取り巻き令嬢エレーナの引退と幸せ
ああ、いそがしいですわ。
今日はシエル・スティードハート公爵様のお茶会にお呼ばれですわ。
もちろん、とりまきの一人として伺います。
良くも悪くも目立たぬように、特別上等でも派手でもなければボロくも地味でもない流行りのドレスを着て。
とびきり可愛くもなければ不敵でもない普通の笑顔で。
話すことはそうですわね、ありきたりなこと。
「素敵なお庭ですわ〜」
とか
「素敵なお召し物ですわ〜」
とか、〜と伸ばして言うように心がけていますわ。
その方が可愛い気がしますし、最近では場の空気が和むような気がしていますから。
それから、公爵様との距離は近すぎず遠すぎず。
あらあら〜?
一人の令嬢が距離感を間違えていますわね。
遠すぎますわ。
こちらも向かないようにして、ドレスも地味、いえ、控えめな印象ですわねぇ。
なにか深刻なご事情がおありのようですわね。
お家のことならその噂が既に私の耳にも入っているはずですから、秘匿すべきご自身のご事情でしょうか。
ほどほどの身分に生まれ、ほどよく育てられて、自分自身になんの疑問も問題も抱えていない私などはいっそ羨ましくなりますわ。
公爵様のお目につくのは、あの方でしょうから。
最近では、わかるようになりましたの。
誰がヒロインか。
まだ、公爵様は気づいていませんわね。
公爵様がご自分で気づいてくださるのが、一番なのですが。
気づかぬ場合は、とりまきの誰かが目配せで気づかせることもございます。
それでダメなら、
「まぁ、なにかしら? あの方、あんな隅の方で」
と、口に出してお教えするのですが、ちょっと嫌な感じになってしまって心苦しいんですの。
だから、今日は私は黙っていますわ。
あ、公爵様が気づいて、ご令嬢の方へ向かいました。
やれやれ、今日の出番はおわりですわね。
ああ、いそがし、いそがしですわ。
今日は、シャルル・クラウザー伯爵様の夜会ですわ。
伯爵様は既に婚約者様がいますから、とりまくのもほどほどにして、おしゃべりやお食事を楽しみましょう。
あらあら〜?
また、距離感を間違えている令嬢がいますわ。
今度は、近すぎますわ。
「シャルル様ぁ〜、お会いしたかったですわぁ〜!」
って、なんという甘ったるい声。
私達よりワントーン高いし、〜も長過ぎますわ。
ドレスもキラキラしていて、とびきりの笑顔。
おまけに、凄い上目遣いですわ。
伯爵様も目が離せないご様子ですわね。
でも、彼女はヒロインではありませんわ。
だって、婚約者様がヒロインでしょう?
彼女はフェイクですわ。
けれど恐らく、伯爵様は惑わされてしまうでしょう。そして、泥沼になる前に、今目の前にいる令嬢を選んで婚約者様に婚約破棄を突きつけることでしょう。
すっぱりと決断なさるのは男らしいと言えばらしいですが、だいたいが短慮だと言わざるを得ないことになりますわね。
ですが、最近多いのですわ。
婚約破棄。
お茶会や夜会など公の場で行われますから、私も立ち会いました。
当事者達と関係がない、とりまきに出番などございませんから、邪魔だてせぬように心がけながらもじっくり見物させていただきましたわ。
あまり、気持ちのいいものではありませんでしたわね。
とりまきでよかったとさえ思うような、恐ろしいことですわ。婚約破棄なんて。
その後の結末なんて、口に出すのも恐ろしいことがほとんどです。
クラウザー伯爵様とフェイク令嬢も、命だけでもご無事だとよろしいのですが……
なんて怖がってないで、そろそろどなたかと婚約してヒロインになりたいですわぁ。
思えば、長いとりまき人生でしたわ。
初めては10歳にもならない頃、どこぞのお茶会にお呼ばれして、そのお屋敷の坊っちゃまをとりまいたのでしたわ。
