世界花肉博覧会
びゅうびゅうと風が吹き荒ぶ中、僕は目的地に向かって歩き続ける。『花肉を生で食べないでください!』そんなポスターが貼ってあるのを横目に、奥まった通路を左に曲がった。
世界花肉博覧会。それがこの田舎でも開催されると聞いたのは、ほんの数日前の話になる。全世界の花肉が展示されるというとち狂った場所の中に、僕の花肉も陳列されることになっていた。
すいと自身の首元を覆い隠すスカーフに、目を下ろす。何が世界花肉博覧会だ。何が珍しい花肉の展示だ。ぶつくさと呟いた言葉は風に乗って、どこかへと消えていった。
僕の花肉は何やら希少価値があるらしい。その事実は、世界花肉協定役員だと名乗る黒ずくめの男によってもたらされた情報だった。
「貴方、闇市に自分の花肉を出品したことがあるでしょう」
開口一番告げられた言葉に、一瞬呼吸が止まったかと思った。ぎくりと肩が震える。ひゅうひゅうと、口笛のような呼吸が口から漏れていった。
「……どうして、それを」
指先が真っ白になるまで手を握って、漸く紡げたのは、そんな、行き場をなくした子供のような心細げな声だった気がする。
確か、六年前の話だ。悪ふざけで身に溢れていた花肉を売りに出したのは。
闇のオークションに出品後、すぐに買い手がついて値段が跳ね上がったのを今でもよく覚えている。その時は悪友と爆笑して、法外に釣り上がった値段を馬鹿にし合ったものだったが、まさか今になってそのツケが回ってくるとは。
「……それで、要求は何なんですか」
何の求めもなしに尋ね人が来るわけはない。
荒げていた呼吸を整え、意を決してそう尋ねれば、堅い口調でこう提示された。
――貴方の花肉を、世界花肉博覧会に提出してほしいのだ、と。
聞けば、その時の入札者に、僕の花肉を大層気に入った者がいたのだという。何とも美味で切ない味がする。また同じ花肉が食べてみたいものだ……いや、食べるだけじゃない。展示会を開いたらどうだろうか、なんて。
「世界花肉博覧会は貴方の花肉を発端として開催されることになったのだ」と、黒ずくめの男は端的にそう言った。
そこでは展示会に加えて世界花肉協定が結ばれる予定なのだと、流暢に話す男の言葉は、風が吹き抜けるように耳元を掠めて通り抜けていく。
あの花肉は僕の恋の残滓だ。黒服の男のお願いは分かったけれど、今は誰にも恋慕していない。このくすんだ緑色のスカーフの中に、花肉は隠されていないのである。
諸々を告げて丁重にお断りすれば、黒服の男はしかしながらと格式ばった声色で請うた。
「貴方の花肉がどうしても必要なのです」
――ニ、三日以内に、恋をしてください、と。
翌日。夏祭りの騒めきの中に僕は立っていた。
「恋をするって言ってもな……」
この中に、果たして僕が恋をする相手はいるのだろうか。誰でもいいわけじゃない。でも誰か見つけなくてはいけない。
いいや、そもそも恋って「する」ものだったろうか。どうしようもなく「落ちる」ものじゃなかったか。
哲学的なことを考えながら人通りの中を歩いていれば、隅の方に飴細工屋があることに気づく。
「何してるの。そんなところで止まったら後がつかえちゃうでしょう」
「ええ。でもー……」
店の出先から、若い女性と少女のそんな会話が耳に入ってきた。
花肉の飴細工。聞き覚えのないそれに吸い寄せられるように歩みを進めれば、店番の者だろう、年若い青年がこちらに向かって笑みを浮かべた。
「お兄さんも、お一ついかがですか?」
目の前にいる青年が十年来の恋をしているというのは、先程の客との話で漏れ聞こえてきていたことである。
赤、青、黄色。色とりどりに彩られた花肉の飴細工をじろじろと物珍しげに見ていると、店番の青年が愛想の良い笑みで呼びかけてきた。
「一つにつき、二百円を頂いています」
「安いんですね」
驚きを声に出せば、ふふ、と小さな笑い声とともに軽い口調で言われた。
「そんなものですよ」
首元に巻かれた水色のスカーフが目に眩しい。若いな、と拍子抜けにそう思った。この青年が恋を語るには、若すぎる。
「店は高校を卒業してから開きました。作り方は独学で」
つらつらと語る青年の表情は溌剌としていて、恋に悩む年頃には全く見えない。
「材料は自分の花肉と水飴を使うだけなので、安上がりに済みます。それで、」
「――恋を」
楽しげな青年の言葉を遮るのは心苦しいが、誰かに聞いてもらいたかった。あまりにも僕には時間がなさすぎたということもある。
「恋をするには、どうすればいいと思いますか」
「恋を、する?」
きょとんとした顔で反芻された。お客さん、不思議なことを言いますね。そんなことを言われた気もする。
「明日までに恋をしなくちゃならなくて」
「わあ。それは驚いた」
青年は肩を竦めて言葉を返した。
「……生憎僕は恋を売ってませんので、お客さんの願いは叶えられませんけど」
ふと視線を合わせて告げられる。
