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5話 熱さに、


「────あのっ、本当に理事長先生が私を呼んでるんですか?その、あまり見に覚えがないのですが……」

「んー?本当だよぉ、俺が嘘付くわけ無いじゃぁん??」


 ドンドンと音を立てるように、学部の中でも誰も寄り付かないような倉庫の奥へと、一組の男女が進んでいく。


 明るく賑やかだった場所から離されていくたびに不安に苛まれていた彼女は、初めは理事長に呼び出されるなど一体自分はどんな失態を犯してしまったのかと心配ばかりが胸に募っていた。しかし、今は別の不安が何度も頭を過る。

 どんどん迷うことなく倉庫の奥へと進んでいく男に、一抹の不安を覚えてもその男の正体を知っているからこそ、彼女は簡単に逃げられはしないということを知っていた。

 素直に付いてきてしまったこと自体に後悔を感じ始めた彼女は、何度も背後の明るい方向へと振り返る。


 今年この大学に進学してきたばかりの彼女は、方向感覚も未だあまり付いていない。今自分が北へ向かっているのか南に向かっているのかさえ、彼女にはわからない。

 そんな彼女が誰か、と助けを求めようと思えば、何故か一人の男性の顔が頭から離れない。

 まだ二度ほどしか会ったこともない、まともに話したのも数えられるかと言う程度なのに、彼女は何故かここしばらく彼のことが頭から離れない。

 まるで、覚えのない、けれど記憶にあるかのようなあの顔を、どこで見たんだったかと思い返すような感覚である。

 そんな彼女の心境を知ってか知らずか、彼女の前でドンドンと倉庫の奥へと突き進んでいく男は一切足を緩めない。


 この男は去年この大学に進学してきたが、幼い頃から自宅の庭の如くこの大学に遊びに来ていてこの校舎内のことをよく知っていた。

 そんな男は学内で迷うことなど決して無く、しかし相手が迷うかもしれない道もよく知っている。

 倉庫の中は物が散乱していて、それを避けて通る度に方向転換をしたり、逆にわざと曲がらなくてもいいところで曲がったりと相手が混乱するように招いていた。

 手慣れた様子で彼女を引き連れて歩く男は、後ろを歩くその女性が不安を覚えることなど承知の上だ。何だったら、敢えてそうなるように仕向けているとも言える。

 後ろを振り返らずとも彼女の表情が想像できている男は、得意気に女から見えなくて済んでいる表情を歪めた。

 男の頭の中にもまた後ろの女とは別に、もう一人の人物が交錯していた。


(…………あの野郎ぅ、今に見てろよぉお??)


 生意気だと思う顔を思い出しながら、男はこれからの企みに意識的に思考を移す。

 後ろを歩く女が怖がりながらも自分に付いてきている。ここまでは予定通りであり、予め手筈は整えていたこの状況とこれから行うことは、取り巻きには今度こそ絶対に邪魔が入らないようにと指示を出してある。

 これから向かう先では、既に色々用意は終わっているし、前回邪魔された分今回派手にやるつもりだった。

 もし途中で誰かに見つかったり邪魔が入ったとしても、ある程度のやつなら黙らせられる。その為だったら後ろの女も利用する気でいた。


 今までも散々遊んできた男だが、今回ばかりは彼も虫の居所が悪かった。それを発散すべくこの後の愉しい愉しいお楽しみの時間は、自身が満足するまで終わらせないことを心に誓った。


(道具もカメラも用意したしぃ。最初は連中に良いようにさせてぇ、途中で俺が満足するまで遊ぶぅう。かーんぺきっ!俺が満足したらぁ、その後は奴らにも好きなようにさせる旨も既に言ってあるしぃ??明日は講師の連中もいねぇしぃ、もし女が壊れたらしばらく放って置くのも楽しそうだなぁあア??)


 特に今回は特上だあっ、と考えたところで男は上がっていた口角を一度限界まで下げる。


(クソっ!あの野郎が邪魔さえしなきゃ俺が一番手に女の相手をしてやったっていうのにぃっ!!生意気だったアイツのお下がりとかマジで最悪だわぁァア゛っ!!?マジないわぁァア!!…………まぁ、でも??)


 そこまで考えたところで男は、またニヤリと口角を上げる。安定しない情緒も、男にとっては普段通りだった。


(あの生意気野郎が珍しく見せた隙だぁあ?これを利用しねぇ手はねぇわなぁあ??)


