第六話「鴨川での出会い」
そんなある日、晴明が仕事に出かける為、牛車に乗ろうとした時。
美夕が屋敷の方から、駆けて来た。
「晴明様~っ!」
晴明が振り返り見ると、美夕は見習い生用の巫女服を着ていた。
「どうした? 美夕。巫女服など着て」
美夕は、真剣な表情で唇を噛み締め、緋袴を両手で掴むと
「晴明様! 私を一緒に連れていってください」と言った。
晴明は少し、呆気に取られ「美夕、私は遊びに行くのではないのだぞ?
私の仕事は、常に危険を伴う物も数多あるのだ。それを承知で、言っているのか?」
美夕は晴明の狩衣の袖を引っ張り、大きな金色の瞳から涙が溢れ、
晴明の狩衣の袖に落ちて染みた。
「お願いします…何でもしますからもう、お屋敷で一人は嫌なの」
「美夕、お前……」
晴明は美夕の心の傷がまだ、癒えていない事を感じ取った。
晴明は袖で美夕の涙を拭いてやり、ふうと溜め息をもらすと。
「そこまで、言うのなら仕方がないな。付いて来い……
その代わり、私の側を離れるな。良いな?」
その様子を道満が物陰からじっと、見ていた。
「はいっ、ありがとうございます。晴明様」
美夕はぱあっと瞳を輝かせると、晴明と牛車に乗った。
ここは鴨川の下流、晴明達を乗せた牛車は今、ここの川沿いを通っていた。
この時代は、藤原道長が勢力を握っており上流貴族達が私利私欲を肥やし、民は日々、食べる物にも困り飢えと疫病が蔓延し、貧しい民は遺体も埋葬出来ず、賀茂川に捨てにくる。
鴨川は遺体で溢れかえっており、腐乱した鼻をつくような臭いと、瘴気が漂っていた。
その様子は平安とは、名ばかりの地獄絵図さながらであった。
カラスがむらがり、死肉をついばんでいる。
牛車の中では、晴明と美夕が死者の冥福を祈り経を唱えていた。
美夕は晴明を見詰め。
「晴明様……私、ここを通るのはとても、心苦しいです。
ここは、亡くなった人々の無念や悲しみ怒り。
強い負の感情が渦巻いています」と涙を浮かべると、
晴明は、美夕の肩にやんわりと手を置いた。
「美夕、私はこの暗黒の時代を終わらせる為に
私達のような陰陽師や、巫女が必要だと信じている……
たとえ日の目は見ずとも、私達は私達のやれる事をやり、影になり日向になりこの都を支えていこうではないか。
それすなわちこの国の民を救う事にも、繋がると思うのだよ。
そして、いつか陰陽師のいらぬ平和な世になれば良いと」
「はいっ、晴明様! 私も頑張ります」
美夕は、その言葉に感動してうなずいた。
晴明は優しい表情で二度うなずき、再び数珠を手に経を唱えようとした。
その時、「何だ、お前は!? この牛車を安倍晴明公のものと、知っての狼藉か!!」
外から、従者の怒鳴り声が聴こえ、晴明は牛車の物見(牛車に付いている窓)から、顔を出した。
「どうかしたのか?」従者に声を掛ける。すると、従者より先にやせ細りぼろを着た、
若いみすぼらしい男が牛車に駆け寄ろうとした。
「この無礼者が!!」と従者が血相を変えて、男を地面に押さえつけた。
「放してくれ! 女房が、女房が!!」
と男は必死に叫んでいる。その必死の様子に晴明は美夕に
「お前はここにいろ」と言うと、一人牛車を降り、扇子で顔を隠し
従者に取り押さえられている、男に近づいた。
「その者を放してやれ」晴明はそう言った。
すると、従者はあわてて。
「ですが、御主人様! このような、不審な輩……
放せば、何をしでかすか分りませぬゆえ!」と言うと、
晴明はパチンと扇子を閉じ、顔を見せた。
「その者から、邪気や殺気、邪な気は感じられぬ。
良いから放してやれ、私が全て責任を取る」
「御主人様がそうまで、おっしゃられるなら」と従者は渋々、男を放した。
放された男は晴明を見て、目を輝かせた。
「うわ~、女のように綺麗なお方だ。それにその紫色の目!
貴方様が今、都で評判の化生の陰陽師。安倍晴明様でございますか?」
と恐る恐る言うと、
従者が「これ! お前、化生などと、無礼な事を申すな!」
と声を荒げると、晴明は口元に手を当てフフと静かに微笑み。
「なに、構わんさ。それよりもそなた名は何と言う?
妻がと叫んでいたが、そなたの妻が、どうかしたか?」
男は土下座し「へえ! オイラは、五兵というもんで、小せえ農家をやっておりますだ。
オイラの女房が熱を出して今にも、死にそうなんです。
だども、薬師に診せようにも、そんな金、持ってねえですし。
そこに、晴明様の牛車が通りかかったんです!
晴明様は、貧しいもんの味方だと評判だで! 御無礼を承知で…」と言うと、
眉をぴくりと動かし。
「ふむ、そなた。人ではないな?」
何と、晴明は逸早く気が付き、五兵が人ではない事を見抜いていた。
五兵はだらだらと、冷や汗を流し始めると、
何と、頭には三角の耳が生え、尻にはふさふさの尻尾が生えた。
「そなた、狐のあやかしか?」
扇子で晴明が五兵を指すと、五兵はさらに頭を下げ。
「へえ! ご察しの通り、オイラは狐の妖怪ですだ。だども、晴明様!」
と先の言葉を言おうとした、五兵だったが晴明は、
「人とて、あやかしとて、困っている者を放って置く訳にはいかない。
ほら、五兵よ。立て、立ってそなたの家へ、私を案内してくれないか?」
にこりと微笑み、五兵に手を差し伸べた。
「へい! ありがとうごぜえやす」
五兵は、涙を流して喜び。晴明の手を取って立ち上がった。
晴明の牛車は五兵に導かれ、森の中へ入っていった。
小鳥のさえずりが聴こえ、獣の鳴き声が聴こえる。
木々の隙間からは、木漏れ日が差し込んでいる。
鴨川の方とは違い、清清しい風が吹いている。
美夕は物見を開け、気持ちが良さそうに深呼吸した。
しばらく行くと、大きな樫の木が見えてきた。
「ここが、オイラの家です」五兵が言った。
見ると、樫の木の根元に大きな穴が開いていた。
晴明と美夕は牛車を降り、五兵に付いて行こうとすると従者が晴明を引きとめ。
「御主人様! あやかしの根城に行かれるなど。危険でございます!
せめて、私を連れていってくださいませ」と言うと、晴明は微笑み。
「案ずるな。お前は、ここで待っていろ……
それに、五兵からは邪な気は感じられないと言っただろう?」と言うと、
従者は渋々、うなずいた。
もしもの時はすぐ、お呼び下さいと牛車で待ちながら。
「もしもはないよ」と晴明はまた、涼やかに笑った。