ブサイク令嬢の日常1
「エルヴィア! あなたったら、まぁた使用人に施しをしたの?」
「そうなのか、エルヴィア。貴族の威厳というのも大切だといつも教えているだろう?」
「はんっ、変わり者のエルヴィアはいつもいつもブサイクどもと遊んで一体何が楽しいんだ? 俺には全く理解できないぜ」
エルヴィア・アドルノは今年12歳になる子爵令嬢だ。農業主体の小さな領地で、貴族とはいえ贅沢もできないカツカツの税収で暮らしている。
「……ごめんなさい、お父様、お母様。施しと言っても、庭で育てた薬草を少し分けただけなので……」
「まぁっ、また土遊びをしていたというの? あんなものは下々の者たちがやる仕事でしょう。わたくしたちの手は高貴なものなのですから。そんなことで汚しては貴族の沽券に関わる問題ですよ」
「お前だってあと数年もすれば社交界に出て嫁ぎ先を探さねばならぬのだからな。余計なことをして悪評を立てられても困るのだ」
「そうだぞ。俺だってそろそろ俺の美貌に見合う婚約者を探そうかと思ってるんだからな。くれぐれも邪魔になるようなことはするなよ」
「……気を付けます」
ゴテゴテとした装飾のついた服を翻し、去っていく家族たちを見送る。
カツカツ、なのだ。この家は、本当に。
それなのに、領民や仕えてくれている使用人たちまで蔑ろにし、自分たちの贅沢のためにしか金を使おうとしない両親と、それに追随する兄。
ため息しか出ないけれど、それでもなんとかいまだにこの領地が潰れずに済んでいるのは、他でもないエルヴィアが政務を補佐しているからなのだった。補佐といっても領主である父のではなく、優秀な家令の補佐である。仕事を教えてくれたのは全てこの老齢の家令であったし、10歳をすぎた頃からは手伝いの域を超えて協力しながらやってきたという自負もある。
貴族令嬢としての知識は侍女長に教えてもらったし、それ以外の知識は家の図書室と、領地にある公営の図書館に通って本を読んで身に付けた。何代か前の領主が本好きだったらしく、ただ保管するにも場所を取るということで、領民向けに開放したのだそうだ。なのでかなり古い本ではあるけれども、歴史や自然などの知識は他の令嬢よりも深く身についているのではと思っている。ご先祖様に感謝だ。
それにしても、と、爪に少し土の詰まった自らの手を見下ろす。
ぷくぷくとしたクリームパンのような手だ。
裕福な生活ではないから、日々の食事とて豪華なものでは決してない。野菜の入ったスープと日持ちのする硬いパン、チーズと、たまに森で獲れた野生動物の肉が出たらご馳走だ。そんな食生活なのに、エルヴィアは丸々と肥えている。父も母も兄もだ。遺伝的に太りやすいのだろうか。
それに「高貴な手」などと言った母の手は、青くまだらにあざのような模様が浮いている。生まれつきのものなのかなんなのかエルヴィアは知らないけれど、正直に言えばあんなに自慢げに振り翳せるほど美しいものではないと思っている。使用人たちが水仕事をして荒れた手の方がよほど美しいじゃないか、と思うのだ。
同じまだらの模様が、実はエルヴィアにもある。お腹から足にかけてなので、普段は人に見られることもないのでさほど気にしていないけれど──結婚するとなると話は別だ。夫となる人には確実にそれを見せなければならないし、そもそもあの両親の間に生まれたエルヴィアは見事に二人の見た目を受け継いだサラブレッドブサイクであった。こんなのを嫁に欲しがる人なんているわけがない。領地に魅力があればまだ政略結婚が期待できたかもしれないけれど、タダでも要らないと断られそうな不良債権領地の娘だ。
兄にいまだ婚約者がいないのも、同じ理由だろう。嫡男にも関わらず、15歳で婚約者がいないなど普通はおかしい話なのだ。
物心ついて、初めてエルヴィアが鏡というものをのぞいた時。そこに映るブサイク幼女の姿に、エルヴィアは戦慄した。
「わあ、前世の私よりずっと可愛い美少女だわ! ……ていうのがセオリーじゃないの?」と。
鞠のように丸い身体に、梳いても梳いても縮れたままのピンク色の癖毛は母譲り。瞳は父と同じ綺麗な碧眼だけれど、瞼が重くて垂れ下がっているので見えやしないし。鼻は上を向いていて豚のようで、実際夜寝る時は自分のイビキでよく目覚めてしまう。太っているからだろうか? 今世こそ長生きしたいのだけれど……。
そう、エルヴィアには前世の記憶というものがあった。日本という国でOLとしてバリバリ仕事をこなし、30歳頃で死んだ女性の記憶だ。事件が事故かはたまた病気か、そこら辺の記憶は定かではない。ただ一人の女性の人生という長い夢を見たような感じ、とでも言えるだろうか。
ただその夢のおかげか幼い頃から教えられたことはすぐに覚えられたし、幼少期から領地経営の補佐も行えるほど優秀で、周囲の人たちからは才女と呼ばれていた。まぁ、中身は30歳の精神だったのだから当然ともいえるのだけれど。
そんな特殊な事情があったため、エルヴィアと家族の間には見えない大きな壁が存在していた。
領主であるにも関わらずまともに働かない両親と、それに追随して怠け、更には他者を虐げ蔑む兄。最も理解不能なのは、その彼らが自分たちこそ世界で一番美しい容貌を持っていると信じているという点だった。
もしかしてここは美醜逆転の感性の世界線なのか……? と最初は疑った。だとしたら、ハイブリッドブサイクである自分にもモテモテハーレムルートがあるのでは? などと。しかし、使用人たちによる陰口によってそのルートは儚く散った。
「当主様たちって頭がおかしいのかしら」
「私も言われたわ、貴様らのようなブサイクが近付くな、でしょ」
「ココがなんて呼ばれてるか、知らないのかしら」
「「モンスターハウス!!」」
若干傷付いたが、やはりなという思いの方が強かった。だって事実だし。モンスター顔だし。
自己評価が高いのは別に構わないけれど、その謎の自信で周りの人たちを貶したり、嫌な気持ちにさせるのは間違っていると思う。
態度が悪いせいで社交界でもアドルノ家は評判がすこぶる悪いようだし、このままエルヴィアが社交界に出る年齢になったとしても、良い嫁ぎ先など期待は出来ないだろう。別に仕事が嫌いではないから、このまま領地経営の仕事を続けるという選択肢もないわけではないのだが。
生まれ持った容姿は今更どうにも出来ないけれど、せめて内面だけでも綺麗でありたい、とエルヴィアは思う。だからこそ使用人たちが何か困っていたら手助けするようにしているし、領地のためになりそうなことなら一生懸命に努力していくつもりだ。
両親たちは、エルヴィアの見た目に関しては「母に似て美人だ」「可愛い」「将来が楽しみだ」などと言うけれど、それが世間一般にはおかしな感性だということを知っている。そして、彼らの中では尊重する価値のないブサイクである使用人たちや領民を大事にするエルヴィアをバカにしていることも分かっている。貴族なのに汗を流して労働することを理解されないのも。見た目を磨く為に金を使おうとするのを止めて疎ましがられていることも。
けれどもう、彼らから愛を得ようとするのは諦めたのだ。文字通り、住む世界が違うのだから。家族からの愛は前世でたっぷり注がれた。だから、もう、いいのだ。今世は血縁には恵まれなかったけれど、やるべきことはまだまだたくさんあるのだし。
汚れたスカートをポンとはたき、エルヴィアは仕事に励むべく、執務室へと向かうのだった。