 ウッカリ笑い声が口から漏れないように固く口を閉じていれば、後ろの女が震え始めたのを気配から感じた。


「あーやっぱりこの道暗くて怖いよねぇ??親父ももうちょっと片付けしてくんねぇと、俺が恥ずかしい思いをするってのによぉ??」

「……………………」


 女は何も答えない。しかし、付いてきていることはその気配でわかっている。男は更に得意気になって一つ声を大きく上げた。


「俺、普段は理事長子息って言ってないのにさぁ?何でか周りの奴らが勝手に言い触らしてくんだよぉ。マジそぉいうの迷惑だよねぇ?…………そう思うでしょ??」


 女の返事も待たず言葉を重ねれば、そこで敢えて男は後ろを振り返る。そこにはまっすぐ怯えた瞳を、自身に向けてくる女が遂に足を止めたところが目に入った。


「あれぇえ??もしかして俺怖がられてたぁあ?大丈夫だぁってぇ。俺、女の子とか後輩とか、ちゃあんとカワイがる主義だしぃ?優しくするよぉお??」


 変わらず怯えた目を自分に向けてくる女に、男もつい口元が緩むのを感じる。


(あの野郎のお手付きなのがムカつくが、やっぱ特上なだけあるよなぁ??)


 いっそここで手を出してしまうのもありかもしれない。

 そう思考が行き着くも、これからの計画もまた捨てられない。

 どうしようかなぁー。

 と悩むふりをしながらも、これからやることは変わらない。


 なぜなら、もうすでに彼ら二人は一つの扉の前に辿り着いているのだから。

 どう考えても理事長が待っている場所とは思えない、人気のない埃が舞う空間の先に。


 男が扉の取っ手に手を付け、勿体振るように少しずつそれをゆっくり開けていく。

 その瞬間、女はようやく自分が騙されていたことに確信を持った。

 自身を見つめる男の表情は彼女の知る中でも類を見ない、非道な色で爛々と輝いていたのだから。


「お楽しみ部屋に、特上一人ごあんなぁいぃ〜」

「…………っ!!?」


 逃げようにも足場の物が多く、上手く後退れない。その間に目の前の男に腕と肩を掴まれ、逃げることは許されなかった。

 暗い倉庫の奥で、内から光の漏れるサビれた扉へと彼女は抗う術もなく引き摺りこまれた。


 こんな時でさえ、彼女の頭に過るのは一人の男であったことは彼女以外、誰も知り得ない。

 名前すらも知らない、彼であることなど。



────────────────────────



 遥か遠い。記憶の彼方で、誰かの体温を思い出す。

 それが誰なのか、私にはまだ、分からない。


『────』


 だ、れ?


『──────』


 何か、言ってるの?


『────、──』


 ……わた、し?


『────』


 あなたは、一体──っ?!



『──らし─────ェ──も』



 顔も声も、何て言っていたのかも思い出せない。

 それでも────。


『────』


 その温もりは、忘れられない。



────────────────────────



 腹の奥で、苛立ちが募る。

 コレまで感じたどの熱よりも、煮え立ち、燻ってくる。


 その理由もまた、分かっている。


「なあっ!本当にどうにかしてくれるんだよなっ!?」

「俺たちが情報を売ったことは内密にしてくれよっ?!」


 その根源たるのは、今も目の前で喚く野郎二人だ。


「黙れ」


 腹の中から溢れる感情のままに俺が黙させれば、連中も口先が微かに震えるだけで何も言わなくなった。


 ウゼェ…………。


 眼の前の情報に、心底吐き気がする。

 一番の面倒は俺が確実に、既に巻き込まれてることだ。


 あン野郎…………っ!


 勝手にしろ、好きにしろ。

 確かに俺はそう言ったが「巻き込め」なんざ一言も言ってねぇ。


「…………ンで、俺に頼み込むんだから、当然策はあンだろうな?」

「っ…………」

「そ、それはっ…………」


 チッ


 俺から更に圧をかけるように問いを提示したが、連中の反応からそンなもンの答えはねぇことがわかる。

 使えねぇ奴らだ。


 何度か舌打ちが溢れりゃ、野郎二人が揃ってビクつきやがる。


 クソがっ…………!!


