3話 真夏に、
見たときも、触れたときも。ソレが自分のモノであると確信した。
けれど、いざ蓋を開けてみりゃそれは全くのべつもンだった。
知らねぇ女。
そンな感想が素直に出てきた。
相も変わらず冷えた肌は、以前とは違い人間味を帯びていた。雪女か雪だるまそのものとさえ思えたソレは、全く違うモノだった。
生き物の熱を持つ女に、以前のような熱が自身には湧かなかった。
アイツは、本当に体のどこにも熱なンかなかった。
俺がソレを植付けてやらねぇと、すぐに氷のようになる女だった。
俺だって毎度女の相手をしてられるほど、あン頃は暇でもなかった。一日に何度も家と街と仕事場を往復し、時には帰らねぇこともありゃ家から出ねぇこともあった。
女は俺が家にいる間必要以上に俺に引っ付いてきやがったが、冬の間はマジで面倒だった。
特に冷える夜なンかは、夏のように女を腕に抱いて寝てられるほど俺は暢気でも悠長でもなかった。
それでもまるで寒さを訴えるような女に、俺は仕方なく数少ない布団を巻き付けソレをまるごと抱えて寝ることが常だった。
女は最初、寒さも暑さもわからないようだった。
俺が夏の間は女が引っ付いても文句の一つ言わず、かえって離れていることに苛立ちを感じていると気がつけばずっと側から離れなかった。
冬になって雪が降る頃に女が引っ付いてくることを何度かウザがれば、自身の体温の低さを自覚したのか自ら服や毛布を着込んでくっついてきやがった。
それでも、女がそんな行動を取るのに、二年ぐらいは必要だった。
だから、今目の前にいる女は違うとわかる。
何度も咳き込んでは、俺が手渡した缶に口をつけるコイツは俺の知らない女だ。
はっきり言って、もう相手にする気にもならなかった。
さっさと出ていけ。
素直にその言葉は口から滑り出ていた。
女は戸惑ったようだったが、慌てて自分の衣服を繕い出すと指示通りあっさりとこの部屋を出ていった。
…………どうせなら、真夏が見せた白昼夢であってくれ。
そンならしくもねぇ感想は、音となって口から零れることはなかった。
日が昇り、昼間の熱を思い出す地面は水をかければジュワッと湯気を放つ。
暑さに頭が眩みながらも、俺は普段通り大学に向かった。
「なぁなぁなぁーぁあ。聞いてくれよぉ。この前の特上の女ぁ、ちゃぁんと手筈は整えてたのに約束の場所に来なかったんだよぉ〜。……何か知らなーいぃ?」
「…………知るか」
またあン時の男に絡まれれば、嫌でもそれを振り払うが相手は簡単に去ってくれない。
でもよでもよぉ、と言い募る相手に俺は苛立ちのまま舌打ちを零した。
「めっっっっっちゃいい女でさぁ。なのに男の影もねぇーんだよ?あぁいう犯され慣れてない柔肌を傷めつけられなかったのはマジで残念なんだよぉー」
「知らねぇ」
何度振り払おうと付き纏ってくる男に、何度目かの舌打ちを溢す。なのに、珍しく相手は諦めが悪い。
一体何なんだ、と反吐が出そうになる中、相手の男は勝手にもスマホ画面を俺の眼前にかざしてきやがった。
そこに映っているのは────。
「なぁなぁなぁーあ?コレ、どういうこと??」
そう言って相手が見せてくる画面に映るのは嫌でも見覚えのある一組の男女だった。白い帽子を頭の上に被り、手を強く引かれる女と。そしてその手を引く────。
「…………もしかして、お前の女だった?」
珍しく苛立ちの伴う語尾を消した相手の言葉に、俺はまた無意識にも舌打ちを零す。
男がそのまま画面をスライドすれば女の手を引く俺が部屋にソレを連れ込む瞬間も、部屋から出てきたあとの女が髪も乱れ、ノースリーブのワンピースで隠しきれていない肌から誰にでも情事を思い起こさせる痕が幾つも覗ける。画面の中は暗くとも、そういうンは俺らのような輩にはすぐに察せられる。
「…………それともぉ、俺らが狙ってるの分かってて手ぇ付けたとかじゃ、ねぇよなぁ?」
