美女と成金クソジジイ
エルヴィアは自宅の敷地に作った薬草畑で雑草を摘みながら考えていた。
嫁ぎ先の相手は、美しく若い娘を後妻として何人も娶り、その女性達は死ぬか心を壊すかしたというすこぶる評判の悪い商家の成金クソジジイらしい。ご丁寧に兄が教えてくれたのだ。
(美しい娘が好きなら、ミランダに頼んでまたブサイクに戻して貰おっかな……?)
確かに今の見た目は自分で言うのもなんだが可愛らしいし、可愛いと服選びやメイクも楽しいし、街で嫌な顔をされることもない。石も泥も投げられない。でもしつこいナンパは煩わしいし、家族からの暴言も止まないし、何より一番振り向いて欲しい相手には全く効果が期待できないのだ。
フェーデルはあのブサイクな頃の自分も、今の自分も、変わらず美しいなどと言ってくれる。んなわきゃないと言いたいが、確かに一目見ただけでエルヴィアが誰なのかを理解していたし、褒めてくれるのは生まれ持った不変の部分のみ。きっと彼ならエルヴィアが年老いても、病気でやつれても、食べ過ぎてまた鞠のように太ってしまっても、その時々の美しさを褒めてくれるような気がする。
──が。逆に言うと、上部だけを繕った容姿の美しさなど、フェーデルには全く、まっっったく、武器にならないのだ!!
今クソジジイに売られたら、もうミランダとも……フェーデルとも、会うことは出来なくなるのだろうか。貰った転移の魔道具はあるが、悪用されかねないので信用できない人の前では絶対に使えない。万が一枷など付けられるようなら、そのまま転移した場合手首足首はどうなってしまうのだろうか。心を壊されたこれまでの婦人達は、一体何をされたのだろうか……。
ブチブチと無心でむしりとる薬草が山になっていく。ここは以前、病気になった領民達や教会に持っていく為にエルヴィアが個人的に作っていた自宅の薬草畑だ。今はミランダに薬作りを正式に習い、本格的な薬草畑を領民に頼んで管理してもらっている。ただ放っておくのも勿体無いので、別の種類の薬草を掛け合わせたり接木したりと、趣味のような実験のようなことのためだけに残してあったのだ。
両親達は土いじりが嫌いなので、決してこちらには来ない。この屋敷の中で安心できる場所はもうほとんどなくなってしまった。元々そんなものなかったような気もするけれど。本当に信頼できる人と出会ってしまったから──知らなければ失う悲しみを感じずに済んだのかと思うと切なくて苦しい。でも、知らなければ良かったとは、決して思わない。
「ああ……こんなに大量に摘むつもりではなかったのに。勿体無いからこれも薬に調合しよう……騎士はいつ危険があるかわからないし。彼に何があっても治せるように……」
いつ何をしていても、一番に考えるのはフェーデルのことだ。でも──フェーデルの方から会いにきてくれなければ、会うことも出来ない。
(──逃げる? この家から……)
ミランダならいつでも受け入れてくれるだろう。けれどもしそうしたら。今まで盾になってくれた家令のパウロや侍女長はどうなるのか。領地やそこに住む領民達はどうなるのか。あの父や兄に、まともな領地運営が出来るとは思えない。なにせ今の時点で全く機能していないわけだし。パウロとてもういい歳で、いつまでも頼り切るわけにはいかないのだ。
いっそ貴族の地位を捨てた方が良いのかもしれない。これまで優雅な暮らしをしてきたわけではないから、市井で働くのも多分大丈夫だ。王家の直轄になれば、使用人も領民もしっかりと守ってもらえるだろう。
いずれ王女様と結婚するフェーデルのことも、諦められるかもしれない……。立場が違えば、ますます会うこともなくなるのだ。自分の気持ちを自覚してしまった以上、王女様と並び立つフェーデルを祝福できる気がしない。
それでも、やっぱり危険な思いはして欲しくないから──
「……フェーデルさんには絶対に怪我して欲しくない」
溢すようにそう呟き調合したその薬は、思わず目を閉じてしまうほどの眩い光を放ち、ちゃぷんとガラスの器へ納まった。
「えっ、今の何……?」
改めて出来た薬を眺めてみても、もういつもの薬となんら変わりない出来栄えに見える。見間違えだろうか? ストレスで目が眩んだ?
