両親の罪2
「結婚おめでとう、アドルノ卿。相変わらず君は絶世の美男子だが──奥方もそれに並び立つに相応しい美貌だね」
「ありがとうございます。僕らは世界で唯一、お互いを対等に認め合える最高のパートナーだと自負しておりますよ」
腕を絡め合い並び立つ新婚夫婦は、極上の衣装を身に纏い、眩いばかりの装飾品を煌めかせながら幸せそうに笑っている。
さほど多くない参列者は拍手を送りつつ、主役の二人に比べて些か地味な会場と料理を微妙な面持ちで見回していた。
「──あの二人、確かに社交界一と呼んでもいいほどの美貌だが……ああいう周りを見下したような態度がいちいち鼻につくんだよな」
「ああ、それは言えている。料理もイマイチ、警備も甘い……どこに金をかけているのか一目瞭然過ぎて、もはや笑えるな」
「それでもあのドレスの仕立ては凄いがな。どれだけ金を積んだのだか」
「確かにいくら節約したとて、アドルノにしては背伸びしすぎにも見えるが……領地がそんなに上手くいっているとも聞かないし」
「──一体どうやって工面したんだ?」
紳士達は僅かに目を眇め、社交の会話に混ぜては主役の二人を品定めしている。一方淑女達は扇子を開き、口元を上品に隠して内緒話に花を咲かせる。
「アドルノ卿、やっと相手をお決めになったのね。わたくし何度も家からお断りのお手紙をお送りしたのに、やたらと馴れ馴れしく花など贈って来られるものだから困ってしまって……」
「あらいやだ、わたくしもですわ。夜会でお会いしたかと思ったら、許しも得ずに名を呼んで、指に口付けをされましてよ。その場で拭き取りたいのを我慢するのに苦労しましたわ」
「まぁ……」
「それは……」
ベラルドは見目こそ美しいが家格が低く、また自身の見目に絶対の自信を持っていたために妙な驕りが強かった。自分を拒む女などこの世に存在しないものと思っていたのだ。それ故に実際の社交界では近付くべきではない要注意人物として、特に未婚の高位貴族令嬢の中では周知されていた。
どの令嬢が犠牲になるのかと噂になっていたものだけれど、それが片付いたとなれば素直に祝福もできようものだ。相手が負けず劣らずの美貌の令嬢ということで茶会の話題には困らなかったが、扇子の内側に隠された笑顔は紛れもなく嘲笑なのであった。
要するに、似合いの二人、ということ。
質素な歓待料理は十分な量もなく、味もイマイチであったために手をつける客は少ない。会場も見所が少なく、警備が手薄なため見て回れるような庭園もない。あちらこちらで噂話は囁かれるが、その内容からして大声は出せず密やかに行われるもの。
幸せそうな新郎新婦に対して、会場は盛り上がりもなく微妙な空気が漂っていた。見るともなしに、幸せそうな笑顔を振り撒く二人に視線が集まる──そんな時であった。
「──これは、どういうことかしら? ベラルド」
新郎新婦の前に突如として現れたのは、漆黒の長い髪に真っ黒なドレスを纏った、20代半ばから30代程に見える妖艶な美女。
多くの人々の視線があったにもかかわらず、彼女がどこから現れたのかを目撃した者はいない。また結婚式という祝いの場において、真っ黒のドレスを纏うのは禁忌でもあった。年中黒い服しか纏わないという、ただ一つの職業の女性を除いては。
「……あれは、魔女か?」
「そういえば今のアドルノ領には魔女がいたのだったか」
「我が家の先代が病に侵された際、世話になったと聞いたことがありますわ」
魔女というのは、魔力を用いた特殊な技を使って薬を作ったり、呪いを解いたりしてくれる有難い存在だと言われている。寿命は人間より遥かに長く、そのためか人数は国内に数えられるほど少ない。どこに住まうかは魔女達の自由とされ、国であっても強制は出来ない。
大々的に店を開いて商売をしている魔女もいれば、必要なときにふらりと現れて霞のように消えてしまう気まぐれな魔女もいる。
大きな力を持つからこそ民からは尊敬の念を集めているし、同じように大きな力に対する畏怖の念も抱かれるというのが魔女に対する印象なのだ。
そんな魔女が何故この場に現れたのか、と招待客達が疑問に思う中で、ベラルドは気まずげに小さく笑った。
「ああ……ミランダ。き、君も、僕たちの結婚を祝いに来てくれたのかな……? すまなかったね、招待状が間に合わなくて……はは、しかし、偉大なる魔女殿にも寿いでもらえるとは、嬉しい、な?」
「……はァ?」
ドスのきいた低い声。
新婦のキアーラも確かに美しいのだが、ミランダと呼ばれた魔女にはまた違った種類の魅力があった。
レースもリボンも宝石も付いていない、極限までシンプルな作りのドレス。メリハリのある完璧なプロポーションにぴたりと沿ったそれは十代の小娘などには着こなすことは難しいだろう。露出が多いわけではないのにも関わらず、紳士はもちろん淑女達の視線までもを自然と吸い寄せる魅了のような力がそこにはあった。
そんな美しい魔女が完璧な微笑みを顔に貼り付けて、高いヒールをカツンと鳴らした。
「──ヒッ!」
ダラダラと汗を流しながら、一歩分後ずさるベラルド。べたりと腕を組んでいたキアーラは必然的に前に立つ格好となる。
彼女もまた雪のように白い肌を青ざめさせていたが、ごくりと喉を鳴らし、ぐいっと後ろのベラルドの腕を引き寄せた。
