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2話 出逢い



 目が覚める度に、自分が苛立ちを感じることに毎度嫌気が差す。



 ムクリと起き上がり、大きな口で欠伸すれば夏の暑さに蒸した部屋に舌打ちを零した。

 親と高校時代の頃の教師に無理やり推薦で入れられた大学にペンもノートも持たずに手ぶらで向かえば、反対方向に歩いていくスーツ姿の男と何度かすれ違う。

 もう慣れた光景だが、嫌でもそレに舌打ちが溢れる。

 こンな暑い日にあの()()があれば、と脳が思考を向ける度に、俺はまた舌打ちをする。


 19年、ココで生きているというのに俺は未だにあの夏を忘れられずにいる。

 夏という季節が来る度に、あの暑さほどじゃないと分かってはいてもあの冷気だけは欲しくなる。特に真夏の夜はそれが自身の傍らに居ないだけで、勝手に舌打ちが溢れた。


 あの女はどこにいやがる。


 ウチに居着いてから夏だろうが冬だろうが引っ付くようになってきたあの女は、気が付いたらいなくなってた。

 …………いや、気が付いたら俺が()()に居た。と言う方が正しいんだろうが、ンなの知ったこっちゃねぇ。

 夏ならまだしも、たとえ家の中だろうが凍え死ぬんではないかと思える真冬にまで俺から離れなかったあの女が、今は姿も見えねぇというだけで腹が立つ。


 ガンッ、とすれ違いざまに男の一人と肩がぶつかれば、相手はコチラを振り向き次の瞬間には怯えたように謝罪してすぐ走り去っていく。

 そういえば、俺の見た目はあの頃と何ら変わってないらしい。前も前で、今去っていくやつと同じようなやつは沢山いた。

 日に焼けたような褐色の肌も、普段から釣り上がるこの目つきも。あの頃と何も変わっちゃいない。


 なら、あの女も……。


 そう思考を回そうとする自分に気がついた途端、俺はまた舌打ちをする。

 たった今すれ違ったやつが怯えるように俺を振り向いたのが気配でわかったが、俺は振り返ってはやらなかった。どちらにせよ、この反応はもう慣れきっていた。



 大学に着けば顔パスで警備のオッサンが中に通してくれる。以前は手帳だの身分証明書だのを提出しろと宣っていたが、毎度無視してやりゃあ相手も諦めた。

 自然とまた舌打ちを零せば、視界の端で過去に見慣れていたはずの白いモノが過る。チラリと視線を向けたが、ソコにはやはり何もなかった。


チッ


 ココに来て、一体何度目だ。

 舌打ちとともに自然とため息も溢れれば、俺はいつも通りの場所へと足を向けた。


 元々、大学になど来る気はなかった。高校を卒業したら適当にそコらで働く気だった。以前とは違いどこで働いてもある程度の保証がされているのが当たり前のココでは、自分の身の心配をすることもなく働ける。そして、頭の足りねぇ俺はその方が性にも合っていると自覚していた。

 だがココに来て、親とは面倒な生き物だと初めて知った。前はそんなもン俺には無かったが、親という生き物はアソコまでテメェのガキのことばかり考えられるのかと、ある意味で驚いた。

 俺が知ってる親は、逆にテメェのこともマトモに考えねぇようなクズばかりだった。今ではあんまり覚えちゃいねぇが、血の繋がりも信用ならん生きもンとだけは記憶にしていた。