自分がどのような道を選ぶか──選ばされるか──はまだ分からないけれど、この薬は最後にフェーデルへ届けようと心に決めて、エルヴィアは自室へと戻るのだった。
「──はぁ」
小さく息を吐く。
ちらりと部屋の隅を見ると、見慣れぬメイドが一人視線を鋭くして、こちらを見返している。
彼女はエルヴィアに婚姻の話が出てから新たに雇われたメイドだ。もともとこの家の使用人は極めて少ないし、エルヴィアの味方をした者は父に首を切られてしまった。家令のパウロや侍女長などはその担う役割の大きさから首にしたくとも出来ないらしいが、いつもエルヴィアに味方している姿を憎々しそうに睨んでくる。嫌なら自分で仕事をすれば良いのに。
両親達はエルヴィアが転移の魔道具を持っていることを知らないから、家の門とエルヴィアの自室に逃走防止の見張りをつけたのだろう。だったら薬草畑にも張り付いてくるべきではないかと思うのだが、土の中に入るのは彼女らも嫌なのだろうか。外までは付いてこなかったのがこちらとしてはありがたい。いくら給金を支払いどのような説明をして監視をさせているのかは知らないけれど、基本的に詰めが甘いのである。
服の中に隠して胸から下げた魔道具をさりげなく撫でると、その手の内側がふわりと暖かくなり、何かが送られてきたことを感じた。
今までこれを使ってエルヴィアは森の薬屋へ飛んでいたが、逆にミランダが来たことはないし──ミランダは多分魔道具がなくても転移できるだろうけれど──何か物が送られてきたこともなかった。
さりげなく身体の向きを変えて手を隠し、手のひらに隠れるほどの小さなそれを握り込む。今日は作業に適した簡素なワンピースを着ていたので、そのポケットの中にしまい込んだ。監視のメイドは夜の間には出ていくから、その時に確認しよう。何か行動するとしても、その夜の間ならなんとでもなるんだよなぁと思うと、この監視の馬鹿馬鹿しさに笑えてさえくるのだった。
「──やっと出て行ったわね」
布団に潜り込み、ワンピースから寝衣の方へ移しておいた紙切れを取り出す。普通の侍女よろしく、着替えや湯浴みの手伝いなどしようともしないやる気のないメイドで助かった。
「……手紙、かな?」
小さく畳まれたそれをゆっくりと開くと、いつもミランダがつけている薔薇の香りがふわりと漂った。
──25日王都にて武術大会。騎士出場。凶兆有
この国では2年に1回、王都の騎士団が武術大会というものを開くらしい。行ったことはないが、領民達の話で聞いたことはあった。
25日にそれが開かれる……3日後だ。それに、騎士出場というのはフェーデルのことだろう。気になるのは最後の言葉。凶兆……ということは、何か悪いことが起きる、と。
武術大会で起きる悪いこと。それはつまり、彼がなんらかの怪我をするということではないだろうか。
ミランダは魔女で、人間とは違う凄い力を持っている。でも決してそれを私的に使おうとはしないし、心を読めるのかな? と思うことはあっても、未来を予言するようなことは今まで聞いたことがなかった。ミランダもフェーデルのことはそれなりに気に入っていたようだし、本当に悪い未来が見えたとしたら本人に直接伝えた方が早いに決まっている。それが、なぜわざわざエルヴィアに言伝したのだろうか。
「──私が行く必要があるということ……?」
ドキドキと騒ぐ心臓を抑えてふとベッドサイドのテーブルに目をやると、そこにはガラス瓶に詰まった光る液体が入っている。昼間に調合した傷薬だ。
「フェーデルさんが、これでもし助かるなら……」
何も起きないなら、それでいい。もしこれが役に立つ場面が来てしまったのなら、最後の思い出として渡して帰って来れば良い。
平民になるかもしれないエルヴィアよりも、王女様と一緒になった方がきっと豊かな暮らしを送れるだろう。でも、きっと王女様は傷薬は作れないから。これが最後でも良い。私にしか出来ないことを、最後にフェーデルへしてあげられたなら。思い出として、ずっと大事にして生きていける気がするのだ。
光るガラス瓶に額を当てて、そっと祈る。
やらなければいけないことを考えながら、エルヴィアはその日眠りについた。