1-5 借金したけど家族ができました
耳の奥で電子音が鳴っている気がした。手探りで音源を探り、スマホの無機質な感触を確かめたところで、覚醒は一気に始まった。
――ヤバい!
ベッドから飛び起き、光速で朝の支度を終わらせてアパートを飛び出した。六時前の街路にはまだまばらな人影しかなかったが、買い置きしていた栄養ドリンクを飲みながら駅に突撃していく。いつもの電車に間に合うと、崩れるように空いていた席に座った。
乗り換えまでの僅かな一時。いつもなら俺の嫁に癒されるところだが、今日はやることがあった。
パラレルアイランドから帰った後、中道は俺を激しく叱責してきた。中道の言い分は正論だから、俺は反論せずに黙って聞き続けていた。
その上で、俺は中道に借金を申し込んだ。ベースを買ったおかげで、中道から課金してもらった残金は百五十万しかなかった。足りない分の五十万を申し込んだが、当然のように断られていた。
そのため、今日は朝から金策に走る必要があった。色々と考えた結果、俺には頼める人は一人しかいなかった。
頭の中でどう切り出すかシュミレーションを繰り返す。下手な理由は通じないだろうが、だからといってゲームに課金するとも言えるわけもない。
ぐるぐると、まとまらない考えが頭の中を駆け回っていく。乗り換えの満員電車に耐えながら出した答えは、当たって砕けろという答えになっていない精神論だった。
朝の地獄を終え、オフィス街の一角にあるビルに入る。会社にはまだ誰も出社していなかった。誰もいないフロアを横切り、指定の窓際席に鞄を置いてパソコンを立ち上げる。クレーム処理依頼のメールが二件。営業の発注ミスと製造の納品ミスというよくある尻拭いだった。
内容を確認し、廊下に出て相手先に電話する。朝から親の敵とばかりに怒鳴られた。電話越しに何度も頭を下げ、お詫びの言葉をマシンガンのように繰り出していく。そんな俺を汚い者でも見るかのように、同僚達が冷たい視線を残してオフィスへと消えていった。
なんとか二件のクレーム処理を終えてオフィスに戻ると、既に朝のミーティングが始まっていた。営業部部長、通称鬼瓦と呼ばれる鬼原部長に早速怒鳴られた。この鬼原部長こそがパワハラの根元だった。もちろん対象は俺だけだから、会社に不評が立つことはなかった。
俺への叱責で長引くミーティングに、誰もが迷惑な顔を俺に向けてくる。中には舌打ちする者もいて、俺はいつものように謝り続けるしかなかった。
こんな理不尽な職場をよく続けるよなと中道に言われるが、俺を雇ってくれている以上は耐えるしかなかった。通信制の高卒とはいえ身元保証人のいない孤児の俺には、仕事を選ぶ権利などそもそもあるはずがないからだ。
ようやく叱責とミーティングが終わったところで、俺は決心して鬼瓦の席に移動した。
「部長、相談があります」
深く頭を下げ、意を決して鬼瓦に話しかける。用件は金を借りることだった。職場でまともな会話をする相手のいない俺にとって、中道が頼れないとなると唯一話ができるのは鬼瓦だけだった。
滅多に話しかけることのない俺に、鬼瓦が怪訝な目を向けてきた。周囲も何事かと聞き耳を立てているのが雰囲気でわかった。
「部長、五十万貸してもらえませんか?」
俺の嫁に癒される時間を削って考えたのに、言えたのは情けないほどの単純なフレーズだけだった。
一瞬で職場の空気が凍りつくのがわかった。電話が鳴っているのに、誰も電話に出ようとしない。部屋を見渡すと、みんなが固まった表情で俺を見ていた。
「佐山、ついてこい」
一度咳払いした後、鬼瓦は有無を言わせないオーラを放って俺を部屋から連れ出した。多分、行き先は特別叱責室と俺が呼んでいる会議室だろう。
だが、そんな俺の予想を裏切るように、鬼瓦は会社を出るとコンビニに入っていった。
「返済は、できる範囲で構わん」
ATMを操作しながら鬼瓦がぼそりと呟いた。手には出てきたばかりの五十万円の札束が握られていて、まるでポケットティッシュを渡すかのように俺へ手渡してきた。
「え? あ、ありがとうございます! 必ず全額返済いたします!」
当たって砕けろの精神で突撃し、見事玉砕したかと思ったが、結果は思った以上にあっさりと金を手にすることができた。
「佐山、やるからにはしっかりやれよ」
すくに背を向けて歩きだした鬼瓦だったが、背中越しに思わせぶりの言葉を投げてきた。
