黒騎士と金騎士と王女様
「よう、フェーデル。相変わらずお前はお綺麗な顔してやがるな。華の近衞騎士様は優雅にお散歩か? せいぜい王女殿下に媚び売って、犬のように尻尾振ってろよ」
「……イサイア、久しぶりだな。今は第二騎士団にいるのだったか」
フェーデルは王城の廊下を急いでいた。訓練場で鍛錬を積んでいたところ、王女殿下からの呼び出しがかかったからだ。今日は非番であるのにも関わらず。それでも王族からの呼び出しとあらば、駆け付けなければならない。どんなに、くだらない用事だったとしても。
「……お前、もう伯爵家を出されたんだろうが。俺はベルモンド公爵の息子だぞ? 騎士爵風情が気安く名を呼ぶな」
「……失礼致しました、ベルモンド公爵令息様。私は王女殿下に召喚されております故、これにて失礼致します」
「……チッ」
振り返ることなくその場を後にする。
イサイアはベルモンド公爵家の次男だが、昔から性格に難があった。長男が優秀であったが故に拗らせたのかもしれないが、勉強には不真面目で、他者への暴力的な言動も目についた。度々起こすトラブルは公爵家の力で揉み消していたようだが、それにも限度というものがある。
そこで、学友兼ストッパー役として選ばれたのが、公爵家の縁戚の伯爵家で、妾腹であったため持て余されていたフェーデルだ。フェーデルは幼い頃から学業優秀であったし、武術の才も有していた。ただ身体が小さかったし気も弱い方だったため、掛け合わせても大きな問題になりにくいだろうとのことだった。実際は貧乏くじを引きたくない者たちが押し付けあった結果なのだろうが……。
しかしイサイアはどこまでいってもただの猿だった。格下のフェーデルは当然強く諌めることなど出来ないし、周囲の賞賛がフェーデルに向くことでますますイサイアは鬱憤を溜め暴力性を増していった。
そんな時に起きたのが、あのエルヴィアとの事件である。これまでは一応、失敗した使用人に罰を与えるという建前であったり、イライラを物に当たるなどの行動であったのに。罪のない貴族令嬢に暴言を吐き、公爵家の権力を用いて周囲の者まで煽動し、食べ物を投げ付けるという暴力行為まで行ったのだ。
当たらなかったとはいえ、止めることも断ることも出来ずに同調してしまった自分も愚かだったと思う。けれどその一件から、フェーデルはイサイアの側に侍ることを辞めた。公爵家との確たる繋がりを欲していた実父はフェーデルを冷めた目で見るようになり、自分は伯爵家の者として失格の烙印を押されたのだと分かった。
その後もイサイアは悪評を極め、公爵家の補佐としての役割は諦められたらしい。野に放っておくよりはと、コネを使って第二騎士団に押し込まれたようだ。騎士団で揉まれれば少しはマシになるとでも思ったのだろう。
けれど、それは愚かな猿に武器を持たせるだけの行為であった。
なまじ家の権力が強いばかりに、騎士団の中でも威張り散らし、問題を起こせば金で揉み消して。第二騎士団は王都内の警邏が主な任務だが、街に出ては酒場で暴れ、飲み代を踏み倒したり女性に乱暴したとも聞く。民の安全を守るべき騎士が、最たる害悪となっている……。あの猿を放し飼いにしている公爵家の気がしれない。
なによりイサイアは、誰よりもフェーデルのことを敵視しているのだ。幼い頃側に侍り、比較されたことが悔しかったのかもしれない。家の権力など今や無に等しいフェーデルが、誰よりも早く騎士として出世したのが気に入らないのかもしれない。騎士の花形とされる近衛部隊に選ばれたことも、当然腹立たしいのだろう。
近衛になることに関しては、フェーデル自身も望んだことではないのだが……。事あるごとに嫌がらせを受けたり、嫌な噂が流れていたりするのは、確実にイサイアによるものだろう。
ひとつため息を吐いて、王女殿下の部屋への道を急いだ。
「遅いじゃないのっ!!」
「申し訳ございません」
「私が呼んだら何を置いてもすぐに駆けつけるのよ、いつも言ってるでしょう?!」
「申し訳ございません」
「もうっ、貴方はいつもそう。今日だって貴方に付いていて欲しいのに」
「申し訳ございません、本日は非番でございます」
「休むならここで休めばいいじゃないの!」
