不機嫌なミートパスタ
大好きな姉が結婚することになった。今日、昼食を作って食べたら、この家を出ていくのだという。
向かいの流し台から、景気の良い鼻歌が聞こえている。ざあざあと煩い蛇口から、滞りなく水が零れ落ちていった。今日のために新調したパスタ皿を洗っているらしい。
お嫁に行く前、最後のお食事は、ミートパスタにするのだと言っていた。姉の花肉から作った肉塊を素材としたもの。
――この世界には人花種という、恋をすると首元に花を咲かせる種族がいた。咲いた花がやがて枯れ落ち、熟れた果肉――花肉をつけて。
そうしてその花肉を食べることで、恋を成就させ、気持ちを新たに生活を送る……そういった一族が存在しているのだ。
ぶつり、と幾許か重たい音が鳴る。まな板と花肉、包丁との間で、その音が連続して響きをもたらした。
ぶつり、ふつり、ぶつり。
肉塊を細切れにする音に耳を傾けながら、あんなものが姉の喉の辺りに張り付いていたなんて信じられない、と目を見張った。
恋をすることが目に見えてしまう人花種にとって、首元は非常にデリケートな場所である。だから適齢期になると、皆、首にスカーフやマフラーを巻くようになる。
斯くいう私も、その一人。一年前、姉に誕生日プレゼントで貰ったスカーフを身につけていた。
「恋はいいものよ」
ぶつり、ぶつりと花肉を切断しながら姉が言う。人よりも花肉の量が多かった姉はそれを隠すのにひどく苦労したらしい。余ったものは冷凍保存して食べて頂戴と笑っていた。三日前の話だ。
「そうかな。恋って面倒臭いと思うんだけど」
椅子に腰掛け、オレンジジュースを啜る。行儀が悪いと怒られたのが、今となっては懐かしい。
「面倒臭い?」
下処理を終えて包丁を洗いながら反芻される。それにすぐさま返答を出した。
「そう。だってすぐ分かっちゃうじゃん。花肉を見ればすぐに」
バレバレなのって本当嫌だ。それに花が咲くぐらいならいいのに、すぐに枯れ落ちて汚い肉に変わるじゃん。
「汚くなんてないよ。神聖なものでしょう」
「それは姉さんが恋が実ったからそう言えるんだよ。ただの肉塊がへばり付いてるなんて、凄く不快」
舌打ちを鳴らしながらそう言えば、姉は考え込んだ表情で小さく唸る。そうしてフライパンに油を敷きながら、視線は手元に向けたまま声を返した。
「――貴女も恋をすれば分かるようになるわよ」
十分に熱せられたフライパンの中に、玉ねぎとにんじんが入れられる。さっくりと炒めながら、ぽつり、ぽつりと言葉が溢された。
「本当は、あの人もここに来られれば良かったんだけどね。仕事が、忙しいから……明日の式までにはなんとかしてくれるって言ってたんだけど」
「薄情な奴じゃん」
間髪入れずに言い募る。
「姉さん、そんな奴と結婚して良かったの? 本当に?」
私は姉さんの結婚相手が嫌いだ。私から姉さんを奪いやがった最低な奴だから。
「君のお姉さんは今日から私のものだ。今後の接触は控えてもらいたい」なんて台詞を、出会って数分の嫁の妹に普通言うだろうか。姉がどうしてあんな奴に恋をしたのか、それは世界を一周回ってみても分からないことだと思う。
本当ならば、花肉は結婚相手と食べるものなのだ。愛する人と恋の結果を味わう。それが人花種にとって最上のことなのだから。こんな、姉妹で食べるなんて醜聞は聞いたことがない。
けれどもそんな変わり種が姉の結婚相手だから。もうしょうがないことなのかもしれない。
じゅうじゅうと野菜の焼ける音が響いている。向かいの窓辺から見える、近所でも有名な桜の木は、まだ一部も咲いていなかった。
「……良かったわよ」
ふ、と姉が口元を綻ばせるのが背中越しにも分かる。
「だって私の選んだ人なんだもの」
(ああ! 神様がいたならば!)
この命運が呪わしい。何故、愛する聡明な姉を恋に落としたのか、ということを。
ばらばらと花肉がフライパンの中に投入される。肉の色が変わるまで炒めて、次いで、トマトペーストに塩、胡椒、コンソメが入れられて。辺りからゆっくりといい匂いが漂ってきた。
「……美味しそう」
ぽつりと、本当に小さい声で呟けば、それに反応して得意げな声色が返ってきた。
「そうでしょう?」
私の恋を召し上がれ。
茹でたパスタにミートソースを絡めると、ことりとテーブルの上に湯気の上がったミートパスタが置かれた。
ちゅるちゅるとパスタを啜る。花肉は万能の肉だと言ったのは誰だったか、いつもと変わりないミートソースの味がひどく嫌で。
「全然美味しくない」
「嘘つき。優衣、本当は美味しいって思っているでしょう」
馬鹿ねえ、と姉は愛おしそうな表情で言った。
「そんなに啜ったらソースが跳ねちゃうでしょうに」
姉の結婚相手が嫌いだ。絶対に婿だとかお義兄さんだとか言ってやらない。
でもこのミートソースパスタだけは許してやってもいい。ちゅるちゅると勢い良くパスタを啜りながら、そう思った。