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7/7

7話 知り合う



────────────────────────



 聞こえた気がした。


『───』


 呼ばれた気がした。


『────っ』


 知っている、気がした。


『──────、────…………』


 その先を。



────────────────────────



 目を開けば、それと同時にぼやけた視界に鈍い痛みを覚える。

 次に喉が、腕が、足がそれぞれ痛みを訴え、一度強く目を閉じた。


「っ…………?」


 もう一度確かめるように目を開けば、視界にはモノが散乱とした床が縦に映る。

 もう一度確認するように目を閉じ、開けば今度は簡素な部屋の様子が視界に収まる。

 そして次の瞬間、耳の裏がスリッと誰かに擦られた。


「……っ…………?」


 ゆっくりと目線をずらせば、背後に誰かがいるのがわかった。

 床に伏せた状態の自分をようやく脳が認識して、なのに不思議と恐怖心はなかった。

 擦られたそこに、おかしなほど安堵を覚え、私は何の警戒もなく体勢を後ろに向け変えた。


「……………………」


 そして、視界に入った見慣れない褐色の肌に、私は今度こそ溜息を零した。

 恐怖も敵意も覚えず、私はただ素直にその存在を受け入れた。


「…………ね、ェ……?」


 それが視界に収まってから、自然と体中から力が抜けていく。

 鈍い痛みを自覚しながら、それでも声で喉を震わせれば安定性のない音が空気を揺らした。


「…………どぅして、来てくれた、の……っ?」


 口から零れた疑問は、心からの本音だった。

 でも、それが自分でもどのことを指しているのかわからなくなってくる。

 記憶の最後に、彼が助けに来てくれたのがわかる。

 姿は見ていなくとも、それが彼だったのがわかる。

 でも、その疑問はこれよりもずっと前から自身の中で燻っていたように錯覚を起こす自分がいる。

 まるで、おかしな夢を見ていたような感覚が、思考にこびり付いている。


「……………………」


 それでも、相手が何も答えずただこちらを冷めた目で見返してくるのがわかると、彼は何も口にしていないのに私はまるでそこから答えを得られたように感じる。


「………………すき……」


 自然と、そう言葉が溢れた。


「……あなたが、すき」


 喉の奥が張り付いているはずなのに、それを言葉にせずにはいられなかった。


「……わた、しは、……あなたが、いい、の」


 心から、そう思う。

 私は、あなたがいいのだと。

 素直にそう思える。


 何の脈絡もない私の言葉に、彼は頷きもしなければ驚いた様子もなかった。

 まるで「もう知ってる」とでも言うように、上からただ私を見返してくる。


 そして、まるで見えない何かに突き動かされるように、私は彼をまっすぐと見上げる。


「……ガサツでも、ら、んぼうでも。だらしなくて、身勝手な人でも」


 ヒリつく喉に渇きを覚えながら、それでも私はやめない。

 言わなくてはいけないと、今言いたいと、そう思えるから。


「……あなたが、いい……っ。優しくて、かっこィい……おひさまみたいな、あなたが」


 私にとって、と音にならなかったそれも空気を伝って彼に通じたのだと確信する。

 その細い目を一度だけ、一瞬だけ見開いたように感じたけれど、次にはまるで錯覚だったように元の形に戻っていた。


 喉も、首も肩も腕も足も。体中の全てに感じる痛みが今も思考を攻め続けている。

 今にも意識を失いそうだと感じながら、それでも今は、ただ彼の言葉を待った。

 彼の声が、聞きたかった。


「…………なまぇ、おし、えて……?」


 呼ばせて、と懇願する。

 必然的に、彼の言葉を要求する。


 痛む腕を、片方彼に向けて伸ばす。

 力の入らなくなった体で、必死に彼に向けて力を入れる。

 重力に逆らえなかったそれは、自然と下向きに、最後にはそのまま床に落ちた。


 それでも視線だけは決して下げない。

 彼のそれと合わせたまま、閉じそうになる瞼の裏に力を込める。


「…………────」


 彼の口が開いた。

 彼の声を、言葉を耳で拾いそれを聞き終えれば、自然と自分の口の端が上がる。