今では陰で、他のとりまき令嬢方に「エキスパート」と評されてますの。
右も左もわからず、とにかく周りに合わせて殿方をとりまいていた「ビギナー」だった頃に戻りたいですわ。
こんなこと考え出した今が、引き際ですわね。
両親も私に任せるのはやめて、いい縁談を探そうと話していましたし。
次で、最後にしましょう。
とりまき令嬢としての最後の舞台は、ジョン・グレイ男爵のお茶会ですわ。
いつものごとく。
皆さんと同じ流行りのドレスを着て。
ほどよいニコニコ笑顔で。
当たり障りのない褒め言葉を、場を和ますようにほがらかに言って。
とても平和な役どころで、楽しかったですわ。
時には、目の前で繰り広げられる殿方と令嬢のドラマを眺めてスリルを味わえましたし。巻き込まれることなどはなく、よいポジションにいましたわね。
きっと、どなたかが引き継いでくれることでしょう。
幸せな、とりまき人生でしたわ――
最後のとりまき相手のグレイ男爵様も、ほどよい美貌の方ですし。
それなのに、今日はヒロインらしい方が見えませんわね。
ご挨拶も済んで一人また一人と男爵様から離れていくなか、最後の日の名残惜しさに足が重くなって男爵様とふたりきりになりましたわ。
そうですわね、最後に思いきり、いいえ、やっぱり、ほどほどの加減でもう一度ありきたりに褒めておきましょう。
「何度見ても素敵なお召し物ですわ〜」
「君は、誰にでもそんな風に褒めるのか?」
男爵様のなんと不機嫌なお声とお顔。
えっ、しくじったのでしょうか? 私が?
最後だからと、力が入ってしまったのでしょうか。
そんなはずは。いえ、それならば機嫌を損ねるなどおかしくなくて?
「な、なんのことでしょうか?」
とりあえず、軽く首をかしげてみますわ。
男爵様がジロッとこちらを見ましたわ。
「それだ、そんな風に誰にでもか、かわコホン」
咳払いで聞き取れませんでしたわ。
最後の最後でなんですの?
久方ぶりに殿方と二人きりで話せましたが。
以前は殿方の方から話しかけていただき、笑顔でほがらかに会話も進み、けれど内容は当たり障りがなく、最後に「あなたとは話しやすいです」とお褒めの言葉をいたたき期待しましたが、結局他の方と熱烈な恋愛結婚をなさいました。
結局あの一時の会話は、とりまきの空気がさせたものだったのですわ。
って、長すぎる回想が走馬灯のように脳裏を駆け抜ける間も、男爵様はそっぽを向かれたまま。
そのお顔には嬉しそうな笑顔もなく、また期待していたのとは違う展開でしょうか。
周りの目が気になりちら見すると、令嬢方も私達をちらちら見ていますが動こうとはいたしません。
全員、とりまきからの見物人に移行するようですわね。
「少し、歩こう」
男爵様も周りを気にして、歩き出しました。
殿方と並んで歩きお話するのが憧れでしたが、そんな気にはなれず少し後ろをついていきますと、すぐに屋敷の裏庭の方まで来て、男爵様は立ち止まりました。
「先ほどの話だが」
「はい、なんでしょう?」
「まだとぼけるのか? 君は今日、私をとりまいてニコニコしているが、その前はクラウザー伯爵をとりまいていたな。その前はスティードハート公爵だった。その前は」
「よくご存知でございますね」
「そ、それは!!」
男爵様のお顔が慌ててそらされましたわ。
「そんなことより、答えたまえ」
こちらを向いたお顔は、まだ厳しいもので。
なんだか、とりまき代表で一人だけ叱られているみたいで、最悪の引退劇になりそうですわぁ……
「どういうつもりなんだ?」
「どういうつもりと言われましても――」
私は、どういうつもりで、とりまきなどしていたのでしょう?
