第八話「鴨川の悪霊」
「妹……」美夕はその言葉を聴き、胸がズキンと痛んだ。
蘭子の女房(上流貴族の世話をする女性)達を伴い、
晴明、美夕は蘭子と共に屋敷の中へ入っていった。
「さあ、さあ。父上がお待ちかねじゃぞ!」
蘭子は晴明の手を引っ張り、謁見の間に向かって晴明達を導いた。
謁見の間には、小太りで黒い口ひげと、あごひげを生やし、
中原家の家紋が入った、紺色の狩衣を着て、
冠を被った中年の男性が座っていた。この男性が、中納言、中原清道公である。
清道は、晴明の姿を見ると、
「おうおう、晴明。よう、来た。今日は少々、遅かったようだがの」
ふと、美夕の方を見る。「む? そこな。娘は誰じゃ」
すると、美夕はひれ伏し。
「はい、中原様。お初にお目に掛かります…私は、巫女見習いの美夕と申します」
清道はあごを撫で、しげしげと美夕の顔を見て。
「ほう、その金色の目、お主、晴明と同じ化生じゃな? 何の化生じゃ。申してみよ」
と言うと、美夕は冷や汗を流し、困った。
もし、“鬼”と答えれば、この場で切り捨てられるかも知れない。
そう思うと、恐ろしくて、言葉が出てこなかった。
その様子を晴明が傍らで見ていて、助け舟を出した。
「清道公、美夕は神の使いと言われる。“白蛇”の化生です。
そして、私の補助をする巫女として、連れてきました。
必ずや、清道公と姫君のお役に立てると思います」
清道は扇をバッと広げ。「ほう、美夕とやら、白蛇の化生とは何と、縁起の良い。
晴明が白狐、美夕が白蛇。わしの屋敷は神の化身に守護され、何とも心強いことよ!
これで、我が姫に憑いた憎き悪霊も、尻尾を巻いて逃げてゆくわ! わははははは!!!」と豪快に笑い出した。
蘭子は、目を吊り上げムスッとし。
「父上! わらわは、その美夕とかいう女が好きませぬ!
きっと、わらわの晴明を乗っ取ろうとしているのです!
父上はよう、わらわと晴明の祝言を挙げてくださりませ!!」
と叫ぶと、せがんで清道の手を引っ張った。
その言葉に清道は血相を変え。
「なっ、何と! そこな、女人が晴明を乗っ取ろうとしておるとな!?
それは、解せぬな! 晴明よ! お主は、蘭子と美夕。どちらが大切なのじゃ!?
まさか、蘭子を裏切りはせぬじゃろうな!!?」と叫び。
扇で晴明の肩を叩くと晴明は、綺麗な微笑みを浮かべ。
「まさか…美夕は、私の妹のような存在です。
私が真に愛しいと想うのは、“蘭子姫”ですよ」と、言った。
清道と、蘭子は大いに喜んだ。
しかし、美夕は瞳から涙をぼろぼろと流し、
悲痛な表情を浮かべると、部屋から飛び出した。
「美夕!」晴明は美夕を追いかけようとした。
だが、清道に「晴明よ!我が姫を愛しいと申したのは、偽りか!!」
と、言われ。涙を飲んで止まった。
中原邸を飛び出した、傷心の美夕は、鴨川に近い。林の中をとぼとぼと、歩いていた。
辺りは薄暗くなってきており、不気味な雰囲気が漂っていた。
茂みから、黒い半透明の恐ろしげな悪霊達が出てきて。
美夕を取り囲み、取り殺そうとした。美夕は真っ青になり、
「キャアアア! 助けて、晴明様―――!!!」と泣き叫んだ。
絶体絶命のその時、「美夕ちゃん、危ない!!」
何と、道満が美夕の前に飛び込んで来た。道満は数珠をかきならし、法術を唱えた。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前!! 悪霊退散!!!」
格子状の九字を胸の前で切ると、悪霊達は悲鳴を上げて成仏していった。
道満は、美夕の顔を覗きこみ。
「どうしたの? 美夕ちゃん。美夕ちゃんなら、浄化出来るはずでしょ?」と言うと、
美夕は恥ずかしそうに真っ赤になり、
「ありがとうございます……道満様。あのね。実は私、今、“あれ”なの。
だから、巫女の神通力は、使えないの。巫女の力は、神聖なものだから。
私の炎は、霊に効かないし」と、言った。
「そっか…それじゃあ、力は使えないね」
と道満はぽっと頬を赤く染めると、美夕の両肩を掴み。
「一人で、こんな場所を歩いているなんて危ないよ?