 …………世の中にはあンな親もいるんだな。

 と、そんな感想を抱いたことがある。



「…………おっ、今日は来たんかぁ?最近顔見ねぇから心配してたんだぞぉ〜?」

「…………嘘こけ」


 いつも通りキャンパスの一角に向かえば、変わらずそコに屯する連中がいる。その一人が俺に気がついたように声をかけてきたが、ハッキリ言えば俺もうんざりしていた。

 そもそも、ここは俺の場所だ。

 時間潰しのためにここで昼寝をしていたら、勝手にコイツらが湧いてきやがった。

 さっさと失せろと何度言っても、言葉の通じない奴らは勝手に俺を仲間扱いする。


「なぁあー。今度カモる相手見つけたんだけどよ、お前も来ねぇ?」

「………………」


 俺が無視を決め込んでも「無視すんなよぉ」と勝手に肩を組んできやがる。片手でそれを払うが、相手も慣れたようだった。


「今度のは女でさぁ。……顔も特上だぜぇ?」

「……テメェの分前減らしてどうすんだ」


 毎度何故か俺を誘ってくるコイツはマジで何考えているのか分からん。いや、なんとなく予想は付くが馬鹿じゃねぇかと思う。


「えぇえ〜??お前確かに顔コエーけどさぁあ。やっぱそれも使い道アッてこそじゃぁん〜?…………それに、どうせお前だってコッチ側だろぅ〜?」

「………………」


 そういえば、と男の言葉が嫌でも耳に入ってくるのを聞き流しながら思う。前は、確かにそんな生活が当たり前だったなと。

 あの夏以前は、ソこらの女を引っ掛けるのも俺にとっても普通だった。金を払ってやることもあれば、逆に金をぶん取ってやることもあった。

 今思えば、ぶん取るのは良かったが払ったのは惜しかったなと思う。


「なぁあ、今度の金曜なんだよ。もう手筈は整ってんだぁ」

「なら計画がオジャンになる前にさっさと俺から手を引くんだな」


 軽く脅し意識せずとも鋭い目つきで睨めば、相手もそれ以上は突っかかってこなかった。

 チッと相手が舌打ちすれば、他の連中もトンズラこきやがった。根性もねぇ奴らだ。


 確かに、以前ならこの話にも乗っていた。屯うのはデメリットもあるが、その分タノシイこともある。

 でも何故か、ココに来てからというものそういうのには乗り気がしなかった。


 以前とは違う環境のせいだろう、と俺は適当に当たりをつけ、以前よりも法だの治安だのと煩い人垣の中に俺もそのまま埋もれ戻った。


 …………また新しい昼寝場所を探さなくちゃならねぇな。


 そんな面倒を考えながら、俺は仕方なく講義の部屋に向かった。



 チラリと、また白いモノが視界を過る。

 もう慣れたものだが、いい加減ウザってぇ。

 一度確認するように顔を上げるが、やはりソコには何もない。自然と舌打ちがまた溢れた。


 それから何日か暑っ苦しい日が続き、大学に向かうのもまた面倒になってきた。

 しかし、何故かココに来てからというもののそんな暑い日にはどうしても家でじっとしてられねぇ。

 今じゃ学校に通うためだと実家も出て一人アパート暮らしだというのに、誰も居ねぇ部屋が妙に居づらい。こンなこと、前も今までも無かった。


「…………あちぃ」


 わざわざ大学近くの自販機でアイスを買えば、取り出した途端にソレからは水滴がこぼれた。

 さっさとソレに口をつければ、口の中は幾分と涼しくなる。


 溶けねぇぶん、あの女の方が舌触りも冷たさもちょうど良かったな。


 そンな感想を毎度抱く自分に、反吐が出るほど飽き飽きする。

 前はアイスどころか氷も手に入らなかった。そう思えばココは随分と生きやすい。大体のことを周囲に合わせてりゃ生活も楽だ。勿論、鼻から頭まで合わせて生きることなんざねぇが。