昔の恋を思い返してはどうですか、なんて。
今まで何度も恋をしてきたけれど、初恋の人が誰だっただろうと思い出してみて、ああ、と小さく息が漏れた。
「……幼馴染の由花か」
ある日何の連絡もなく遠くへ引っ越していった、近所の子。連絡先は同窓会委員長を務めていた奴から押し渡されていた。
「久しぶりに連絡してみてもいいかもな」
そんな風に一人ごちて、スマホの連絡先一覧をスクロールする。牧、槙原、槙野、松本。
――松本由花。これだな。
無機質な音楽を鳴り響かせて、相手へと繋がる。
「はい」
「……松本?」
唾を飲んで掠れた声に、気を配ることなく声が返ってきた。
「てっちゃん?」
わあ、久しぶり。元気にしてた? こっちは相変わらずだよー。
矢継ぎ早に繰り出される言葉に打槌と応答を返すと、ふと思い出したように問われる。
「そういえばサヤカちゃんとはどうなったの?」
唐突に出てきたその単語に、僕は思わず息を呑んだ。サヤカちゃん。それは。
僕が花肉を売りに出した時に恋をしていた人物の名前だった。
碌でもない恋をしていたと、振り返ってみればそう思う。悪友に誘われて行ったヌードバーで出会った娘だった。
巡り会ってすぐに夢中になった。彼女の裸体、その声色に。イイ声をして啼く。そのことだけに埋没して腰を振った。馬鹿なことをしていたと思う。時が経つほど、そう感じた。
まさか由花がその名を知っているとは思わなかった。仰天した。そう告げれば、くすくすと堪えきれない笑みが電話口から聞こえてきた。
「貴方、本当に夢中だったもの。噂になっていたのよ? 恐ろしい子に引っかかっているって」
杞憂げな声色に、間髪入れず言い返す。
「どこが」
「どこがって、気づかなかったの? あの娘、六股していたのよ」
ろくまた。言葉を覚えたばかりの赤子のように反復した。まさか、そんな。
ぽろぽろと浮かんだ言葉が零れていく。あの時そんなことには全く気づいていなかった。自分が馬鹿だった。あんな娘の罠にかかるなんて。
「心配してたの。遠くにいても伝え聞く噂話に、一喜一憂して」
……私にすれば良かったのに。
「え?」
「なんて冗談。私には夫がいるしね」
――結婚、してたのか。
呆然と呟く。不意に目の前が真っ暗になったような気がした。
「知らなかった」
「でしょ? 同窓会でも言わなかったしね」
それから聞いた話を、僕はあまりよく覚えていない。あまりにも自分とかけ離れた幸せな家庭図に雲を掴むようで、終始心配した口調で言われた。大丈夫? ちゃんと聞いてる? なんて。
……花の、香りがする。ふわりと漂ったものは自分の首元を源としていた。
「夫がいる相手に懸想するなんて、本当馬鹿じゃねえの」
掠れた声は嗚咽の内に埋もれていった。
C地区、五番地。……ここか。
見上げた先には、天まで続くような大きなビルが存在していた。まだここが都会だった頃の名残である。
「後藤様ですか」
眼前に立っていた警備員が、手渡された招待状を見て頷いた。
「こちらへどうぞ」
ビルの中、案内された先にあったのは、手前から奥へと向かって広がるショーウィンドウ。中には全て個々の花肉が詰まっている。
(……思ったよりもグロテスクだな)
全世界の花肉が一同に陳列される様子は、胃の中から酸っぱいものが湧き上がってくる予感すらした。
それから一人で奥へと進んで、右奥の六番目に自分のものを見つけた。
「何なに、儚い恋の味……って」
うるさいわ馬鹿。
喉奥がぐっと詰まる。声が震えなかったのは上出来だと思った。
「――後藤様ですか?」
不意に声がかかる。振り向いた先にはショートカットの若い女性がいた。
「良かった。貴方に会えて」
「何のことです?」
疑問を口にすれば、思わせぶりな声で言われる。
「私、お父様にねだって、幼い頃に貴方の花肉を食べまして。それから貴方がどんな人なのかなあって思ってたんですよね」
今日会ってみて分かりました。予想通りの方だって。
ふんわりと笑いかけられる。花が咲くように。
違法な花肉売り場で買ったものを、食べたのがこの娘だった。
買い手と売り手の関係だ。それがこんなにも、
「へえ。それは……」
我知らず口角が上がる。脂下がった顔をしていないか、それだけが気がかりだった。
「それは、驚きましたね」
――こんなにも嬉しいなんて!
白黒だった世界が一気に色づく感覚。身に覚えのあるそれは、自分が恋をしている時のものだと分かる。
「どんな味でしたか、僕のものは」
「ええと、確かその、まず料理が熱くてびっくりしちゃって、それから、それから……」
思わずスカーフを抑える。その下には、新たに芽吹いた花が咲き乱れていることだろう。
そして枯れ落ちたその先には、今まで味わったことのない美味しい花肉ができあがる。それを目の前にいるこの娘と食べてみたい。
そんな欲求が膨れ上がるのを、スカーフの下から感じとった。