晴明ちゃんと、一緒に出かけたはずでしょ? 晴明ちゃんは?」
と言うと美夕は、悲しげな表情になり、
「晴明様は……今、中原清道様のお屋敷にいらっしゃいます。
そこには、幼い姫君がいてその姫と祝言を挙げるそうです。私のことは妹だって!
私より、その姫君の方が愛しいと……うっく、ふぇぇっ、うっ、うっ」
と声をしゃくりあげると美夕は、大粒の涙を流し泣き始めた。
道満は、思わず美夕を強く抱きしめブルブルと怒りで震えだした。
「あんの、くそ陰陽師―――!!! よくも、美夕ちゃんを泣かせたな――っ!!?
道満は美夕を連れ無謀にも、中原清道の屋敷に乗り込んだ。
「無礼者! ここをどこだと、思うておる? 中納言、中原清道様のお屋敷だぞ!!?」
門番が道満を押しとどめた。
「無礼は承知さ! ここに安倍晴明という、ケチな陰陽師がいるだろ?
そいつに用がある。さっさと、通してもらおうか!!」
道満は錫杖で、門番の腹を強く突いた。そのまま門を抜け、庭へとなだれ込む。
「狼藉者だ――!!!」
門番が苦しそうに叫び、腰に下げている刀を抜き、道満に振り下ろした。
道満は錫杖で刀を受け止め、門番の腹を物凄い勢いで、蹴飛ばした。
吹っ飛ぶ門番。道満が、門番に錫杖を振り下ろそうとした時、
「もう、やめてください! 道満様。私の為に、こんなことしないで!!」
何と、美夕が門番を庇った。「美夕ちゃん」道満の力がゆるんだ。
その時、警護の武士五人が、いっせいに道満を取り押さえた。
「くそぉおおっっ!! 放せぇえええっっ!!!」道満が力いっぱい暴れる。
屋敷の方から、騒ぎを聴きつけて女童、女房達や晴明、清道、蘭子達が出てきた。
「その狼藉者を牢に入れよ!」清道が言うと、晴明は清道にひざまずいた。
「お待ち下さい! 清道様。この者は蘆屋道満という法師で、私の弟子でございます。
どうか、私が厳しく仕置きをしますゆえ、私の顔に免じて、お赦し願えませぬでしょうか?」
清道は渋々、うなずき「うむ、そう言う事なら、そなたの顔に免じて赦してつかわす」
と告げると、晴明は「感謝申し上げます」と、頭を下げ。
「失礼いたします」と言うと、道満の腕を掴み、裏庭へと強引に引っ張っていった。
「痛いな、放せよ!!」道満は、晴明の腕を振り解いた。
晴明は、眉を吊り上げ「道満! 中原公のお屋敷に乗り込むとは、何事か!
何を、血迷っている! もう少しでお前は、死罪になる所だったのだぞ!!」
一喝すると、ガッと、突然、道満は晴明の胸倉を掴み。
「血迷ってるのは、どっちだ! 晴明!あんた、美夕ちゃんを一人にしたろ!?
美夕ちゃんは、悪霊に取り殺される所だったんだぞ!
美夕ちゃんはあんたが、守るんじゃなかったのかよ?
それに、中原の姫と祝言を挙げるって!?
美夕ちゃんより愛しいって何なんだ!! 美夕ちゃん泣いてたぞ。泣かすなよ!!
あんたが、守れないなら俺が盗っちまうぞ!!?」と、怒鳴った。
晴明は、冷たく紫の瞳を細めた。
「――勝手にしろ。それが美夕の意思なら、私は何も言わん…」
二人の間を、冷たい風が吹きぬけていく。
「この野郎っっ!!!」何と、道満はいきなり晴明を殴った。
「フン、あほうが…」
晴明は、口の端から流れ出た血をぬぐい、つぶやいた。
その時、茂みから美夕が現れた。美夕は悲しげな表情を浮かべ、涙を流し。
「晴明様、酷い! 私はあなたにとって、その程度の女だったのですか?!
私にいつも向けてくれた、優しい眼差しや、お言葉は偽りだったのですか?
こんなことなら私、あの時、父様に食べられた方がよかっ……!」
と言い放とうとして、晴明にいきなり抱きすくめられた。
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◇今回の登場人物◇
中原清道
娘が一人おり、早くに母親を亡くしたため
ふびんと思い甘やかして育ててきた。