「………………」
以前なら、このタイミングで殴って逃走。あるいは相手を更に煽って大事にするぐらいはした。
だが、ココじゃそれも満足にできねぇな……。
自然と舌打ちよりも先にため息が溢れるが、相手はそれだけで煽られたようだった。
「…………ぁなぁなぁなぁーぁあア゛っ!!興味も無さそうなフリしてやることがコレかぁァア゛っ!?特上だっつったよなぁァ?!テメェ一人でお楽しみするとかマジ何なわけぇェエっ!!?」
「…………」
うるせぇ。
思わずそンな感想とともに眉を顰め、片耳を抑える。
「べっつーにぃ??お前も楽しみたかったんならそぉ言ってくれたら良かったんだからなぁァ??そぉしたら付き合い悪いお前にも譲ってやるのが懐広い俺らだしぃ??でもよぉー…………」
バカがこれから喚く内容など大方察しはつく。
しくじったとは思わない。そもそも、コイツらが狙うような女に興味もない。何だったらコイツらが誰をカモにし、どう楽しもうが知ったこっちゃない。
そもそも、コイツが指す特上ってのが鼻からあの女のことなら、残念だがそう呼べるのは顔の部分だけだ。冷房器具のない以前ならば季節で特上扱いされるモノだったが、ココじゃそれも大した意味はねぇ。
しかし今回ばかりは互いに相手も、タイミングも悪かった。
俺は耳を抑えるのをやめ、片手で頭をかきながらこの場をどう処理しようか考える。
面倒くせぇ。うぜぇ。うるせぇ。
ンな感情がダダ漏れの俺に、相手は気が付いてんのか付いてないのか、更に声を張り上げてくる。
「その俺らに黙って勝手に俺らのカモで遊ぶとかマジ何なわけぇェエ゛っ!!!!マジないわぁァ。お前マジ最悪ゥヴぅーーーー!!!!」
…………うるせぇ。
向こうなら殴れば終わりだったのが、ココじゃそうも行かねぇ。せめて郊外、学外ならまだしもここはキャンパスの敷地内だ。
どうせなら推薦で入学した俺まるごとおじゃんになるならちょうどいいかとも思うが、そうなると今の条件付きの一人暮らしができなくなる。
…………いや、働きに出ればいいか。
しかし、もしコレで退学以外の罰則があったならそれはそれで面倒だ。
いや、でもどうにかなるかも知ンねぇし…………。
「その上スルーぅゥウ゛!!??マジ何なわけぇェエ??お前の性格の悪さピカイチだなぁァア゛?!?!…………舐めてんじゃねぇぞゴラッァア!!」
「……うるせぇ、黙れ」
グアッと啼く眼の前まで詰め寄ってきた顔を正面から鷲掴み、改めて足りねぇ頭で考える。
眼の前で未だ俺に鷲掴みにされた頭で喚く相手を無視して、その背後の連中にも軽く睨みを効かせながらここからどうするか順序を立てる。
…………メンドクセェ。
変わらねぇ自分の感想に、嫌気が走る。
いっそのこと、このまま殴っちまうのが早いが…………。
鷲掴んだ顔がまだ何か喚いてる。
そういえば、コッチでこういうンのを見ンのも久々だな、と暢気に考えていればその顔が何を喚いているのかようやく理解できた。
曰く「次邪魔したら殺す」らしい。
ンだよ、さっさとそう言え馬鹿。
あっさりと俺がその顔から手を離してやれば、ソイツはまだ何か喚いていた。だが、そンなことよりもコイツの顔を鷲掴んでいたせいで、手がコイツの唾だらけだ。
キタネェ。
以前なら気にもしなかったものだが、やはりココにいると嫌でもそう感じるようになる。
…………前と今、どっちがいいンだろうな。
今更、そンな疑問が頭を過る。
今まで気にもならなかったのに、突然そんな疑問が出たことに自分でも不思議になる。
「…………クソっ!次邪魔したらマジで許さねぇからなぁァア゛!!」
三下見てぇなことを喚いて、連中が去っていく。
次も何も、鼻から邪魔する気なんざなかったよ。
……それに、次にまたテメェらがアの女を狙おうが、もう知ったこっちゃねぇ。
敢えて低い音でため息を口から漏らせば、ソレは地を這いやがて沈み込んだ。ソコを踏みしめ、俺もまた講義の部屋に向かった。