 溶ける前にソレを丸ごと口の中に突っ込もうとしたとき、また視界に白いモノが過ぎった。


 いい加減にしやがれ。


 振り払うように腕を仰げば、予想外にもソレは何かに打つかった。

 なんだと思って視線だけを向ければ、今度は気の所為ではなく間違いなく白いモノが視界に収まった。


 ボタリと、アイスの欠片が手を伝い地面に落ちる。

 ソレを気にする余裕もなく、目の前の光景に俺はただ釘付けになった。


 ソコには女がいた。


 白いノースリーブと呼ばれるワンピースを一枚身につけ、あの頃と変わらない姿に唯一異なるのは頭に被った白く、つばの広い帽子だった。


 陰のできたソこから、女は真っ直ぐコッチを見ていた。


 地面に落ちた欠片を気にすることもなく、俺は数分の間ただ目の前の光景に呆然とした。

 あの頃と何も変わらない女の姿は、相変わらず氷の塊かと思えるほど白く軟そうだった。

 釣られるようにその腕に触れれば、かつてと同じ冷えた肌を指先に感じた。いや、よくよく確かめればソコには人間らしい熱が微かに伴っていた。


 それでも、そこからの俺は何も考えることはしなかった。


 女の腕を了承もなしに無理やり引き、自身のアパートまで連れ込む。

 前ほどの暑さじゃねぇのに、頭の中はあン頃と変わらず熱が籠もっていた。

 部屋の中に入ればカギをかけることもなく、俺は女の肌に吸い付いた。熱した頭を押し付け、女の腰を強く引いた。

 その間、やはり女はなンの抵抗もしなかった。


 やっぱり、あの女だ。


 初めて確信抱いたように錯覚した俺は、そのまま女の髪を頭後ろからかきあげた。

 熱した頭が女の肌で少しずつ冷めていく。それを久しぶりに体感しながら、俺は部屋の奥へと女を引き込んだ。


 もう、止まらなかった。


 あの頃と同じように女の体を抱けば、やはり女は抵抗の意思一つ見せてこない。

 何度目かの確信を得ながら、俺は床に女の体を押し倒す。クーラーが効いたはずの部屋の中でも俺は止まらなかった。

 頭の中は未だに熱が籠もり、それを冷ますように意図的に何度も女の肌にそレを押し付ければ、あの時とは違い女の方から俺の頭を抱えてきやがった。


 …………ンなこと、あン頃には一度もなかっただろうが。


 そんな文句が、俺の口から音となって出ることはなかった。

 ただ、今は以前とは違い最初から人間味のある熱を持つ女に、俺は初めて興奮を覚えた気がした。

 何度も確認するようにソこに吸い付けば、簡単にそレには新たな熱が灯る。


 人間だ。


 そう感じる。自然とそう思える。

 ──────なのに。


 ガブリとその首筋に噛みつけば、そこには簡単に痕が残った。それと同時に「んン゛」と唸るような声が女の口から漏れ聞こえる。

 そして、俺は更に強くその場所に噛み付いた。

 そのまま、女のあらゆる場所に痕と熱を植付けていく。噛んで、吸い付いて。何度も熱を吐き出す。


 全部の熱が冷めきった頃に、俺もようやく力尽きた。

 だが不思議と満足感は薄かった。

 常人のものとは思えねぇほど冷えていたその肌は、今では完全に熱を伴っている。

 冷めたはずのソこは発熱しているように熱かった。


 外の暑さを思い出さねぇようにあン頃と同じように女の体を抱きしめれば、やはり女は無抵抗だった。


 …………何でだ?

 尽きたように失いつつある意識の中、俺は疑問だけが残った。

 腕の中の女を、今度こそは逃すまいと力を込める中。俺は視界の端に落ちたあの帽子を見た。


 どんなに俺が熱を与えても、痕が消えると同時にソレを消していたはずの女を腕に抱いたまま。俺はあの頃とは違うという違和感に、脳を締め付けられていた。

 俺が与えずとも、初めから人としての熱を確かに持っていた女を、この腕に抱いたままに。



 目が覚めても、女は変わらず腕の中に居た。

 一瞬、あの頃に戻ったのかとも思ったが見慣れない、けれど確かに見慣れた部屋が視界に入り、それと同時に眠りにつく以前を思い起こす。

 腕の中に抱いた女は、未だにその肌が発熱していた。

 一度あの頃と同じように吸い付いてみたが、そこは当たり前のように汗を吹き出した。


「…………ん……ン」


 女の口の隙間からわずかに漏れたその声に、俺はやはり違和感しかない。


 まるで、人間みたいだ。


 今目の前にいる女が人間でないはずがないのに、俺は何故かそんな感想が出てくる。

 そんな自分に疑問が生じ、すぐに打ち消す。意識を手放す前は「もう逃さねぇ」と考えていたはずの頭をかきながら、自然と女を抱えていた腕も解いた。

 ムクリと起き上がり、時間を確認する。

 もうアイスは買いに行けねぇな。


 もう一眠りするのが通常のことだが、随分と早くに寝始めたせいか目はもう冴えている。

 女はまだ寝ていたが、俺は自然とその隣から抜け出した。

 冷蔵庫を開ければそこに酒瓶はなく、冷えた缶を手にとってまた閉めた。

 プシュッと音が狭い部屋に響き、女の声がまた耳に入る。

 缶の中身をあっという間に飲み干せば、アルコールの入っていないそレはどうにも物足りない。


 ココじゃ買うのも楽じゃねぇ。


 後ろを振り返り、女の体を眺める。やっと見つけたソレは、どうしたって……────。


「…………ね、っェ、あなた、だれなの……?」


 突然、眠っていたと思った女がそう声を出した。初めて聞く女のもたついた声に、俺は今更になってようやく目が覚めたように錯覚する。

 冷蔵庫からもう一本取ってそのフタを開ければ、その音はまた同じように部屋に響いた。女の問には答えず、そのままそれに口をつければケホッと薄い咳が耳に入った。

 半分以下になったソレを無言で女の前に突き出せば、女は素直にそれを両手で受け取った。


 この時、俺は一瞬の錯覚を覚えたがそれはすぐに途切れた。


 確認するようにコッチに視線を向けながら、女は恐る恐ると行った様子でそレに口をつける。その瞬間ゲホッとまた咳き込んだ。まるで飲み慣れていないような反応に、俺も意識が緩んだ気がしたが、ソレもきっと気の所為だった。


 溢れた水滴が顎から喉を伝い、起伏の浅い谷間へと落ちていく。すぐにソレを拭こうと女は慌てたが、そこに拭けるモノは俺の布団くらいだ。

 また確認するように俺に視線を向けてくる女に、今度は俺から視線をそらした。


 馬鹿らしい。


 そんな感想を口の中で溢せば、女はまるで聞こえたかのように肩を揺らしたのが視界の端でわかった。


「誰でもねぇよ。赤の他人だ」


 長い時間を空けて俺からの答えをようやく聞けた女は、また慌て始めた。「どうして」「なんで」と口から単語が漏れるたびに、俺は吐き気がしてきた。


 …………コイツは、()()()じゃねぇ。


 見た目こそはアイツそのものだが、コイツが何か動きを見せるたびに思い知らされる。

 この女は、他人だと。


 騙された。


 俺の心境はそれだけだった。


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