「────」


 力を込める必要もなく、自然と喉が開く。

 知りたい、と願う片側で、知って、と乞う自分がいる。


「……………………────」


 そして、自分の願いに応えてくれた彼に私はまた安堵して、今度は抗うことなく瞼を下ろした。


 寒さを感じない肌が、酷く心地が良かった。




────────────────────────



 ずっと、何かを待っていた。


 ずっと、何かを探していた。


 ずっと、何かを求めていた。



 家族も、友達も。

 満ち足りたはずの生活で、何故か時折感じる寒さに、酷く怯えていた。

 それが何故か分からなくて、それでもただ欲していた。


 冷える体を、両親は何度も抱きしめてくれた。

 凍る指先に、友人は何度も手で温めてくれた。


 それでも「足りない」と思う自分が、不思議で仕方がなかった。



 誰かの声を、聞きたかった。


 誰かの言葉を、知りたかった。


 誰かの顔を、思い出したかった。


 その熱を、待って、探していた。



 夢を見る度に、寒さを感じていた。

 それを思い返す度に、凍えるような感覚に陥った。

 それでも、時々ぶり返す熱があった。

 これ以上なく体が熱くなって、見えない何かに突き動かされた。


 その一つで、私は大学を決めた。

 時折感じるものがあった。

 引かれるような、何かがある気がした。

 そこに行けば、何かが待ってる気がした。

 たどり着けば、何かが見つかる気がした。


 そして────、


 その先であなたを見つけた。



 肌の色も、背の高さも、腕の太ささえも。

 何もかもが私と違うあなたを見つけ、それでも誰よりもあなたを、知っている気がした。

 家族や友人、そして自分よりも遥かに。



 あなたが、私の前に現れた。



────────────────────────



 あの部屋で、あの男を蹴り倒した後。俺は一人だけ抱えて部屋を出た。

 外に出ればあの二人組の連中がいて、既にサツを呼んだ後だった。

 その二人に後処理をぶん投げて、俺は一人暮らしのアパートに帰った。


 女を抱えたまま。



『どうして、来てくれたの?』


 ……ンなの、俺が聞きてぇよ。


 …………なんで。

 なんで、テメェは俺の前に現れるんだよ。



────────────────────────



 もうすぐで冬になる。

 暑苦しい時期が過ぎれば、すぐにでも雪が降り始める。

 きっと、一月経たないうちに枯れ草も見えねぇほど積もるだろう。



 …………それがわかってんのに、どうして俺はこの女を捨てられずにいる?



 自分でもおかしなほど、その理由が分からねぇ。

 寝苦しい夏の間だけならまだしも、雪でも降り始めた日にゃ、この女の存在はウザくて敵わねぇ。


 それがわかってんのに、今も俺の腕の中で寝息すら立てねぇ女の寝顔が視界に入る。散々俺が植付けた熱を、今でもその肌に纏う女を、どうしてか俺は追い出そうとはしなかった。


 ………………ウゼェなぁ……。


 それは、女に対してか、これから来る時期に対してか。

 それとも、こンな女も使い捨てにできねぇ自分に対しての戯言なのか。

 それは、俺でもわかりゃしねぇ。


 …………今は、まだ。



────────────────────────



 結局、連れ帰ってきた女を放り出すこともなく、俺は自分のベットにソイツを寝かせたままメシの用意をする。

 以前ならば、どっかから食いっぱぐれるか、そこらの畑から盗み取るぐらいはしたもンだが、コッチではその必要もなくなった。

 なにより、一人暮らしを機に母親が月に数度、期限短めの消費モノを送り付けてきやがる。

 お陰で嫌でも自分でメシを作らなきゃならねぇ。


 上の戸棚からプラスチック製のボウルを取り出し、そこに週末付で腐る卵を片手で割って入れる。ある程度に解けば一旦脇に避けて、冷蔵庫から幾つかパック詰めにされてるもんを取り出す。既に油入れて火ぃ点けてたフライパンの上に一つ開ければ、中からボロボロと挽肉が落ちる。既に一度火を通してたそれを温めるように油に浸からせ、すぐにニンニクと生姜を入れる。普段なら使い切りも考えて増し増しにするが、今回は残量も考えて少なくした。

