70.ぼんやり覚えているだけ
吸血鬼のヴラドおじさんの捕まえたウサギを、アガリが捌いて、ディーがこんがり焼いた。いい匂いのするお肉が、お皿に載って運ばれる。
「いろいろと世話をかけて、すまな……」
「話は飯を食ってからだ」
お父さんの話をディーが遮った。後ろでアガリが寝室の荷物を空中にしまっていく。家具は後で片付けようと話していた。お引越しするみたい。
客間にある長椅子に、僕を挟んで二人が座る。お父さんが左、お母さんは右だよ。お腹が空いてる時の虫の音がして、お父さんが笑った。今の虫はお父さんのお腹に住んでいるみたい。
くすくす笑うお母さんはお肉の皿を引き寄せて、ゆっくり食べ始めた。お父さんは勢いよくかぶりつくけど、お母さんはちゃんとナイフ使ってる。交互に食べるところを見ていたら、お母さんがお肉を小さく切って、僕の口に運んだ。
「あーんして、ルン」
僕はお腹空いてない。でも……お母さんがくれるから。向かいに座るディーを見たら、大きく頷いた。隣のアガリも笑顔で首を縦に振る。
ちょっと恥ずかしいけど、そっと口を開けた。フォークが入って、お肉を齧る。お母さんのあーんは、すごく昔にしてもらっただけ。いつもディーやアガリ、フィルがしてくれたけど。やっぱりお母さんのあーんが嬉しい。
お肉も普段より美味しい気がした。二人が食べ終わるまで待って、吸血鬼のおじさんが口を開く。
「お二人とも、住居を移していただきます。よろしいですね」
以前も同じ話をしたのに、お父さんもお母さんも嫌だと言った。その結果が今回の騒動で、おじさんは怒っている。僕が連れ去られたことも知らなくて、ディーが助けた話を聞いて悔しかったんだって。
助けたディー達が僕を育てるのも、反対できなかった。そう嘆いて、お母さんは困った顔で頷く。お父さんもディーに睨まれていた。どうして皆が怖い顔をするのか分からなくて、僕は皆の顔を順番に眺める。首が疲れちゃう。
「この子は覚えているの?」
お母さんの手が僕の頭を撫でる。幸せだな、嬉しいなと思いながら、大人しくしていた。もう大きくなったから、じっと話も聞けるよ。
「連れ去られた前後の記憶は、曖昧だ」
うん、お父さんやお母さんと暮らしていたことは覚えている。誰かがお家に入ってきて、入り口で遊んでいた僕を捕まえた。お父さんとお母さんが怒って……そこから、ぼんやりしているの。
次に思い出せるのは、羽を傷つけられたこと。今も動かすと少し痛いけど、形は綺麗に治った。ドラゴン姿になったら痛くないんだよ。千切られた羽が痛くて、殴られ蹴られた体が動かなくて。お父さんとお母さんを呼んでも届かない。
あの時、誰かっ! と叫んだ。その声がディーに届いて、僕を助けてくれたんだ。そこまで説明した僕に、お母さんは頬を擦り寄せた。ほっぺが濡れているよ?
「辛い思いをさせたのね」
「うんとね、痛かったけど今は平気なの。だから大丈夫。僕は平気だよ」
ディー、アガリ、フィル、バラム、ドラゴンの騎士の皆が優しかった。僕は辛くなんかない。
「強くて立派になった。見守ってやれずにすまない。これからは俺達が守る」
お父さんも僕に頬を寄せた。両側から触れる温かさに、僕は自然と笑顔になる。ずっとこのまま一緒にいられますように。