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黒騎士と魔女

 キィ、と小さく音が鳴り、扉が開く。怪しげな森の奥、木で作られた小さなこの小屋は魔女の薬屋だ。

 この国には数人の魔女が住んでいるが、いつでも会える魔女は彼女を含めて3人しかいない。その中でもこのアドルノ領に住む魔女は人間との距離が近く、よく効く薬を作って売ってくれると評判だ。生きてさえいればどんな状態からでも治療が可能だという魔女の秘薬こそ、売る相手には制限があるらしいが、秘薬でなくともそんじょそこらの薬とは比べ物にならないほど高品質だ。

 騎士という仕事柄怪我をすることも多いし備えておくに越したことはないと先輩に教わり、フェーデルもここへ通うようになった。

 思いがけず再会したエルヴィア嬢は、確かに幼い頃とは随分印象が変わっていたように思う。けれどそれで言うならば、自分だってそうなのだ。成長期が随分遅く、同年代の令息達と比べても小さく華奢だった身体。出自を馬鹿にされ詰られることが多かったせいで引っ込み思案になり、なかなか思うことを口に出せなかった。それが家を出て騎士になり、毎日四肢が悲鳴を上げるスピードで背が伸びた。鍛錬によって筋肉がつき、身体は大きくなり。騎士団での生活の中で、思うことをはっきり口に出せるようにもなった。

 変わったというなら、お互い様だ。そして会えば会うほど、知れば知るほど、彼女は魅力的な女性であった。生家での扱いはあまり良いものではないようだ。それでも努力して身につけた知識で領の為に尽力し、凛と立って貴族の務めを果たしている。一方、ここで魔女殿と過ごす間は、年相応の女性らしく朗らかに笑っている。真剣な眼差しで薬を作ったり、普通では思いつかないような発想力で新しい魔道具のアイディアを出したりしているらしい。

 どんな顔も、美しいなと思う。食べ物を投げつけられて暴言を吐かれても、真っ直ぐ立って逃げなかったあの日からずっと変わらずに。

 彼女に惹かれる気持ちを止めることなど出来なかった。出来るわけがなかったのだ。



「あら、騎士の坊ちゃんね。いらっしゃい。今日は残念ながらエルヴィアはいないのよ」

「魔女殿……そう、ですか。いえ、では、傷薬をいただけますか」

「ふふ。そんなあからさまにガッカリした顔しないで欲しいわね。エルヴィアが可愛いのには、同意するけれど」


 カッと耳が熱くなる。きっと赤くなってもいるだろう。魔女殿も一般的な感覚で見れば大層美しい見た目をされている。黒い髪も艶やかだし、身体に沿うドレスは少々目のやり場に困る妖艶さだ。しかし自分にとっての魔女殿は、最初から最後まで魔女でしかない。美しい絵画や芸術品や歌を聞くような感覚だろうか。心は揺さぶられるけれど、どこかガラス一枚挟んだような、違う次元に存在しているような……とにかく只人が触れて良いようなものではない気がしてしまうのだ。

 エルヴィア嬢はそんな壁も何も作らず、ただの友人か仲のいい姉妹のように魔女殿と接している。そういうところが魔女殿にとっては可愛く思えるのだろう。


 容器に軟膏を詰め、道具の類を洗い場の桶にポチャンと落とした魔女殿はふと動きを止めると、その水面をじっと見つめた。黒い瞳は夜の闇のように深く静かで、この世の全てを見通してしまうかのように思える。


「──エルヴィアも貴方も、悩んでるのね」

「え……」

「別にね、魔女だからってこの世の全てを見通せるわけじゃないのよ。そんなことしようと思ったら忙しすぎて脳みそ破裂しちゃうし、そもそもやろうと思わないから」


 今まさに考えていたことをそのまま当てられたようで、やはり筒抜けなのかと思ってしまう。


「ふふ、坊ちゃん案外考えてること顔に出やすいのね。──私たちは人間よりずうっと永く生きるし、ずうっと強い力を持っているから。だからあまり人間の近くにいない方がいいという考えを持つ魔女も確かに多いのよ。お互いに悲しい思いをするだけだとね。だけど、私はそれでも人間が好きなのよ。短い人生の中を、間違えたり、苦しんだりしながら一生懸命生きるでしょう。その命の輝きは何物にも代え難い美しさだと思うのよ。私は美しいもの好きの魔女ミランダですからね、若人の悩みだって聞いて、解決はしないけれど、励ますくらいはしてあげるわよ」


 悪戯っぽくニヤリと笑った魔女殿はカウンターの中の椅子に腰掛けると、フェーデルにも顎をしゃくって店内にある椅子を勧めた。いつもはエルヴィアと向き合って話す際に使う物だ。