 炊飯器から炊けた米を適当によそい、それをフライパンの上でひっくり返せば、普段より量のあるそれは幾らか米粒を外に落とす。勿体ねぇなと思いながらそれを拾い、口に入れれば普段よりやわらけぇそれに「炊きすぎだ」と感想が出る。

 フライパンの中をかき混ぜながら、片手で脇に避けてあったボウルを取りそのまま米の上からそれを垂らす。パチパチと弾ける音にジュワァと音が広がる。塊になる前にと手速くそれをかき混ぜれば、既に美味そうな油の匂いが立ち込める。適当に焼き加減を見て火力を弄り、残ったパックの蓋を全部開けまるごとフライパンの中に突っ込んだ。明日付だった玉ねぎやネギの匂いが鼻を突くが、それを気にせずに箸でかき混ぜる。


 朝飯ン時にもっと使っても良かったな。


 焼き目を見ながら今度は味付けをと、特に確認もせず前方に手を伸ばし、指先に当たったもんを引き寄せる。塩胡椒を容器に入った三分の一程突っ込み、まだ足んねぇかと今度は冷蔵庫から味噌を取り出し、スプーン二杯程米ン中に落とす。

 立ち込める匂いが安定したと思えば、最後に酒を注いで一気に下げていた火力を上げる。ボワッと一瞬火柱が上がったが、適当にかき混ぜてりゃあ次第にそれは収まる。


 火を止め、予め用意していた濡れ布巾の上にそれを置いて熱を取れば、いつの間にか額に書いていた汗を適当に服で拭う。

 回してた換気扇を止め、後ろを振り返れば既に女は起き上がってコッチを見ていた。

 それを目で確認した俺は手元のフライパンから最初に米をよそっていた皿に四分の一…………少し考えてから三分の一の焼き飯をよそう。

 一つしかねぇレンゲと、以前にコンビニでドリアを買ったときに付いてきたスプーンを箸置きから取り出しそれぞれフライパンと更に突っ込む。そのまま両方とも小せぇちゃぶ台の上に移動させれば、女は匂いにつられたように皿に近づいてきた。

 コンビニのスプーンが備えられたそれに対して、確認するように一度俺を見上げる。


「…………勝手にしろ」


 食いたきゃ食え、と直接フライパンからレンゲで掬って食い始める俺を見て、女も習うようにスプーンを手にとってそれを口に運んだ。

 そこまで確認した俺は、ようやく自身の手元に視線を落とす。

 普段よりも噛みごたえの薄いそれに「炊きすぎだ」と、また一つ同じ感想を口の中で零した。

 女が咳き込む様子もないことから、味付けをもっと増し増しにしても問題はなかったと判断する。

 男が作るチャーハンが女には食えねぇという話も、ガセだとわかった。


「……………………、美味しい」


 何回かコクンという喉の上下音を聞かされたあとに、ガサついた声で女がそう言った。

 一々立つ気にもなれず腕を伸ばして届く範囲の飲みかけのペットボトルを手に取って女に渡せば、女は心得たようにそれを受け取ってそのまま戸惑いなく口をつけた。


「…………ねぇ……」


 しばらくしてメシも食い終われば、先に女が口を開いた。「お前は誰だ」「何でここに」そんな言葉が飛び出るであろうと予想を立てながら、どうはぐらかしてやろうかと思っているうちに女はその問を口にした。


「……私、あなたに会ったこと、ある?」


 既に確信を得ているかのような声の響きに、俺は少しだけ眉を上げた。女は一切目をそらすこともなく、俺を見上げてくる。


「…………知らねぇな」


 そう口にするのは簡単だったが、その後は妙な後味が口の中に残った。何でだか、気分がわりぃ。


「………………私は、あなたのことを何も知らない」


 俺の言葉を無視するように、女はそのまま続けた。

 既に、女の中では俺の答えなど必要とされていなかった。


「憶えていないのか、忘れているのかもわからない」


 不思議と、そう言葉を重ねる女を見て、以前のソイツの顔を思い出す。


(………………よく、喋るようになったな)


