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4-1 必要なもの

 一度現実世界に戻った俺は、満員電車に揺られながら竜王との戦いをどうするかばかり考えていた。


 戦えば全滅は避けられない。だが、戦わなければビアンの病を治す力は得られない。完全に詰んだ状況に、俺はため息を繰り返すしかなかった。


 そんな堂々巡りの思案に陥った俺の目に、いつもの光景が目に入った。ドア付近に立つ若い女性と、その背後をぴったりマークする五十過ぎの男性。痴漢行為が行われていることを、俺は最近になって気づいていた。


 こうした問題に直面した時、俺が取る行動は徹底した見て見ぬふりだ。絶対に関わり合うことを避け、ひたすら嵐が過ぎるのを待つ。そこに正義や悪といった理論を挟む余地は一切なかった。


 なぜなら、俺には守ってくれる人がこれまでいなかったからだ。一人で生き抜く為に必要なのは、トラブルから逃げることだ。変に関わって巻き込まれたら、一人ぼっちの俺にはどうすることもできないと、子供の時に強迫観念のごとく頭に刷り込まれていた。


 だから、女性を助けることも、警察に匿名で通報することもしない。女性は、見るからに泣き寝入りしそうなタイプだ。それを男性もわかっているから、痴漢行為に及んでいるのだろう。


 ならば、俺が関わることはない。二人の世界のことだから二人で解決すればいい。いつものようにそう考えたはずなのに、自然と俺の足は女性の方に向かっていた。


 駅で降りる客を装い、無理矢理位置を移動する。自分でも何をやっているのかわからないくらい、緊張と恐怖で視界が揺らいでいた。


 吐き気がするくらい緊張しながら、スマホを手に男性の隣に並ぶ。突如現れた俺に、男性が怪訝な顔を向けてきたので、スマホの画面を男性に向けた。


『痴漢行為を撮影しました。これ以上続けるなら、警察に通報します』


 男性に向けたスマホには、中道宛のメール本文にそう記した内容が映っている。当然、目にした男性の顔色は一瞬で青くなっていった。


 すぐに次の駅に着いたところで、男性は逃げるように降りていった。トラブルに巻き込まれないか不安だったが、どうやら何事もなく終わりそうだった。


 緊張が解けてため息をついたところで、若い女性と目が合った。若い女性は、俺とスマホを交互に見ながら困惑した表情を浮かべていた。


 次の駅まで、ひたすら目を合わせないようにしてやり過ごし、今度は俺が逃げるように電車を降りた。余計なことをしてしまった感が半端なくて、いつもの駅まで身がもちそうになかった。


 おかげで、会社に初めて遅刻することになった。真っ先に鬼瓦へ謝罪し、クレーム処理案件に着手した。意外にも、鬼瓦から怒られることはなく、クレーム先の電話に集中して頭を下げ続けることができた。


「佐山、ちょっと来い」


 昼休みが終わり、午後一番で鬼瓦から特別叱責室に呼び出された。同僚たちがドナドナの子牛を見るように俺を見ていたが、犯罪者のように顔を伏せたまま会議室に向かった。


「佐山、今朝は大変だったらしいな」


 会議室に入ると、鬼瓦が珍しく砕けた態度で俺に接してきた。


「被害女性から電話があった。お前が助けた被害女性は、お得意様の社員でお前のことを覚えていたそうだ」


 鬼瓦によると、俺が逃げた後に女性から会社にお礼の電話があったという。通勤中の痴漢被害に女性は悩んでいたようで、俺が助けたことでようやく安心できると喜んでいたらしい。


 鬼瓦の話を聞いて、俺はくすぐったい気持ちになった。衝動的に女性を助けただけだが、こうしてお礼を言われると、助けてよかったかなと思えた。


「お前、少し変わったな」

「僕が、ですか?」

「昔のお前なら、見て見ぬふりしていただろう。佐山、何かいいことでもあったか?」


 鬼瓦の問いに、俺は首を傾げて誤魔化すしかなかった。まさかゲームで異世界に行ってますとも言えず、さらにはモリスとビアンという家族ができたとも言えなかった。


「部長、一つ質問してよろしいですか?」

「珍しく改まってどうした?」

「会社として絶対に取らなければいけない営業案件があるとして、でも、絶対に勝てない相手と競合した場合、部長ならどうしますか?」


 場の砕けた雰囲気を利用して、俺は遠回しに鬼瓦に相談してみた。鬼瓦は、ゴマをすって部長になったわけではなく、実力で勝ち上がった人だ。ひょっとしたら、何かヒントになる話を聞けないかという期待があった。


「佐山、この世に必然や偶然というのはあっても、絶対というのはない。この意味がわかるか?」

「すみません、よくわからないです」

「どんな物事も、考え方次第ってことだ。お前がいう絶対に勝てない相手に勝つには、まずはお前自身が変わらないといけない」

「自分自身が、ですか?」

「絶対に勝てないと思う自分自身を変え、この方法なら勝てるかもしれないと思える自分になることだ。よく言われる、周りを変えるにはまず自分からというのも同じことだ」


 鬼瓦の口調は優しいものの、そこには長い間営業の世界で勝ち抜いてきた重みのようなものが感じられた。


「佐山が何か問題を抱えているとしたら、その問題を解決するには、まず自分自身を変えることだ。だがな、これが口で言うには簡単だが、そう簡単には人は変われないものだ」


 鬼瓦が俺の肩を叩き、会議室を出ていく。貴重な話を聞けたことにお礼を言いながら頭を下げると、鬼瓦は背中越しに手を振った。


 一人残された俺は、鬼瓦のアドバイスを頭の中で反芻した。


 今の俺では、竜騎士の全滅は避けられない。だが、俺自身が変われば方法を見つけることができるかもしれない。


 俺が変わるということは、おそらくSSSにレベルアップすることだろう。その為には、まずやるべきことを明確にする必要がある。


 会議室の中で一人決意した俺は、ひょっとしたら孤児になって以来、初めて人生に目標を持ったような気がした。

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