第五話「悲しみの美夕」
「美夕ちゃんはっ!」
道満は美夕に光栄に危害を加えられた事を伝えようとした。が、
「道満!」
晴明は道満の目を見つめ、それ以上は言うなと、
首を横に振った。道満は苦虫を噛み潰したような表情をし、
それ以上は何も、言わなかった。
晴明は、何事もなかったかのように、平常心を保ちながら言った。
「美夕、お前は道で転んで、頭を打ったのだ……氷を用意するから、頭を冷やすが良い。熱を下げる為に蜜をたっぷり掛けた削り氷も、食わせてやろうな」
すると、美夕は首を横に振り。
「いけません、晴明様! 氷なんて、高価な物を。私などの為に……私など水で充分です!しかも、削り氷なんて、もったいのうございます」
晴明は微笑み言う。
「腫れてきては、大変だろう? お前は余計な事を、心配せずとも良いのだ。良いな?」
「はいっ! ありがとうございます」
美夕は嬉しそうに微笑んだ。
次の日、薬師の所へ晴明が行き、記憶が抜け落ちている事を伝えると、
薬師は軽い記憶障害だろうと、晴明に告げた。
その日の夕方、保憲が、美夕の見舞いにやってきた。
「おーい! 晴明、道満、美夕。いるか――?」
保憲が玄関の引き戸を開け、奥に向かって、声を掛けると、
「保憲様~!」美夕が、奥から駆けてきて。
「保憲様っ、お会いしたかったです」と抱きついた。
保憲は美夕にとても、良くしてくれていて父親同然の存在になっていた。
その後に晴明と、道満が出てきて道満が「ちわ~す。保憲様」と、挨拶し
晴明は美夕に「こらこら美夕、いきなり、抱きつくなど。保憲殿に、失礼だぞ?」
と苦笑すると、保憲は、美夕の頭を撫でながら
「良いのだ、晴明よ。俺も、美夕に会えて嬉しいのだ……
頭を打ったと聴いて、心配しておったが、元気そうで何よりだ!」と言うと、
美夕に土産を手渡した。
それは、綺麗な絵が描かれた、はまぐりに入った紅だった。
美夕は、頬を染め喜んだ。居間に酒の席が、設けられた。
保憲が、持ってきた美味い酒に、美夕手作りの魚のなます。
唐菓子、揚げ菓子等が用意され、
晴明と道満、美夕は保憲を、心尽くしで、もてなした。
しばらくして、晴明は美夕に保憲と、大事な話があるからと、自室に行くよううながした。
囲炉裏の中で、火の粉が爆ぜる音がする。
晴明は、鍋物の具を椀によそいながら、保憲の方を見て、口を開いた。
「保憲殿……今日、ここへいらしたのは、
ただ、美夕の見舞いに来られただけでは、ありますまい」と問いかけると、
保憲はうなずいた。
「ああ、実はな。俺の息子の光栄が、自室に入ったまま、出てこんのだ。
聴けば、美夕が頭を打った時期と、光栄が引きこもった時期が丁度、重なるではないか。気になってな……晴明、うちの息子は、お前の所に、迷惑を掛けていないか?」
晴明は渋い顔で頭を振り、
「大変、申し上げにくいのですが…光栄は前々より、私に呪詛を掛け、呪殺しようとし、式神を放ち、私を亡き者にしようと狙ってきております。それに……」
と続けて言おうとした時、道満が先に言った。
「保憲様! 光栄は、晴明ちゃんだけじゃなく、
女の子の美夕ちゃんにまで、危害を加えたんだ!
頭を打ったのは、光栄がやったんだよ!!」
興奮して言うと保憲はさぞ、驚くと思いきや、渋い表情で腕を組み。
「ふむ、やはりそうだったか。あれの行動には、俺も手を焼いておってな。
隠してはいるが、我が子ながら、寒気のするような邪気を放っているのを。
放っておくはずもなく、俺の式神を監視として、放っておいたのだが、
弱い式神だったがために、光栄の式神に討たれてしまったのだ。
我ながら、甘かったと痛感した……」というと、
おもむろに晴明と、道満に向かって、頭を下げた。
「晴明、道満、うちの光栄が本当にすまない事をした!
美夕に何と言って詫びたら良いか、詫びて済むものではないが、
どうか、俺の方でもう、二度とさせぬように厳しい仕置きをするゆえ
赦してやってくれ! あれにも、未来があるのだ」
その姿に晴明と、道満は親の情愛を感じ、涙もろい道満などは涙ぐんだ。
その時、ガチャンと、何か硬い物がぶつかる音がして、
晴明がふすまを開けると、そこには、美夕がいた。
どうやら、酒の飲みすぎを心配して、冷水を運んできたらしく、
湯のみが床にころがり、水がこぼれている。
床をふきながら、不安げな顔で自分を見上げる美夕に晴明は眉をしかめた。
「今の話……聴いていたのか」
美夕はうなずき「はい、ごめんなさい晴明様。聞いてはいけないと
知りつつも全て聞いてしまいました…私は転んだのではなく、
賀茂様に危害を加えられ、頭を打ったのですね?」
美夕は全てを思い出し、かたかたと震えだした。
それを見た晴明は、美夕を抱きしめ保憲にいった。
「保憲殿…美夕は余程、怖い目に遭わされたのでしょう。
この通り、震えています。しばらく事態が収まるまで休ませてもらえませんか?」
「うむ、優子に伝えておこう……美夕、本当にすまなかった」
保憲は切なげな表情で、頭を下げると謝りながら安倍邸を後にした。
それから三ヵ月後、美夕は徐々に明るさを取り戻し、晴明と道満を安心させた。