どういうつもりであっさりと金を貸してくれたのかはわからないが、俺は見えるはずのない鬼瓦に再び深く頭を下げた。
入社して以来、初めて鬼瓦のことをありがたく思えた気がした。
○○○
仕事を終え、アパートに帰ると早速パラレルアイランドにアクセスした。既に課金は完了し、二百万ミールも現金で用意してもらっていた。
パラレルステーションによると、こっちの世界と向こうの世界とでは時間の概念が違うらしく、大幅な変更は無理でも多少の時間を操作してアクセスすることは可能という。ちなみに、この時間操作こそがドッペルゲンガーを作り出す方法と関係しているらしい。
アクセスポイントを引き渡し予定時刻に調整し、パラレルアイランドに向かう。基本的にパラレルアイランドにアクセスしている間は、こっちの俺は眠っていることになる。そのため、朝の起床時間を設定しておけば、操作可能時間ぎりぎりまでアクセスを継続できるとのことだった。
目を覚ますと、前回の光景が目に広がっていた。急いで起き上がると、既に奴隷斡旋集団が二人を連れて待機していた。
予定通り服の中に用意されていた金を手に、男のもとへ向かう。男は瞳に驚きの色を見せながらも用意した二百万ミールを受けとると、約束通り二人を解放してくれた。
「ありがとうございます!」
解放された女の子が足早に寄ってくるなり、泣きながら感謝の言葉を口にした。
「私はモリス。こっちは妹のビアンといいます」
感謝を述べながらモリスが紹介を始めると、ビアンと呼ばれた女の子は、顔を真っ赤にしてモリスの後ろから顔を出した。
「おじちゃん、ありがとう」
口ごもりながらも一生懸命感謝を伝えてくるビアンに、くすぐったいような気持ちが胸の中を駆け巡っていった。
「佐山!」
照れるビアンの頭を撫でていると、息切れしながら似合わない鎧姿の中道が駆け寄ってきた。
「間に合ったのか?」
解放されたモリスとビアンを見て、中道が右手を背中に隠した。一瞬しか見えなかったが、手には札束が握られていた。
「会社の部長に借金したよ」
「マジか!」
俺の言葉に、中道が驚き声をあげる。それを聞いていたモリスが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「それより、これからどうするんだ?」
謝るモリスを遮り、とりあえずの予定を聞いてみた。だが、孤児の二人に行く場所も生きる方法もなかった。
「なあ中道、これからどうしたら――」
二人の今後を中道に相談しようとしたタイミングで、いきなり眩しい光が襲ってきた。何事かと目を細めた先に現れたのは、注文しておいたバラック小屋だった。
「決まりだな」
バラック小屋を見て、中道が意味深に頷いた。
「決まりって?」
「モリスとビアンだよ。行くあてがないなら、一緒に住んでもらったらいい」
「はあ? 何を言って――」
「いいか、あの子たちは孤児だ。保護者がいなければ娼婦になってしまう。だから、お前が代わりに保護者になってやれよ。まあ、ビアンは娘として、モリスはお前の嫁として家族になるのも悪くはないんじゃないのか?」
意味深な笑みを浮かべる中道に、俺の思考が一気に乱れていく。解放されたおかげで緊張が解けたモリスの綺麗な顔を見て、一気に心臓がはね上がった。
――馬鹿、俺は何を考えているんだ
気を取り直して咎めようとした俺を、中道が押し退けてモリスに話しかける。モリスが一瞬で頬を赤くしたが、それでも頼るような眼差しを向けてきた。
「ボロ小屋かもしれないけど、よかったら使ってよ」
「いいんですか?」
何度も確認するモリスに、笑いながら頷いて返す。その様子を見ていたビアンが、カワウソに似た生き物を俺の目の前に向けてきた。
「クゥンちゃんもいいの?」
恐る恐るといった表情で、ビアンが尋ねてくる。どうやらこの生き物はクゥンと言うらしい。その名の通り、「クゥン」と鳴きながらクゥンが首を傾げた。
「もちろんだ。一緒にクゥンの家も作ろう」
俺が答えると、ビアンは弾けるような笑顔で大きく頷いた。
――家族、か
異世界に来て冒険する予定だったのに、予想外にも孤児だった俺に家族ができた。
嬉しそうに並んで走っていくモリスとビアンを見ながら、俺は生まれて初めて胸の中に暖かい感情が沸き上がるのを感じていた。
~第一章 完~




