美女と黒騎士の出会い
エルヴィアがミランダと出会ってからもう5年。相変わらず二人は仲の良い姉妹か友人のような関係を保っていた。
「いらっしゃいませ!」
「おー、ヴィーちゃん。二日酔いの薬くれるかぁ?」
「はい、今用意しますね」
森の薬屋の仕事も相変わらず。様々な薬の作り方を習い、今ではエルヴィアが調合した薬も一緒にこの店で売っている。
定期的な現金収入によって領地運営も以前より安定したし、エルヴィアが17歳になり以前よりも執務の裁量権が増したことで負担も減った。なにせ余計なことしかしない両親は、存在するだけで仕事を増やすのだ。「面倒な仕事は私が片付けますから」などと丸め込み、すっかり領主の仕事から引き離してやったのだ。呪いのかかった体は粗食でも決して痩せなかったが、食べれば食べただけ太りはするらしい。今では動くのも億劫そうな巨体になっている。大人しくしていてくれるならばそれでいい。
パウロは相変わらず元気に働いてくれているし、領民の中から文官として筋の良い者を後継者として教育も始めている。これまで領主のブサイクな娘として働きかけてもうまく行かなかったことが、領主の元で働く美しい娘となって行うだけでとんとん拍子に上手くいくのは、有り難くもあり複雑な気持ちにもなるけれど。
とにかく森でミランダと共に過ごし、ただのヴィーという娘として過ごす時間は、エルヴィアにとって心の癒しになっていた。
ゴトンと音が鳴り、店の扉が開く。今日は天気が良く、隙間から差し込む森の光が強く鮮やかだ。
「いらっしゃいませ!」
すっかり慣れた営業スマイルで(ミランダ曰くやり過ぎると虫が湧くらしいので、ほどほどに)お客様を出迎える。
ドアをくぐって現れたのは、黒い騎士服をきっちりと着込み、腰に剣を差した逞しい長身の青年だ。黒髪は短く清潔に切り揃えられ、意志の強そうな眉が凛々しい。エルヴィアより色の濃い紺色の瞳に高い鼻、唇は薄くて今は引き結ばれている。
ミランダが一眼で気に入りそうな美しさだな、とこっそり観察していれば、こちらに目をやった青年は目を見開き、ハッと息を呑んだ。
長い脚で三歩ほど床を鳴らしあっという間に近付いてきたかと思うと、青年は俊敏な動きでがばりと頭を下げた。
「──っえ」
「あの時は本当に申し訳なかった!!」
「……は?」
あの時。あの時とは。一瞬の動揺の後、脳をフル回転させて記憶を辿ってみるものの、エルヴィアにはこのような美男子に関わり合った記憶がない。たまにナンパの手段として「この前会ったよね」などと出鱈目な台詞を吐き、勘違いからの謝罪からの改めてお知り合いに〜といった技を使ってくる者もいるのだが、そのパターンにしては青年の謝罪は極めて真摯であった。
「えっと……ごめんなさい、なんのことでしたでしょうか?」
眉をへの字に、ゆっくりと頭を上げた彼は肩をしょんぼりと下げながら口を開いた。
「10年ほど前か……ベルモンド家で行われた茶会があったでしょう。あれは非公式に王子殿下の妃候補と側近候補を見極めるため、該当年齢の子息子女達を集めて行われたものでしたが。そこに貴女もおられましたよね?」
ベルモンド家は国内有数の権力を持つ公爵家だ。該当年齢の子どもたちは皆参加が義務付けられていた為、普段社交をほとんどしないアドルノ家でも渋々顔を出さざるを得なかった。ドレスを仕立てられず、母の古着を直すのに大変苦労したことを覚えている。
「ああ、えっと…………どうでした、かしら……」
「おられたのです。貴女は。そして私は、大変な間違いを犯した」
その日エルヴィアは、会場の隅で目立たぬように大人しく過ごしていた。アドルノ家は醜い容姿で、そのくせ家族以外の他者を平気で蔑み侮辱するような発言をするため、明確に貴族社会で避けられていた。おそらく呪いの件も知られていたのだろう。両親もその歓迎されない空気は分かるらしく、醜い者たちと同じ空気など吸いたくないと嘯いて社交はほとんど行っていなかった。エルヴィアもまだデビューする年ではなかったし、既に執務の勉強と補佐を行なっていたため忙しく、お茶会に呼ばれるような友人知人もいなかった。そのため公式な場に出たのは、あの日が最初で最後であったのだ。
幼い子どもたちほど素直で、残酷だ。エルヴィアの姿を見て嘲笑う者、嫌な顔をする者、関わりたくないと距離を置く者。予想していたことではあったけれど、実際その場に身を置くと、居た堪れない思いであった。
普段ろくな食事を摂ることが出来ていないから、会場の隅に用意された軽食はエルヴィアの目を引いた。けれどそれに手を出せば、また余計な嘲笑を受けることも分かっていた。だから、ただそちらの方をぼうっと見つめることしか出来なかった。
「──あ……」
軽食を手に取るひとりの少年の胸元から、はらりとハンカチが落ちる。少年の金髪に合わせたような、豪華な金糸で刺された繊細な刺繍。それがとても素敵に見えたから、あのまま気付かれずに誰かに踏みつけられるのは惜しいと思ったのだ。
友人らしき数人と談笑している少年は、落ちたハンカチに気付いていない。だからそっと近付いてそれを拾い、綺麗にたたみ直すとエルヴィアは小さく声を上げた。
「──あの、こちらを落とされましたよ」
「……っ、急に寄るなブサイクが!!」
さっと振り返りエルヴィアの醜い姿を目にした金髪の少年は、顔に憎悪を滲ませて後ずさった。
「あ……えっと、ハンカチを……」
「お前のようなブサイクが触れた物などいらん!! 近寄るな、呪いが感染る!!」
