千寿は心配してたけど、私ちゃんと痕跡を残さず終わらせるつもりだったんだよ?」
「…………」
「だから私はいつまででもあの家にいれる。千寿は本当はそれが本望でしょ?」
「……その言い方、やだ」
え、と呟く頃には肩を掴まれていた。目線の先には怒りの表情を浮かべた千寿がいた。
「え?」
「なんでそう自分のことを何も思ってないみたいな言い方するの? 確かにマリンちゃんが家にいて、内心嬉しかったのは否定しないけど……それでも……!」
「あはは……私の意思で何かしたことないから、そんな風になっちゃったのかな?」
何とか表情を明るくし笑ったみるが、千寿の表情は変わらなかった。じっとこちらを真剣に見つめている。
真奈は迷った。だって何もおかしなことを言ったつもりはないから。いつだって自分ではなく他人が真奈の行き末を決めてきたから。
「……ねぇ」
気付くと怒りの表情から、何か決心をつけたような表情に変わった千寿が真奈のことを見つめていた。
「もし、真奈ちゃんが今の生活を続けたら、真奈ちゃんは……自分らしくなれる?」
「え、まあ、そうだね。逃げたくて、千寿に提案したんだし……けど、それの何が……」
言いかけたその言葉の続きは発されることはなかった。それは、肩に手を置いていた千寿は離し再度真奈の両手を握ったからだ。そして、千寿はこう言った。
「私と一緒に逃げよう。二人で逃げて、逃げて、逃げまくろう。それで、真奈ちゃんがしたいことをいっぱいしよう。食べたいものを食べよう。見たいものを見よう」
「え……」
「――だからもう一回、私に攫われてくれませんか?」
驚きの言葉だった。いや、それ以上だ。この生活を終わらせるために千寿をここまで連れ出した。千寿もそれを望んでいるから、だから――。
「……なんで、そんなこと言っちゃうの。終わらせるために、ここまで来たのに」
いつの間にか、涙がぽろぽろと頬を伝っていた。『嬉しい』心からそう思った。逃げられることに対してじゃない。千寿が真剣にそう言ってくれたのが、千寿だから嬉しいのだ。
「本当に私を攫ってくれるの……? 私の嫌なものから、遠ざけてくれるの……?」
「うん、一緒に逃げよう。嫌なことから全部全部。見つかるまで、ずーっと一緒に」
「うん、うん……!」
嬉しさのあまり真奈は繋いでいた手を離し、千寿に抱きついていた。千寿は少しよろめいたがすぐに立て直し、同じように抱き締め返していた。
「じゃあ帰ろっか。私達の家に」
「うん、これからずっとよろしくね。千寿」
二人は歩きだした。真奈は離れないように千寿の手をぎゅっと握って。さっきのかっこよさはどこへいったのか、手を握りられて赤くなっている千寿を横目に、
――この人が攫ってくれてよかった、と心の底からそう感じた。