飢餓感とシチュー
ふらふらとふらつく身体でこちらに向かってくる少年が一人。彼は私の机を支えにすると、勢い良く手をついて、口を開いた。
「フラれた……」
騒めく放課後の教室。開口一番そんな一言を溢す親友に、私は言葉をかける。
「誰に」
「お前も知ってるだろ? 二組の美代ちゃんだよ」
「ああ、滝口さんね」
成程。冗談でなく本気で告白したのか。
そんなことを考えていれば、いきり立った親友が雄叫びを上げた。
「ちくしょうめ!」
その姿は妙に様になっている。スカーフの下がふるりと震えるのを見つめながら、でも、と声をかけてみた。
「滝口さんって、人花種じゃないでしょ」
「そうだよ。そうだけど!」
前に彼女が呟いていたことを、ふと思い出す。特別に実る果実とは言え、人肉を食べるなんてグロテスクだと。
なんてことを言えば、親友は激昂することだろう。『美代ちゃんはそんなことを言わない!』そんな風に駄々を捏ねるはず。
……これは墓場まで持っていかなければ。
固く口を結んで黙っていると、何か言えよと親友が誘いをかける。
「……またシチュー、作ってあげよっか」
「うん」
貞淑に親友は頷きを返す。また、との言葉通り何度も繰り返されている出来事だ。私は親友がフラれる度に自分の花肉でシチューを作っている。
「んじゃ、帰ろーよ」
鞄を持ってそう言ってみれば、従順な子犬のように親友は後をついてきた。
最近、世界花肉協定が結ばれたことで人花種の存在が話題となっている。人花種を差別しない、人花種のことをよく知る。そんなことを主軸として作られた取り決めだ。
斯く言う私もその人花種であり、協定の恩恵にあずかっている存在と言えなくもない。
「ええと。玉ねぎ、じゃがいも、にんじんに……」
唱えながら材料を並べていく。肉は冷凍保存しておいた自分のものを使えばいいから安上がりですむ。
「なあ、ところでさ」
椅子に座った親友が、疑問を露わに声をかけてきた。竹崎の好きな人って誰なのと。
「……別に。誰でもいいじゃん」
ざくり。玉ねぎを切りながら続けて言う。
「私、あんたみたいに恋多き人生じゃないから」
ざくり、ざくり。並べた材料をみじん切りにする。にんじんも、じゃがいもも、須く形を擦り減らしていった。
ばらばらと材料を鍋に入れて煮込む。ルウを入れるにはまだ早い。
スカーフの下を押さえながら、ぶつくさと恋破れた言い訳を重ねる親友に向かって言ってみる。
「もしも恋が叶うなら、相手の花肉と一緒に自分のものを食べてみたい」
「へ……」
ぎょっとした顔で見られた。口が半開きになって、魚のようにはくはくと息をしている。
「お前好きな奴いたの!?」
「いるのよ。だから花肉ができるんでしょう」
差された指にぴしゃりと言い伏せてみれば、確かにと納得したような表情が返ってきた。
私の願いを滝口さんが知ったら、それこそグロテスクだと言われるだろう。相手の花肉だけじゃなく、相手自身も食べてみたいなんて、そう思っていることを知られたならば。
つくづく思う。人花種で良かったと。その気になれば、相手の花肉を味わうことが合法的にできるのだから。
「お腹空いた……」
「私も、ぺこぺこ」
ルウを入れて掻き混ぜれば、シチューの良い香りが漂ってくる。
この飢餓感は決して食べ物を欲しているからだけじゃない。私が欲しい、その人は――。
「……何だよ」
軽く見つめてみれば、そんな返事が出される。
「いいえ。よく食べそうな顔してるなって思っただけ」
「何だそれは!」
「何でもないよ」
私の花肉を召し上がれ。いつか貴方の恋が叶う、その日まで。
軽口を叩き合いながら、私は優越感に笑みを溢した。