2-3 ビアンの病
ベースに帰り着いた時には、既に日が暮れ始めていた。バラック小屋のドアを開けると、釜戸で作業をしていたモリスが立ち上げって出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
額の汗を拭いながら、モリスが柔らかい笑みを向けてくる。その眼差しと、まず日常では聞くことのない言葉に、体温が一気に上昇していった。
「なんか、いいよな」
ふきこぼれ出した鍋に慌て戻っていくモリスをぼんやりと眺めながら、そんな言葉を口にする。中道も言葉は濁していたが、まんざらでもない様子で頷いていた。
醤油ベースの香りが部屋に溢れ、空腹の胃を刺激してきた。この世界の食事がどんなものかはわからないが、香りだけで判断すると問題なさそうだった。
「そういえば、ビアンの姿が見えないな」
兜を脱ぎながら、椅子に座った中道が四方に目を向ける。つられて俺もビアンの所在を確認すると、ビアンはベッドで横になっていた。
「おじちゃん、おかえり」
顔の半分までタオルケットで隠したビアンが、苦しそうに咳込みながら俺に力ない瞳を向けてきた。その顔色は、一見しただけで良くないとわかった。
「具合悪いのか?」
ベッドに腰をおろし、ビアンの前髪を撫でながら尋ねてみる。近くにいたクゥンが、心配そうにビアンの頬を舐め始めた。
「疲れが一気に出たんだと思います」
いつの間にかテーブルに食事を用意していたモリスが、影のある顔で近づいてきた。
「確か、病気だって言ってたよね?」
「そうなんです。ビアンの病気、実は原因がわからないんです。いくつかの回復術も施してもらったのですが、効果はありませんでした。今は、具合が悪くなったら寝ることしかできません」
その間隔も以前と比べたら短くなっていると、モリスは肩を落として呟いた。
「治療方法はないの?」
「術士の方によれば、ある種の呪いに似た力が働いているようなのです。その力を打ち破れば、病気は治るかもしれないそうです。ですが、力を打ち破ることができる物が何かはわかっていないんです」
これまで色々と試してきたのだろう。モリスの言葉に諦めの気配が感じられた。俺に気を使わせないようにする為か、無理矢理感ある作り笑顔が逆に痛々しく感じられた。
「佐山、早速出番だな」
そばで聞いていた中道が、膝を叩いて立ち上がった。
「お前のスキルで、危機回避方法を探ってみろよ」
何事かと訝しげに思っていた俺に、中道がスキルの使用を促してくる。中道の思考が読めた俺は、早速スキルを発動させた。
「佐山はな、伝説のジョブといわれる探知士になったんだ」
「え? 探知士って、あの魔王討伐のパーティーにいたジョブのことですか?」
目を見開いて驚くモリスに、中道が大きく頷いた。モリスが「凄い方なんですね」と目を輝かせたのを見て、なんだかこそばゆい気持ちになりながらも危機回避方法を探った。
探知士のスキルは、頭の中にレーダーサイトのような光景が浮かび、危険なものを赤い点滅で知らせてくれる。今はベッドの位置が赤く点滅しており、さらに赤い点滅に意識を集中させると、あるイメージが脳裏に浮かんできた。
イメージは、大空を羽ばたく漆黒のドラゴンの姿だった。巨大な口を開けて咆哮する姿が、イメージとはいえやけにリアルに感じられた。
「ドラゴンのイメージが浮かんできた。ビアンの病気にはドラゴンが絡んでいるか、あるいは、病魔に打ち勝つ力にドラゴンの何かが関係しているかもしれない」
イメージはそこで終わり、脳裏に浮かんだレーダーサイトが急速に消えていった。
「ドラゴンか。確かにドラゴンには、昔から異様な力を持っているイメージはあるよな」
「そういえば――」
中道の話を聞きながら、ふとクエストの資料を思い出した。
――確か、ドラゴン退治か何かあったはず
パラレルステーションからもらった資料を机に広げ、クエストの内容を確認する。すぐに記憶の片隅にあったドラゴン退治のクエストを見つけだした。
「竜騎士の後方支援か」
隣から覗き見た中道がため息に似た声を漏らす。その様子からして、中道が竜騎士にいいイメージを抱いているようには見えなかった。
「戦士系のジョブの中で、竜騎士が一番プライドが高くて傲慢だって噂だ」
俺の視線に気づいた中道が、竜騎士の噂を吐き捨てるように説明した。確かに、クエストには戦闘に加担する必要はないが、戦闘に必要な後方支援を無償で要求する内容が書かれていた。
「しかし、ドラゴンが絡んでいるとなると、やっぱり竜騎士たちと一緒にいた方が都合はいいよな?」
「まあな。ドラゴンを相手に戦うなんて酔狂な真似は、竜騎士ぐらいしかしないだろう」
ならば決まりとばかりに、俺は中道に同伴を願い出た。中道は渋々といった表情を見せたが、すぐに親指を立てて合意してくれた。
「というわけで、どうにかしてビアンの病気を治す方法を見つけてくるよ」
クエストの資料をモリスに渡しながら笑顔を浮かべる。資料を受け取ったモリスは、黙って目を通した後、そのアクアブルーの瞳に涙を浮かべ始めた。
「助けていただいただけでなく、ビアンのことまで気にかけていただいて――」
涙をこぼしたモリスの言葉が、掠れて途切れていく。見ると、小さな肩が微かに震えていた。
――不安だったんだろうな
モリスは見た目と違い、まだ少女でもある。親を失い、残された妹と二人で生きていくことを考えるだけでも酷なのに、病気の件まで背負うというのは、モリスの小さな体では大き過ぎた。
モリスの震えを止めるように、そっと肩に手を伸ばした。俺も親を失ってからは、ずっと不安の中で過ごしてきた。
だからこそ、モリスを助けたかった。疑似的とはいえ、家族のような仲になったからには、ビアンの病を治して平和に暮らせる環境を作りたいと本気で思った。
「湿っぽい話は終わりにして、さっさと飯にしようぜ。モリスちゃんが作ってくれた飯が冷めたらもったいないぜ」
暗くなりかけた空気を変えるように、中道がさっさとテーブルにつく。その様子を見ておかしくなった俺は、涙を拭うモリスに笑かけ、モリスの手を引いてテーブルについた。
――うまいな
ぎこちなさが残りつつも、爆食する中道に笑顔を浮かべるモリスに胸がじんわりとした温もりに包まれていく。
パラレルアイランドに来て初めての夕食は、質素とはいえ、贅沢した時の弁当よりもはるかに美味しく感じられた。