最初は、そう、ヒロインになりたくて。
なんとか、殿方の目にとまりたくて。
でも、全然こちらを見てもらえなくて。
いつの間にか、場の空気を読むことばかり気にして。
上手く立ち回ることばかり気にして。
それで殿方が他のご令嬢の元へ行けば、最初は羨ましがったり落ち込んだりしていたのに。今では、上手くいったと安堵する始末。
私は脇役なのだと、諦めてしまっていましたわ。
せっかく、桁外れに優れた美貌や身分や内面をお持ちの殿方をとりまくなら、皆さんとは違うドレスやアクセサリーをつけて目立ちたかったですわ。
それが許された高位のご令嬢をとりまいたこともございましたが、その時の私など語ることもないほど只のとりまきでしたわねぇ。
思わず遠い目をする私を、男爵様は相変わらず厳しい目つきで見ています。
「花から花へ飛び回る蝶のようだ、君の行為は」
そう、ですわね。
どんな理由があれどヒラヒラふわふわしていて軽薄でしたわ。
最後の最後に叱られても仕方ないのですわ。
「君は、蝶のように美しいが」
「え?」
顔を上げて見ると、男爵様のお顔がみるみる赤くなって。
「いや! だからと言って、蝶のように振る舞ってはいけないと言いたかったのだ」
なんだ、例えとお叱りの続きですの。
「そうですか。わかりましたわ」
「わかってくれるか」
「はい」
どのみち、今日で最後ですもの。
「よかった」
男爵様がとても嬉しそうに微笑まれましたわ。
え、こんな微笑みを向けられたこと初めてですわ。
それにこの笑顔は、ヒロインに向けられるものそのもの。
ついに来ましたの?
「私は、以前お茶会で君を見た時からずっと、君に思いを寄せていた」
「やっぱり!?」
「えっ、気づいていたのか!?」
「あ、いえ! 全く知りませんでしたわ」
とりまき行動に追われていて、最近は周りの殿方を見ていませんでしたから。
「今の“やっぱり”は、この流れでなんとなく察しましたの」
「そうか。ならば言うが、他の男をとりまく君の姿を見たり妹から話を聞いたりしては、ずっと悶々としていたんだ!」
妹様から? そういえば、最近とりまきに加わっていますわね。
「やっとお茶会に呼べて、思いのたけを伝えることができたよ」
「では、先ほどのちょ、蝶のように美しいとは例えではなくて?」
男爵様は恥ずかしそうに目を閉じましたが、すぐにまっすぐ私を見つめました。
「ああ、君は可愛いし綺麗だ」
可愛くて綺麗、私が?
もう一度、男爵様を見直しました。
この方が私の。
「可愛らしさと美しさだけではない、君のほがらかな話し声にも心を奪われた」
男爵様は片手を胸に当てられて、
「このままの勢いで、言ってしまおう。君に婚約を申し込みたい!」
こ、婚約!!
こんな形で、なんの前振れもなく突然に。
キョロキョロして見ても、誰も見ていないこんな屋敷の裏っかわで。でも、静かで綺麗なお庭で。
私なんて、後ろの方にいたわけでもグイグイいったわけでもなく、ほどよくしていたのに。
でも、目にとめてくださる方がいらしたのですね。
とびっきりの笑顔でお答えしますわ。
「嬉しいですわ〜!!」
「よかった!!」
私と同じくらい喜んでくださり、ほっと胸をなでおろす男爵様。
なんだか、可愛らしいですわ。
「先ほどは、強い口調で責めてすまない。嫉妬心と君をなんとか手に入れたい思いで必死だったんだ」
謝る子犬のようなお顔も、いじらしいですわ。
「いいえ〜、必死さが怖いくらい胸に響いていますわ〜」
「響いてくれたか、よかった」
ニコニコ笑顔で胸をおさえる私に、男爵様は片手を差し出しました。
「では、これからよろしく。エ、エレーナ」
「よろしくお願いいたします。ジョン様」
私はしっかりと手を握りました。
なんだか、さわやかな婚約ですわ。
両親への挨拶のために、我が家にいらしたジョン様は誰よりも素敵でしたわ。
私も流行など気にせず、自分とジョン様の好みを混ぜたドレスでお出迎えしました。
ほどよい家柄の方ですから、もちろん両親は文句なしで喜んでくれて。
結婚した今は、義妹のとりまき相談にのりアドバイスをしていますわ。
彼女にも安全なポジションにいてほしいし、ゆくゆくはどなたかと幸せになってほしいものです。
私と同じで、家柄も容姿も性質もほどほどですから、誰の目も引く飛び抜けたヒロインにはなれないかもしれません。
ですが。
いつの間にか婚約して、いつの間にかいなくなっている。
でも、本人は誰よりも幸せ。
そんな、ほどよいヒロインにはなれますわ。きっと。