「────あのっ!!」
「………………」
…………ンのはずだったんだが、また面倒なことになった。
「あのっ!お願いしますっ話を聞いてください!」
「………………」
後ろから勝手に付いてくる女を巻くために足を速めるが、相手は懲りずにそのまましつこく食いついてくる。
うぜぇ…………。
廊下を曲がり、外に繋がる出口扉をくぐる。
「待っ…………っキャッ」
次の瞬間、後ろから同じように出てきた女の腕を横に引き、扉にそのまま押し付けた。
「いい加減にしろ。これ以上俺に纏わりつくな」
声のボリュームを抑え、壁に追いやった女に俺はそう言い切る。
後ろから女の姿を見れば、ソレはやはり以前まで見慣れたはずの姿だった。
思わず顔を顰めたが、女は後ろ向きでソのことに気が付くことはねぇ。
「ンっ……、あ、あのっ私っ!」
「黙れっ」
掴んでいた女の腕をそのまま力強めて少し捻れば、ソイツは更に啼いた。
「…………っお、おねがいしますっ私っ──」
「………………」
どうやっても黙らない女に、俺は舌打ちを溢す。
だがソイツは、それに気が付くこともなく勝手に言葉を続けた。
「私っどうしても気になって……。何であの日、あんなにも素直にあなたに付いて行ったのか。何で、あんなことされても、何も言えなかったのか……」
「……知るか。興味もねぇ」
女の戯言に嫌気が差し、俺はそのまま手を離す。
ソの顔を見るのも嫌で背を向ければ、女は飽きずに更に言い募ってくる。
「私っ!普段あんなこと絶対にしないしっ、知らない人に付いてなんか行かないしっ!……本当にどうしてあんなことができたのか自分でも分からなくてっ。どうして抵抗の一つもしようとしなかったのかが──」
「うっせぇなっ!知らねーよっ。テメェで勝手に考えろやっ」
女の言葉に吐き気がしてそう怒鳴れば、相手は簡単に日和ったようだった。
テメェのことなんか知らねぇっ。心の底からそう吐き捨てる。
その顔も。髪も肌も声も、全部が知らねぇ!
俺の知るもンじゃねえっ!
熱くなった頭に怒りが生じてくる。
自分でも何にそンな腹を立ててんのかがわからなくなる。
気に食わない。腹立たしい。イラつきしかないっ!
抵抗できなかっただぁ?!そんなのテメェが勝手にヨがっただけだろっ!
普段あンなことしないっ?!知らねぇよ。興味もねぇ!
なんで付いていっただぁ?!っ俺こそ聞きてぇよ!なんで付いてきやがったンだよっ!!
あのまま嫌がって貶して罵倒してっ、俺を全身で否定してくれりゃあ!!それならっ!!
…………それなら、あンなことになんざ、ならなかった。
全部、無抵抗だったテメェが悪い。
経験なんか関係ねぇ。
付いてきたテメェが、否定しなかったテメェが悪い。
俺なんかに付いてきたテメェが。
俺みたいなアブねぇやつを受け入れたテメェが。
そんな顔や髪や肌や声をしてるテメェが全部悪い。
俺みてぇなやつに目つけられるテメェが全部悪い。
アの日も。アの時も。全部全部っ、最初からっ!!
俺の前に現れたテメェが全部悪いっ!!
思考がそう結論を出した瞬間、俺は手近な扉をガンッと強く蹴りつけた。それから何度かソレまでの思考が胡散するようにガンガンッと力を込め繰り返し続ければ、耐えきれなくなったのか女の方も両の手で耳を塞ぎ俺に背を向けた。
「もうっ俺の前に現れるなっ!姿を見せるなっ!テメェのことなンかっ、二度と知りたくねぇっ!!」
最後に一段と強く扉を蹴りつければ、その部分が軋み凹んだのが視界に入った。
「……………………」
何も言わない女に、俺は今度こそ背を向けて歩き出した。
こンな女、二度と構いたくもねぇ。
そうもう一度、一人心のなかで吐き捨てた。
同時に漏れた舌打ちは閑散とした空気を揺らし、かえって俺の頭にこびり付いてくる。
背後を振り返ることもなく、俺はまた舌打ちを一つ零した。