「申し訳ございません、鍛錬は訓練場でないと出来ませんので」
「もう、汗臭い仕事は下の者に任せればいいのよ。貴方は美しいのだから、そこに立っているだけでいいのに」
「……申し訳ございません。私は騎士でありますが故」
王女殿下は御年15歳。国王陛下と女王陛下の美貌を受け継ぎ、まだ少女ながらも大層美しいお顔ではある。けれど。フェーデルにはこの目の前の女性が、どうしても醜く見えてしまうのだ。
もちろん騎士として、王族は自らの命を賭しても守るべき存在だと誓っている。近衞騎士としての任を拝命した時点で、それは変わらぬ事実として胸に刻んである。
しかし、時々この上なく虚しい気持ちにもなるのだ。自分が努力し研鑽を積み得たこの力で守りたかったものとは、一体なんだっただろうかと。
王女殿下の近衛は、全て彼女自身が指名した者たちで構成されている。その特徴は一目瞭然、見目が良く、若い男子。
この国では女性王族を守るための女性騎士も、数は少ないが存在している。女性しか入れない場所というものがある。王妃陛下の近衛は、男女半々だ。しかし王女殿下は「まだ幼いから気にしていない」との理由で、至る所に男性の騎士を連れ歩く。周囲の顰蹙もおかまいなしに。
そして今1番のお気に入りが、フェーデルなのだ。
「──して、殿下。私に何かご用でしたか」
「え?」
「至急来たれよとの召喚でした為、参りました」
「ああ、そうだわ。今度、武術大会があるでしょう。あれでね? 優勝して欲しいのよ」
この国では2年に1回、騎士団員を対象とした武術大会が開催される。剣舞や馬術など様々な部門があるが、メインはやはりトーナメント形式の模擬戦である。
興行として騎士団の運営費を集めるのはもちろん、国民からの支持を集める趣旨もあるし、戦争のない時期の騎士達の士気を高める意味もある。なにせトーナメントを勝ち上がって優勝した者には、国王陛下直々に褒賞を賜る名誉が与えられるのだ。
かつては優勝者が騎士団長の座を欲し、その通りになったこともあるし、平民出身の騎士が爵位を賜ったこともある。もちろん報奨金という形もあるし、市井で最も有名なのは身分差のある女性との結婚の許可を求めた話だ。確か劇にもなっていたと思う。
──嫌な予感がするな……。
「フェーデル、貴方の勝利をわたくしに捧げなさい。民の前で感動的な誓いを立てるのよ。それってあの劇よりずっと、素敵な物語だと思わない?」
この王女は常々フェーデルに対して、結婚を求めてきていた。フェーデルには全くその気は無いし、陛下もそんなことを認めるわけがないことは分かっていた。なにせ一国の王女と、伯爵家の妾腹から家を出され、一代限りの騎士爵を賜ったほぼ平民の男である。
けれど、これがトーナメントで優勝したとなるとどうだろう……。身分差を超えた愛などとして、どうにかなってしまう可能性もあるのではないか。
そうでなくとも最近、自分と王女殿下が良い仲であるなどという不愉快で根も葉もない噂が立っている。確実に外堀を埋めようとする殿下の仕業であろうが、これが裏付けとなってしまってはフェーデルの騎士としての人生も、男としての人生も終わりだといえよう。
政略結婚が嫌なわけではない。結婚してからでも築ける絆はあると思う。けれど、王女殿下とは、無理だ。
自分を見目の良い人形としか扱わず、思うように動かして飾ろうとする相手と、どう信頼し合えるというのだろうか。
王女の横暴は最近特に目に余る。両陛下が溺愛し可愛がるが故、大抵の我儘は通ってしまっている。彼女を手元に置いておきたいが為に、他国に出すよりは国内の貴族に降嫁させたいと考えてはいまいか。この横暴さのまま他国に出して問題を起こすよりは、と。彼女が望む結婚相手を用意してやろう、と。
再び漏れそうになるため息をぐっと飲み込んで、フェーデルは目を伏せた。
「武術大会には、出場致します。優勝も出来るよう、精進致します。差し当たっては鍛錬の時間を多く取りたく、以後自分が非番の日には、その日の担当の者をお呼び付け頂くようお願い致します」
「ふん……ま、いいわ。楽しみにしてるわね。皆の前で宣言する言葉、考えておいて頂戴」
「は」
部屋を辞し、訓練場へと戻る。先ほど飲み込んだため息が、再び苦く込み上げた。