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5-3 再会

 最初に感じた感覚は、じめじめした湿気の臭いだった。手のひらには冷たい木造の感触があり、どこか懐かしい気配がして目が覚めることになった。


 ――ここは、俺がいた施設か?


 目に飛び込んできたのは、がらくたばかりが押し込められた倉庫だった。割れた窓ガラスから射し込む夕陽が、子供の時に見たものと同じだった。


 ――俺は、死んだのか?


 突然の光景に戸惑いながらも、俺はいつも隠れて泣いていた場所に腰をおろした。この場所で、俺は暴力に怯えながら来るはずのない母親を待ち続けていた。


 そんな場所に、いきなり移動することはありえなかった。もしあるとすれば、俺は既に死んでしまっており、魂が過去の記憶をさ迷っているぐらいだろう。


 自分が死んでしまったかもしれないという現実に、俺は馬鹿らしくて声を出して笑った。


「俺は馬鹿みたいに何やってたんだろうな」


 自分の取ってきた行動が、急に馬鹿らしくなってきた。勝てもしない戦いに挑み、助けることもできないくせにビアンを助けると勘違いしたりと、俺は自分らしくない行動を取ったことに呆れるしかなかった。


「余計なことをしなければ良かったんだ」


 中道に誘われたゲームにはまり、伝説のレアジョブという地位に踊らされてしまった。その結果が犬死にだから、笑い話にもならなかった。


 そんな自分の運命を呪いながら、子供の時に見た窓ガラス越しの空を探した。子供の頃、俺はいつかあの空を越えて知らない世界に行くことを夢見ていた。結局、それが天国になりそうなことにはもう笑う以外になかった。


 そんな虚無感に包まれた時だった。


 誰かが俺の名前を呼んでいる気がした。気のせいかと思ったが、次の瞬間にはっきり聞こえたその声に、俺は反射的に立ち上がった。


「母さん?」


 俺を呼ぶ声が、昔の記憶と重なっていく。よろける足取りでドアへ向かうと、あの日、俺を施設に捨てた時と同じ格好の母親が立っていた。


「母さん、なの?」

「勇希、遅くなってごめんね」

「母さん、迎えに来てくれたの?」


 不意にわき上がる感情に言葉が詰まりながらも、俺は必死で尋ねてみる。母親はゆっくりと笑顔を浮かべると、小さく頷いた。


「母さん、俺、俺さ、ずっと迎えに来てくれるのを待ってたんだよ。ずっとずっと、二十二年間も待ってたんだよ!」


 抑えきれない感情の渦が爆発し、俺はつい声を荒げて叫んだ。


「ずっと寂しかった。ずっと怖かった。ずっとずっと、母さんが来るのを一人で待ち続けていたんだよ!」

「ごめんね、勇希。でも、もう大丈夫だから」

「大丈夫って?」

「これからは、ずっと一緒に暮らせるから」


 母親は呟くと、そっと右手を差し出してきた。


「母さん」


 戸惑いながらも、俺は母さんの手を握った。とたんに、幼い頃に好きだった温もりが手を包み、俺は一気に体の力が抜けていった。


「お家に帰ろ」

「うん」


 母親の言葉に、俺は八歳の時に戻った気持ちで返事をする。淡い光がドアの外に溢れ、暖かい空気に体が包まれていった。


 ――? なんだ?


 光に包まれて薄れていく意識の中、何かが俺を呼んだ気がした。


 ――ちゃん

 ――なんだ?

 ――……、ちゃん! おじちゃん!


 不意に聞こえてきた声に耳を傾けた瞬間、ビアンの叫び声が頭に響いた。


 ――ユウキさん!

 ――その声は、モリスか?


 さらに聞こえてきたのは、モリスの声だった。だが、振り向いても姿はなく、名前以外は何を二人が言っているのかわからなかった。


 ――すまないモリス。約束を守れなくてごめん。俺は、結局何もしてやれない弱い人間だったんだ


 途切れ途切れに聞こえてくる二人の声に、俺は約束を守れなかったことを謝った。


 ――すまない、俺はもう行くよ


 そう心の中で呟いて背を向けた時だった。突然、誰かが俺の腕を掴んで母親から引き剥がした。驚いて振り向くと、鬼の形相をした中道が俺を睨んでいた。


「どこに行くつもりだ?」

「どこって、母さんが迎えに来たから家に帰るんだよ」

「何馬鹿なことを言ってるんだ! お前がいなくなったら、モリスちゃんやビアンちゃんはどうなる?」

「どうなるって」

「お前を失ったら、二人はどうなるかって聞いてるんだよ!」


 突然声を荒げた中道に、朦朧としていた意識が鮮明になっていった。


 ――俺がいなくなったら、モリスとビアンは孤児になってしまう。孤児になったら


 そこまで考えたところで、中道の隣にモリスとビアンの姿が見えた。二人とも泣きながら、必死で俺の名前を叫んでいた。


 ――俺がいなくなったら、孤児になった二人は娼婦になってしまうじゃないか!


 その答えにたどり着いた瞬間、何かが胸の中から溢れてきた。止めどなく溢れてくる暖かい何かは、やがて俺の全身を包むと、先ほどまで力を失っていた体に力がみなぎってくるのがわかった。


 ――なんだ、この力は


 つい先ほどまで重かった体が軽くなり、ぼやけていた視界がはっきりと鮮明になった。と同時に、俺は自分が何をしようとしていたかを思い知らされた。


 ――みんな、すまない。俺はどうかしてたみたいだ


 現実に直面した俺は、三人に頭を下げながらある決意を胸に宿した。


「母さん、ごめん。まだ俺はそっちに行けないよ」


 再び母親と向き合った俺は、じっと見つめてくる母親を見つめ返した。


「母さん、ずっと孤児として生きてきた俺だけどさ、そんな俺にも親友ができて家族ができたんだ」

「勇希?」

「こんな俺だけど、守らないといけない家族ができたんだ。だから、そっちにはまだ行けない。孤児として色々あったけど、でも、母さんのおかげでみんなに会うことができたんだ。だから、俺を産んでくれたこと、こうして迎えに来てくれたことは感謝してるよ」


 上手く気持ちの整理がつかなかったが、溢れてくる気持ちを何とか母親に伝えた。


 母親は何も答えなかった。だが、その代わりに日だまりのような優しい笑みを浮かべてくれた。


 母親の笑顔に俺も笑顔で返した瞬間、俺の意識は再び闇の中に墜ちていった。

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