82.僕の名前じゃないよ
お父さんが、ディーと取っ組み合いの喧嘩をした。びっくりして駆け寄ったら、フィルに止められる。
「喧嘩はダメだよ」
「あれは訓練よ、ちょっと激しいけれど喧嘩ではないの」
びっくりして、もう一度よく見る。すごい炎が鱗を炙ってるし、叩いた音も大きくて怖い。あれで訓練なの? ドラゴン同士で戦う姿に、ぱちくりと瞬いた。
「戦う訓練?」
「ええ、また人間が増えてきたから駆除するのよ」
駆除は悪い生き物を減らすこと。ちゃんと覚えたよ。人間って悪い生き物みたいで、勝手に森を壊したり、魔族のお家を襲ったりする。昔、僕が攫われたのも人間の仕業だった。
「僕も駆除できる?」
「まだ早いわね。大人になるまで無理よ」
「もう大人だよ!」
「そうね。大人なら我慢できるでしょう?」
フィルはいつも言葉が上手で、僕は負けちゃうの。お父さんやディーに相談したら、女の人に負けるのは、仕方ないって。子供をお腹で育てて産んで、その後も見守る母親に僕達は勝てない。それでいいんだよ、と教えられた。
僕も別に勝ちたいわけじゃないけど、悔しい気がするの。バラムに話したら、女の人に興味がないから分からないと笑ってた。隣でアガリが変な顔していたっけ。
「じゃあ、どのくらい大人になったら、駆除について行けるの?」
「ルンが結婚して、子供ができる頃よ」
それなら、今はダメだね。納得して引き下がった。僕はまだお嫁さんも見つけてないから。
「未来の王様ですもの、素敵なお嫁さんが見つかるわ」
僕はお母さんやフィルみたいに優しくて、綺麗な人がいい。ディーやお父さんくらい強くなって、アガリと同じくらい頭が良くなったら、素敵な人が見つかるかな。バラムにも手伝ってもらおう。
にこにこしながら計画を話すと、フィルは喜んだ。素敵な夢だと言ってもらえたので、間違ってないよね。
どったんばったん、お父さんとディーは取っ組み合いを続ける。振動がすごいし、埃も飛んできた。決着がつかないから、二人を置いてお城に戻る。
今日はヴラドのおじさんが来る予定だ。僕の授業をする。猫さんも遊びに来てくれるんだよ。亀さんは移動が大変だから、今度会いに行くんだ。僕の予定はいつも誰かがいて、嬉しいことが詰まっている。
お母さんの焼いたお菓子を収納へ入れた。これはおやつで、後で食べるんだ。わくわくしながらお城の廊下を歩いて、曲がったところで気持ち悪くなった。ぐらぐらする感じで、目を閉じる。吐きそう。
じっと蹲った僕は、少しすると気持ち悪さが治った。ゆっくり目を開ける。知らない場所にいた。周囲を見回すけど、お城の風景じゃない。岩があって、洞窟なのかな?
「っ! 成功だ」
誰かが叫んだ。びっくりして尻餅をついた僕の周りで、五人くらい騒いでいる。倒れている人もいた。動かない人は引きずられていく。床はすべすべで、何かが描かれていた。見たことがない模様で、首を傾げる。
「ようこそ、勇者様」
近づいて手を伸ばした人が、僕にそう言った。勇者? それは僕の名前じゃないよ。怖いので、手に触れずに立ち上がった。どうしよう、今日はお客さんがあるから、遠くへ来ちゃダメなのに。