彼は手にしていた皿からパイのようなものを鷲掴むと、エルヴィアに向かって投げつけた。
びしゃりと音がして、胸元にひき肉がへばりついた。必死で直したドレスに肉汁が滴り、汚れていく。エルヴィアはその様子を見つめながら、このミートパイはどのような味がしたのだろうか、と考えていた。
「お前たちもあのモンスターを退治しろ! 近付くと呪いが感染るぞ、そら、投げろ!」
少年がそう叫ぶと、周りの数人たちが戸惑いながらも、エルヴィアに向かって食べ物を投げつけた。縮れた髪にはクリームのようなものがへばりつき、サンドイッチがバラバラに分解しながら降り注ぐ。
少年たちは的に球を当てる遊びのように楽しくなってきたのだろう、どんどんと飛んでくる様々な物を、エルヴィアはただ身体で受け止め続けていた。
勿体無いな、と。食べ物で遊ぶなんてバチが当たりそうだな、と。
ドロドロになったエルヴィアを見て、流石にこれはまずいと思ったのだろう。最後にエルヴィアは公爵邸の立派な噴水に突き落とされ、「転んで噴水に落ちた」ことになった。地面に落ちた食べ物の残骸で大人たちも何が起きたのかは分かっていた気がするけれど、エルヴィアも何も言わなかった。
ただ一枚だけタオルを借りて髪と服を拭き、濡れて少し縮れが緩まったピンクの髪を見ながら家に帰ったのだった。
ハンカチは、いつのまにかどこかに消えていた。
「──私もあの日、貴女に食べ物を投げました」
強く握られた拳が白くなっている。
「貴女は、何も悪くなかったのに。むしろ親切に落とし物を拾い、届けただけで、何故……何故あんな真似を出来たのか……」
「集団心理、のようなものは得てしてありますわね」
「それでも、それでも私は、謝るべきでした。あの後だっていくらでも機会はあったはずなんだ。けれど……怖かった。あんなことをしてしまった自分を認めるのが怖くて……少し調べれば貴女の名前だって分かったはずなのに、聞いていないからと……名乗りあっていないのだから手紙だって出せないし……いや、違う。僕のことなど分からないだろうと、皆も同じようにしていたのだから、黙っていれば分からないだろうと、思ってしまったのです」
記憶の隅に、黒髪の少年がよぎる。金髪のきらきらしい少年の側に侍る、小柄な彼の姿が。少しおどおどとしていて、皆が物を投げつける中で泣きそうにしていた。
おそらく、金髪の少年は高位貴族で──もしかしたらベルモンド公爵子息だったのかもしれない──彼が命じれば、下の爵位の子息たちは断ることは出来なかっただろう。やらなければ今度は、自分が裏切り者だと誹られるかもしれない。
黒髪の少年が震える手で手にした小さな砂糖菓子は、軽くて、小さくて──風に煽られ、エルヴィアに届く前に地面へと落ちていった。
「──貴方を、許します」
彼はきっとあの日のことを忘れられずにいたのだ。誰よりも己を許せずにいたのだろう。10年も前の記憶を、こうして鮮明に思い出せるほどに、何度も繰り返し悔やんできたのだろう。
「私は、確かに傷付きました。けれど、貴方も同じように、傷付いた。だからもう、いいです。私は貴方を許します。貴方も、貴方を許していいのです」
立派な騎士服を着て、国の紋章の入った剣を差して。逞しく鍛え上げられた筋肉、大きな身体。爪の跡が赤く滲む手はゴツゴツと節くれだって、日々鍛錬を積んでいるのだろうと想像できる。
そんなひとりの大人の男が、今にも泣きそうな少年の姿と重なった。
「──ありがとう……」
弱く微笑んだその顔はどこかすっきりとしていて。
小さなエルヴィアが傷付いて流した涙ごと、しゅわりと溶けて消えていったような気がした。
「ところで、あの頃の私と今の私は全く外見が違うはずなのですが……何故、私だとお分かりになったのですか?」
そう、彼が砂糖菓子を投げつけたエルヴィアは呪いのかかった姿だったはず。そして今はその呪いを解いてもらい、全く違う姿に変わっているのだ。
両親や兄こそ、その呪いの影響でエルヴィアだと認識されているけれど、その他の者たちには同一人物だとは気付かれないほどの変化だ。使用人たちには自ら説明して分かってもらったが、街の者たちにはいまだにバレていない。もし分かっていたら、あれほど蔑んだモンスターハウスの娘を口説いたりなど出来るはずがないのだから。
「外見が違う、ですか? その砂糖菓子のように甘そうなストロベリーブロンドも、晴れた空のように透き通った碧眼も、鈴の鳴るように美しいその声も、何もかもあの時のままでしょう」
心底不思議そうに首を捻った青年は、当然だというようにそう言った。
エルヴィアは目を見開いたかと思うと、カッと頬を赤く染めた。心臓がドキドキと跳ね、変な汗が出ている気がする。
「──っえっ、あっ、あっ……りがとうございます……?」
今の姿になってから、エルヴィアはモテるようになった。甘い口説き文句も、見た目を褒めちぎる言葉も沢山かけられた。
けれど、あの頃の自分ごとこんな風に褒められたことなど一度もなかった。
風が吹くように受け流せていたはずのそれを、今回は何故かうまく流すことができないのだった。
──恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい! あんなモンスター級ブサイクだったのに、そんな良いとこ見つけてくれちゃう?! 私ってばこういうの慣れてないんだよぉぉー!!
急にもじもじとして頬に手を当てるエルヴィアを見つめる青年の目は、どこか熱く潤んでいて。
しばらくの間、ふたりは無言のままなんとも言えない時を過ごしたのだった。