 あの透き通った碧眼を思い、またなんだか胸が苦しくなる。


「実は、お仕えしている王女殿下に命を受け……今度の武術大会で優勝し、褒賞で殿下との結婚を申し出ろと……」

「まあ、それはいつだか見たことがあるような場面だこと」

「劇にも似たような話があるようですね。史実なのかは存じませんが」

「似たようなことはまぁあったけどね。それで? 見初められた幸運な騎士様は言われた通りに王女様と結婚するのかしら?」


 かつて王女殿下の一番のお気に入りだった騎士達。「飽きたわ」の一言である日解任された者もいるし、訓練でたまたま顔に剣が当たり腫れたことで「醜いから寄らないで」と下げられた者もいる。近衛は確かに王族の側で表に出る機会も多いから、華やかな者を選びたいという思いも分からないわけではない。けれど、自分たちは騎士の誓いを立て、命を捨てる覚悟を持ってその場に立っているのだ。国で最も高貴な方々を守る為に、見た目だけで登ってきた者などいるわけがない。その裏に、血を吐くような努力を積んだ日々があってこそなのだ。


「──殿下は、騎士を自らの装飾品か何かだと思っていらっしゃる」

「ま、そうでしょうね」

「自分は飾られる為に努力を積んできたわけでは、ないのです」

「坊ちゃんいい身体してるものね」

「私は……私は、騎士として王族の盾になる覚悟はしたけれど……騎士の誇りを踏み躙られ、縛られたくはない……!」


 フェーデルの、胸の奥から絞り出したような声を聞き、目の前の魔女殿は穏やかににこりと微笑んだ。

 その生まれ故、フェーデルは家族の愛というものを知らない。妾であった母は父の関心を引くのにいつも必死であったし、父は本妻の機嫌を取るのに忙しく、異母兄弟達は優秀なフェーデルを疎ましがった。

 しかし今、魔女の微笑みを見て、母の愛を感じてしまったのだ。見た目だけで言えばフェーデルと魔女殿は姉弟ほどの差しかないだろう。それなのに、彼女が内に持つ底知れない包容力のようなこれは何なのだろうか。

 話した内容はといえば、聞く人が聞けば不敬罪で投獄されてもおかしくないものだ。でも彼女に隠せるものなど何もないと思えた。


「貴方の努力は他の誰にも取り上げられるものではないわ。どうせわざと負けるなんて、そんな小細工は苦手でしょう。全力でやりなさい。いいのよ、勝てば」

「しかし、それでは……」

「王様の褒賞はさ、『勝ったら王女と結婚させてあげる権利』なの? 違うでしょ。観客の前で貴方が望むことを頼めばいいわ。貴方が努力した結果、成し得た勝利ならば。貴方が()()()()()()を、願えばいいだけよ」

「真に望むことを……」


 豆が潰れ、皮が厚くなり、決して美しくはない自分の手。それでも、自分はこの手のひらを、誇らしく思っている。

 開いたそれをぐっと強く握りしめ、魔女殿の黒い瞳を真っ直ぐに見た。


「エルヴィアさんは、どちらにいらっしゃるかご存知でしょうか」

「あら、行動が早いのは貴方の良いところね。ふふ、その真っ直ぐで芯の通った心は美しいわ。今探しましょうか。少し待って──え、まぁ……なんてこと」


 再び立ち上がると洗い場の桶の水面を覗いた魔女殿は、僅かに眉を顰めて顔色を悪くした。


「彼女に何かあったのですか」

「あ、ええ、いや、とりあえず今は無事よ。まだ」

「これから何か起こると?!」


 ガタリと椅子を鳴らして立ち上がると、落ち着きなさいと嗜められて渋々もう一度腰掛ける。


「あの子の家の事情は大体知っている?」

「ええ、大まかには」

「では端的に言いましょう。あの屑みたいな親達に、エルヴィアは売り飛ばされようとしている」


 今度こそ立ち上がった勢いで椅子が後ろにバタンと倒れた。もう魔女殿は何も言わない。


「今すぐではないわ。あいつら馬鹿だから……すぐ手に入る金に目が眩んだのかしら。年寄りの商家の後妻として求められて、了承したのね」

「なんてことだ……」

「来年ならエルヴィアも成人していたから、自分で断れたのに……だから、なのかしらね。そういう悪知恵だけは一丁前なのよ。今の領地経営も何もかもエルヴィアが担っているんだから、彼女を追い出したらあっという間に立ち行かなくなって没落するに決まっているのにね。可哀想なエルヴィア……半分くらいは私のせいで苦労させてきたのだけれど……」


 少しだけ寂しそうに魔女殿が笑う。魔女殿がエルヴィアの両親にかけた呪いが、子孫代々という条件のもと彼女にまで遺伝したという話は聞いている。そのことを、魔女殿は未だに悔いているのだろう。けれど。


「エルヴィアさんは決して可哀想ではないと、私は思います」

「……え?」

「こんなに真剣に考えたり悩んだり、心配してくれる人が身近にいるのですから。たとえ血のつながりがなくとも、人は家族になれるのです。魔女殿とエルヴィアさんはまるで姉妹のようだと、常日頃思っていました。そしてエルヴィアさんも、貴女のことを友人のような、姉のような人だと嬉しそうに話していましたよ。そんな相手に出会える人生を、私は羨ましく思います」

「──そう、なの」


 しばし俯き呆然とした魔女殿は、数秒目を閉じた後再びまっすぐフェーデルを見つめ、いつものように妖艶に笑った。


「では、私たちのお姫様を助けなければね」

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