79.勝てるわけない ***SIDE人間
大人に教わったのは、魔族やドラゴンの恐怖だ。奴らは理由もなく人間を襲う。たまに海へ訪れ、また去っていくらしい。森なら木の実や獣の肉が手に入るが、魔獣やドラゴンに襲われる可能性があった。
特に魔獣は数が多く、あちらこちらで出くわすらしい。海が近いため、食卓は基本的に魚ばかりだ。わずかばかりの畑は、塩害と砂地のため収穫量が少ない。皆が腹一杯食べるには、到底足りなかった。
こっそりと森に入り、畑を作っていた爺さんは、魔獣に食い殺された。病気の妻に食べさせたいと森の獣を狩ろうとした隣人は、それきり姿を見た者がいない。おそらく食われたのだろうが、死体や肉片すら戻らなかった。
魔族が悪い、ドラゴンが憎い。鍛えて戦えるようになったら、アイツらを駆逐してやる。そう決めて、元戦士の男から戦い方を学んだ。師匠と呼ぶ彼は、かつての大虐殺を逃げ延びた一人だ。顔に大きな爪傷と、背中や手足に牙の跡が残っている。
逃げる母子を狙うドラゴンと戦い、右目と左腕を失った。村の英雄のような人だ。師匠に弓矢の扱いから、剣の振い方まで教わった。いざとなれば、逃げるのも戦士の心得だと。再戦を狙うのは、恥ではない。その言葉をこんな形で理解するなんて。
浅い海に群れる小魚を狙って、海鳥が現れる。午後の穏やかな時間に、大きな岩の間に隠れた。ここなら海鳥に発見される可能性は低い。いつでも弓を引けるよう準備し、矢を用意して待った。
いつも通り海鳥が現れ、弓に矢をつがえた時、大きな羽音がした。海鳥がわっと逃げていく。巨大な影がかかり、目の前に黄金のドラゴンが舞い降りた。着地して羽を畳んだ姿は、村で一番立派な屋敷より一回り大きい。
ごくりと喉を鳴らし、唾を呑み込む。恐怖で手が震えた。師匠の言葉の意味が、重くのしかかる。逃げていい、その言葉が脳裏に浮かんだ。だが、向こうはまだ俺の存在に気づいていない。これはチャンスだ。
ぐっと弓を引いて、鏃をドラゴンの首に向ける。狙いを定めて、放った。ひゅんと軽い音を立てて飛んだ矢は、当たって落ちる。鱗が硬すぎるのか。ならば、前屈みになって開いた背中を狙う。
きょろきょろするドラゴンの背に向け、急いでもう一本放った。刺さったものの、喜ぶより早く身震い一つで落とされる。硬すぎるのか? それともこの程度の武器では勝てない? 弱点を探すことに夢中の俺は、背後への警戒を怠っていた。
黄金のドラゴンの目が、ぎょろりと俺を睨む。居場所がバレた! 逃げようと弓矢を放り出し、剣を手に振り返った。
「っ! うそ、だろ?」
そこにいたのは、大きな銀色の竜だ。目の前の黄金のドラゴンより二回りは体が大きい。ぐわっと開いた口に、炎が見えた。
ああ、ここで終わりか。諦めが広がった。再戦のチャンスはなさそうだ。俺は最後に一矢報いるため、持っていた剣をその口へ投げた。炎の熱を熱いと思ったのは、ほんの一瞬だけ。蒸発する剣の姿に、勝てるわけねぇよとぼやいたのが、俺の最後だった。