「私達っ、愛し合ってしまったのです! こんなにお互いの気持ちを分かり合える相手は他にいないと! 美しい者は、美しい者としか分かり合えない苦労もあるのですわ! だからっ、だから、仕方なくてっ! 私達は、結ばれないといけない運命なのよっ!」
「……運命、ねぇ。はぁ……男を見る目の無さに我ながら呆れるわ。ええ、よく分かりました。お美しいあなた達は、互いに分かり合える唯一無二の存在なのね。わたくしの薬を必要としていたご病気のご両親は……まぁ、既に亡くなっていると? あらあら……不思議だこと。ごめんなさいね、いくら魔女の秘薬でも、墓から生き返らせることは出来ないのよ。ご存知なかったかしら? 貴重な薬がどこへ消えたのかは存じませんが。まぁ、勉強代とでもしておきましょうね」
うふふふ……と笑う魔女の目はどう見ても笑っていない。漆黒の髪の毛先は風もないのにうねうねと蠢き、意思を持った毒蛇ように殺気を放っている。
静まり返った会場の中参列者達は大体の事情を察し、一様に息を呑みつつ事の行方を見守っていた。
「わたくしはね、美しいものが何よりも大好きだから。美しいベラルドが運命の相手と結ばれたのだもの、お祝いしないとならないわよね。──そうね、こういうのはどうかしら。互いに分かり合えるのは、この世界にただ二人だけ。とってもドラマティックだわ。ねぇ、そうなんでしょう? だったらもっともっとあなた達の絆が深まるように、祝福を授けましょうか。あなた達の美しさが、あなた達にしか分からないように。うふふ! 運命的ね! これからもますます仲良くされると良いわ、美しい新郎新婦のお二人! 結婚おめでとう、そしてさようなら、ベラルド」
高らかに笑ったかと思うと、僅かに瞳を揺らして、魔女は現れた時と同様に突如としてその姿を消した。
去り際に美しく振られた白い手の指先からはどす黒い靄が迸り、それは互いに支え合うようにして立っていた新郎新婦に吸い込まれていった。
「……なん、だったんだ……」
「……あの豪奢なドレスの出所が見えたな……」
「偉大なる魔女様を騙すなんて……」
「国から出て行かれたら、多大なる損失だというのに」
次第に正気を取り戻し、ざわめいていく会場の中。
みち、みちと聴き慣れぬ音が響く。
「……う……ぁ……ぁ……なん、だ……これは……痛い……痛い……!」
「ぁぁっ……! なに……嫌だ……ベラルド……助けて……っ」
ベラルドの引き締まった身体はうごうごと蠢き、風船が膨らむように膨張していく。肥えた腹部の一方、脚だけが細く貧相なのがかえって不恰好で悍ましい。サラサラと風に流れていた金髪は僅かな風で飛ばされて抜け落ち、今や頭頂部にぱやっと残るのみ。涼やかな碧眼はぶよぶよに弛んだ贅肉に押しつぶされ、すっと通った鼻筋は崩れて顔面の中央にずどんと横たわる。身体の変化は大層痛みを伴うらしく、喚き叫ぶその口元はガサガサに荒れ、歯は不潔に黄ばんでいる。ゆで卵のようだった肌はぶつぶつに荒れ、脂が浮いてテカテカだ。
参列者達はその変化に恐れ慄き、初めて間近に見る魔女の力に身体を震わせた。
「あ、アドルノ卿が……ああ、ご覧になって……キ、キアーラ様も……」
横で身悶えていたキアーラの身体もまた怪しく蠢き鞠のように膨らんで、最高級の仕立ての美しいドレスがみちみちと嫌な音を立てる。縫い付けられた宝石がひとつまたひとつと弾け飛び、繊細なレースがびりりと裂けた。
雪のように白い肌は顔、首、腕とまだらに青く染まり、痛々しいのか禍々しいのかよく分からない様相だ。ストロベリーブロンドの艶やかで豊かな髪は、寝起きでもそうはならないだろうというほどにチリチリと縮れ、爆発に巻き込まれた後のよう。パチリとまつ毛が上向いたエメラルドの瞳は白眼を無くし、顔の両端に迫り出し魚のようにギョロついている。小ぶりで愛らしい鼻は豚のように上向いて、穴が丸出しになっていった。口元からは前歯が迫り出し、閉まりきらない唇から唾が四方に飛んでいる。
この世のものとは思えないほど、醜悪な新郎新婦がそこにはいた。自分たちの美しさを鼻にかけ、他者を蔑み、しまいには偉大なる魔女を騙して。様々なものを踏みつけて幸せになろうとしていた二人は、己が誇るその美貌を魔女に取り上げられたのだ。
身体の変化が終わるとともに痛みも消え去ったらしい二人は、地面に膝をついた体勢からようやく顔を上げ、べとべととした汗を拭きながら互いの伴侶に目をやった。
参列者達は息を呑みつつその様子を見つめている。美しさを愛していた彼らは、醜悪になった互いの姿を見てどのような言葉を発するのだろうか。結婚の誓いが成された今日のこの場で、即日の別れとなるのだろうか。罵り合うのか。恥じて隠すのか。
誰かがごくりと唾を飲む音がした。
「まぁ……ベラルド……あなた……」
「キアーラ……きみは……きみのその姿…………」
「「なんて、美しい!!」」
そう、魔女のかけたその祝福は。互いの姿を醜悪なものに変えると同時に、二人の価値観をも変えるものだったのだ。
二人の世界においては、変わらず彼らが最も美しい容貌に見えているらしい。「分かり合えるのは二人だけ」、つまりはそういうことなのだろう。確かに、祝福とも言える……のかもしれない。
悍ましい程に醜悪な姿の新郎新婦は、世界で一番幸せそうに微笑み合いながら誓いの口付けを交わした。
その後しばらくの間、社交界においての話題はこの事件でもちきりになったという。