 段々と頭が熱くなってくるのを感じる。それに反して、煮え立っていたはずの腹ン中は妙に冷えていく。

 普段であれば吐き気を催すモノだが、今は却って思考が巡る。


 無い頭で考えろ。

 どうすりゃ俺に一番被害が少なくて済むのかを。


「…………おい、アイツは理事長の息子なんだろう?その理事長様に頼ればいいじゃねぇか」

「い、今は、出張中なんだよ。連絡の仕方も分からない」

「言語サークルの奴らが遠征で、他校のサークルとも合同だからって、…………アイツが」


 チッ


 なるほどな。だからこのタイミングでってわけか。

 相手が理事長のガキならそこらの講師共じゃ牽制にもなりゃしねぇ。

 だからアイツに下る気もなく、今回巻き込まれた的でもある俺に声をかけてきやがったのか。


 イラつきが腹底に溜まっていくのを感じる。


 そもそも、ンでそれをこのタイミングで俺に助けを求めに来やがったんだコイツら?

 アイツが今回の事を計画したんなら、コイツらにも何らかの指示が出されてるはずだ。まさかそれを放り投げる覚悟があるンだったら、そもそも俺に話なんざ持ってこねぇ。


 やっぱ罠か……?


「頼むっ!もう時間がないんだっ!!」

「奴らが来るのも午後だって言ってたが、詳しい時間はわからないっ!!」


 手遅れになる前にっ。頼むっ!


 両の手を合わせて懇願の姿勢を取る連中を前に、俺はゆっくりと息を吐く。


 普通に考えりゃコレは罠だ。

 もしコイツらにその気がなくとも、こうなる行動をすることを向こうも既にわかってるのかもしれねぇ。

 そうじゃなきゃ、詳しい時間が分からねぇってことはねぇだろう。

 あるいはあン野郎がマジのポンコツかどうかというだけだ。


 アァ゛、腹が煮え繰り返る…………っ。

 苛立ちが留まることなく溢れ出てくる。


 いっそ、このまま殴り込みに行けばいいじゃねぇか?

 理事長とは連絡つかねぇ。講師どもは役に立たねぇ。

 俺が単体で乗り込めば、それで良いんじゃねぇか?


 …………クソっ!!足りねぇ頭じゃ答えは一つしか出ねぇ。


「…………場所は?」

「…………っ……」

「……え?……」

「場所はどこだっつってんだよっ!!」


 食い終わった皿を置いたままテーブルを殴りつける。

 ガンッと強く打ったそこは簡単に凹んでいた。

 そレと同時に跳ねた食器が、それぞれバラつき煩わしい音を立てる。

 周囲からただごとではねぇと判断したやつらがザワつきを増した。


 ウゼェーなぁ…………っ。


 いっそ俺が暴れ回ってサツを呼ぶのもアリか?

 場所が分からなきゃあ、暴れる場所も考えなきゃならねぇ。


「っ…………ば、場所は、南校舎のっ西側の倉庫だ!」

「う、っ裏口から、一番近いからって、それでっ」


 確かに計画の都合上、裏口に近ぇ方が何かと便利だ。この場にはいねぇ作戦に混ざる連中も、無事で済むのはあくまで理事長の息子頼り。

 以前までよく目にしていたみてぇなマジのやつらなら、それぐらいの警戒を持つ。

 だが、時間もマトモに聞かされてねぇコイツらの情報が完全に正しいとも思えねぇ。


 正門が東口にあンだから、そこはちげぇ。

 なら、西か?柵を越えりゃすぐに逃げることなんざできる。

 …………だが、コイツらが南校舎だって聞かされてンのに、回廊に繋がったアソコで計画を実行するのか?

 いいや、俺ならやらねぇ。


 やンなら絶ってぇに邪魔が入んねぇようにする。

 何が何でもっ…………!!


「…………最後に聞くがぁ、テメェらの役割は何だぁ?」


 俺が周囲に拾われねぇ程度に潜めて投げかけりゃ、連中は揃ってゴクリとその喉仏を上下させた。


 …………答え次第によってはこの場でヤるっ!!


 すると、目の前のやつらは互いに目を合わせて、その口を一度引き締め俺をまっすぐ見上げやがった。


「………………お、オレたちは────っ」

「────っっ、わりぃ」


 そして、俺の問とはまた違う予想していなかった答えがその口から洩らしやがった。


 ………………ウゼェ…………。


 眼の前の連中二人を前に俺はまた舌打ちを零した。



────────────────────────



『私は、──────』



────────────────────────



 ふと、夢の中でのアイツの声が聞こえた。


 …………うるせぇよ。黙ってろ


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