 簡単に心の声として出てきた言葉が、普段なら舌打ちをして無視するのに、今だけはそンな気にもならなかった。

 今だけは、この女の声を聞いていたいと思った。


「それでも、────」


 女はそこで、一度言葉を切った。

 そこに続く言葉に、俺は不思議と違和感を感じなかった。

 以前ならば、この女がそンなことを口にすることはなかったとわかっているはずなのに。

 俺は女の言葉を遮ることもなく、続きを待った。

 それはまるで、俺自身が望むように。


「…………それでも、知りたいと思った。あなたを知りたい。そして、……知ってほしいって」


 女の言葉に、俺は冷めた目で彼女自身を見つめる。

 声を震わすこともなく、迷いなくそう口にする女を俺はただ見つめた。そらすことも、馬鹿にすることもなく。


「知り合いたい、ってそう思ったの」


 二つの確信をもって。


「…………やっぱテメェは────、」


 口にしようとした言葉を一度止め、飲み込んだ。

 それは違うと、そう考えてから自然と別の言葉が口から零れた。


 そういや、前も同じことをコイツに零したな。


「──────、────、──」


 思い出すと同時に音となって繰り返されたそれは、それまで絶対に目をそらすことのなかった女の瞳をわずかに揺らした。

 驚いた表情をする女に、俺はそれだけで満足した気分になり意識的にも口元を緩める。


 結局、行き着く先は互いに一緒だった。

 俺も、女も、あン頃とは何もかもが違い、そして変わらなかった。


 普段なら、ここで舌打ちかため息、あるいはその両方が溢れただろう。


 前は触れようともしなかった女の頬に手を添え、自身でも似合わねぇと思いながらそこを優しく撫でてやる。少しその体を揺らした女に、俺は隙を突いて女の背に回り込ませた腕で肩を引っ張り込んだ。

 ガタッとテーブル越しに引き寄せた女は、突然のことに目を瞬き伺うように俺を見下ろせる位置から見上げてくる。

 空になった皿が、視界の端を掠った。


 馬鹿な女。


 女の背に伸ばした腕を少し引き、その項に触れる。

 「ンっ」と突然の刺激に音を漏らす女に、俺は口角をニヤリと自然に上げる。

 女が寝てる間に付けたソコを覗き込めば、赤く腫れてるのが視界に収まる。

 首も腕も足も、視界に入る範囲全てに同じ痕を残す女は、その隠れた服の下まで意識を向けるのがいつになるのか、今は少しだけ楽しみになった。


 ………………ン当に、────


『馬鹿らしいな、テメェも、……俺も』



 確信した。

 コイツはアの女だということ。

 結局、この女も俺も、馬鹿らしいということを。



『私は、あなたがいい』


『…………大丈夫』


『ヴァーリ』


 俺を呼ぶ女の声を思い出せば、忘れたはずの記憶が微かに脳を掠る。


『────ネージュ』


 それが何かは、次にはもう忘れていた。


『テメェの名だ』



 別に、思い出そうとももう思わねぇが。


「?…………──?」


 今目の前で記憶とは別の名を口にする女に、俺も答える。


「うるせぇよ、──」


 口にした言葉が思いの外柔らかい音になったのは、流石の俺でも気が付いた。

 けれど、今はもう気にはならなかった。


 舌打ちはもう零れない。

 女の首に口付ければ、女は蚊の鳴くような声で啼いた。


最後までお付き合いくださりありがとうございます。

一応ここまでが本編とさせていただきます。拾い切れていない伏線や一番最初に書きたいと思った理由の秘話などを少しずつ書いて行きたいと思っています。

(題名思いつかなかったんでそのままでした。面白味なくてスミマセン)




少しでも面白いと感じて下されば、ご気軽に評価コメントしていただけると嬉しいです。

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