72.幼子の望むままに ***SIDEアガリ
あの子の聡明さ、いえ……損得抜きの無邪気さの勝利でしょうか。過去の偉大な王が成し得なかった偉業を、いとも簡単に形にしてしまった。
魔王と前竜王の間に生まれたルンは、その魔力量も潜在能力も高かった。幼過ぎて心配になるが、それすら武器に変えてしまう。竜王を継いだ兄ディアボロスを味方につけ、異名を持つ悪女イオフィエルに可愛がられる。
魔族や竜族には、二つ名を授かる者がいます。圧倒的強者であったり、その行いや能力がずば抜けた者達でした。当然ながら我が強く、誰かに従ったり大人しく命令を聞いたりするはずもない。
ディアボロスは冷徹王の二つ名を持っています。炎の魔法を使い、気に入らなければ滅ぼしてきた。冷徹と呼ばれる原因は、誰相手でも感情を揺らさないこと。弟として補佐に入る私であっても、意に沿わなければ殺されたでしょう。
そんな兄さんに惚れ、父親の仇討ちをやめたのがイオフィエルでした。憎悪のフィルと呼ばれるのは、一時期、父の仇を執拗に追い求めて残虐行為に走った影響でしょう。勘違いでいくつかの一族を滅ぼした彼女は、悪い意味で竜族の有名人でした。
この二人が、溺愛する存在を見つけて可愛がるなど。誰も想像できない未来でした。実際に目の前で愛する姿を見ても、不思議で仕方ないほど。ですが、ルンの可愛さに溺れたのは、他のドラゴンも同じですね。
嘆きのバラムは、己の一族を滅ぼしたドラゴンの騎士であり、その能力は呪いに近いでしょう。死んだ姉を慕うバラムは、彼女を見殺しにした一族を許しませんでした。同族殺しと恐れられる彼が、穏やかに微笑んでルンに接する姿は、誰もが二度見する驚きでしたね。
他種族すら、ルンに接すると穏やかになります。森人族は異種族に厳しく、決して仲間意識をもちません。それどころか、相手が隙を見せれば簡単に殺してしまう。そこに罪の意識もなく、大樹と称する世界樹へ異種族を生贄として捧げてきました。
幼いルンを連れていくと聞いた時、兄が一緒でなければ反対しました。友人であるディアボロスの連れであっても、シャムシエルは無視するでしょう。その予想を覆し、ルンは赤子まで見せてもらいました。兄さんはルンの可能性に賭けたのでしょう。
吸血鬼ヴラドは、人間の国をいくつも滅ぼしています。それだけならまだしも、かつては女王の命も狙っていた。ある時を境に忠誠を誓い、一家に尽くすようになったと聞いています。時期から判断して、おそらくルンの誕生がキッカケでしょう。
あの子は魔族も竜族も関係なく、誰でも魅了してしまう。自由に好きな場所で暮らせる、新しい世界を望みました。寒いと嘆く魔族に手を差し伸べ、ここは嫌いだと嘆く竜族を慰める。無邪気な笑みで周囲を巻き込み、気づけば世界中があの子に従っていました。
世界を一つにまとめる魂、魔族と竜族を繋ぎ解放する存在。愛されるあの子に、醜い過去を知られたくない。嫌われたくないと思うのは、誰しも同じでした。傷だらけの外見を綺麗だと褒める、嘘のない笑顔と言葉に傅くのは、存外心地よいものです。
だから、黒い過去を誰も言及しません。あの子が笑って、幸せだよと言える世界を守るために。殺戮の赤竜と呼ばれた私でさえ、穏やかに微笑んでいられる。
ルンがいれば世界は平和で、ルンの笑う場所に幸せが生まれる。この世界を望みのまま維持することが、私達の最大の使命なのでしょう。
――すべてはルンのために。