バレンタインの甘い告白(ソフィアとカリーナの場合)下
カリーナは精一杯可愛らしく見えるように着替え、王城の近衛騎士団の敷地の入り口である門の側で深呼吸をした。
目的の相手はここにいる。日が傾いてくる時間──もうすぐ騎士団員達は仕事を終える筈だ。そうしたらこの門から出てくるだろう。カリーナ以外にも何人もの女の子がいることが気になった。貴族の子女というよりは、街の娘といった雰囲気だ。騎士団は街へ出ることも多い。憧れられることも多いのだろう。彼女達と目的の人物が違うことを願うばかりだ。
「──やっぱり、騎士団って人気なのね」
誰に言うでもなく呟く。カリーナがこの日にここに来るのは初めてだった。門から騎士団員が出てくると、女の子達の内の何人かがその人を目当てに集まっていく。やはり特に若くて見目の良い者や特務部隊、魔法騎士などは人気のようで、きゃあっと黄色い声が上がる度、カリーナはどきりと胸を高鳴らせた。
「きゃあー!」
少しして一際大きな声が上がり、二桁を超えるのではないかと思う程の人数の女の子が門の方へと寄っていった。カリーナは慌ててそちらを見る。もし目的の人だったらどうしよう。しかしそこにいた人物が予想とは異なって──それでもそれは良く知った人物で、カリーナは目を細めた。可愛らしく着飾った歳若い女の子達。その輪の中で差し出される菓子に手を伸ばさず、それどころかクールに一瞥して先を急ごうとしている。
「菓子は受け取らない」
ばっさりと断られた彼女達は、それでもめげずに後を追っていく。その相手は、カリーナの主人であるギルバートだった。気付かれたくないと、柱の陰に隠れて様子を窺う。
「侯爵様、でも、私……今日の為に作って──」
「私も、先日街で助けて頂いたお礼に」
次々と投げられる言葉は振り向いてもらいたいが故だろう。確かに立ち止まらせる効果はあったようだ。振り返った顔には、およそ表情と呼べるものは浮かんでいなかった。それは黒騎士と呼ばれるに相応しいものだと思う。
「──すまない。皆の心遣いは嬉しいが、私は婚約者に誤解を与えたくない。それに」
一呼吸置いた次の瞬間、その場にいた人々は動きを止めた。冷酷だと言われる割に親切で、しかし確かに感情をあまり表に出すことのない彼が、ふわりと柔らかく微笑んだのだ。
「私は、彼女の笑顔が見られればそれで充分だ」
思わず浮かんでしまったといったようなその笑みは、彼女達をその場に足止めするに充分だった。隙をついてすぐにギルバートは馬車へと乗り込んでいく。残された女の子達は、頬を赤らめたまま帰っていった。
「あーあ、副隊長も罪作りだよねぇ。ね、そう思わない? カリーナちゃん」
カリーナは背後からかけられた声に慌てて振り向き、そのまま背を隠れていた柱にぶつけ──尻餅をついた。
「ど、どうしてここに──」
「いや、正面から帰ったら大変だろうと思って。ほら、トビアスは素直だから……もう囲まれちゃってる。第二小隊の僕達はさ、街に出ることも多いから、今日みたいな日は隠れて帰った方が良いの」
はっと門の方を見ると、確かに新たな人集りができていた。その言い振りに、カリーナは思わず溜息が漏れる。しかしそんな男に菓子を渡そうと、のこのこやってきたカリーナは文句を言うことはできなかった。尻餅をついたままのカリーナを助け起こそうと右手を差し出した近衛騎士団第二小隊の隊員──ケヴィンは、にかっと悪戯な笑みを浮かべた。
まだソフィアとギルバートが事件解決の為にレーニシュ男爵領にいた頃──ケヴィンは教会で少年を攫おうとした男達を王都まで護送し、その後ギルバートの遣いで王都のフォルスター侯爵邸へとやってきた。当時ソフィアの侍女になりたてだったカリーナは、ソフィアが留守の間パーラーメイドとしても働いていた。そしてこのとき、近くに買い物に出ていたハンスが不在のエルヴィンとクリスティーナの代わりにやってくるまでの間、ケヴィンの相手をカリーナがすることになったのだ。
「ありがとう。──へへ、貴族の邸に来るのって嫌いなんだけど、副隊長のとこは好きなんだ。紅茶は美味しいし、仰々しくなくて。侯爵様なのに不思議だよねぇ」
それは当主の人柄のお陰だと思い、カリーナは少し嬉しくなる。
「お褒め頂きありがとうございます」
部屋の端に控えている使用人は、客人に話しかけられることは稀だ。しかし話しかけられれば、会話をすることは許されている。ケヴィンと名乗ったその男は、本来の年齢を推測させない程の童顔で、カリーナとあまり年齢は変わらないように見えた。しかし騎士として働いているのだから、きっと歳上なのだろう。可愛らしさの中にもしっかりと男性らしさのある見た目をしている。こんな騎士もいるのかと、カリーナは騎士というものの認識を改めた。
「あ、そんな固くならないで。僕が緊張するから」
にかっと笑ったケヴィンは、紅茶を飲みながらカリーナに向かって話し続ける。
「うーん……あ、そうだ。貴女も気になってるだろうし、副隊長達のこととか男爵領のこと、質問あれば答えるよ」
勿論捜査上の秘密にあたらないところならね、と付け足されたケヴィンの申し出は、カリーナにとって渡りに船だった。知りたくて知りたくて、それでも無事の報せだけを聞いてどうにか心を落ち着けていた大切な友人であり仕える主人であるソフィアのことを、やっと聞くことができる。そう思うとどうしても前のめりになってしまう。
「それでは──ソフィアのこと、教えて頂けますか。あの子は元気にやってますか? 頑張ってますか? ……泣いて、ませんか」
口にしている内に少しずつ不安になって、最後の言葉はらしくなく尻すぼみになった。それが恥ずかしくて、その分ぐっと背筋を伸ばす。
「そうか。ソフィア嬢の……友達?」
「侍女、です」
取り乱したことが恥ずかしくて頬を染めると、ケヴィンはその童顔に似合わない大人びた柔らかな表情で笑った。
「役職はそうかもしれないけど、こんなに心配してるのは友達だよ。それに、ソフィア嬢は友達だと思ってるんじゃないかな」
「そうですね。……失礼致しました。それで──」
「ああ、そうだね。えっと、ソフィア嬢は」
そのとき、ちょうど扉を叩く音が響いた。ハンスがやってきたのだろう。カリーナは聞けなかったことを残念に思いながら、仕事用の笑顔を貼り付けた。
「お話、ありがとうございます。ハンスが参りましたので、失礼させて頂きます」
「あ、待って」
一礼してその場を去ろうとしたカリーナを引き留めるかのように、ケヴィンは声をかけた。
「仕事、終わるの何時?」
カリーナは振り返って首を傾げる。
「午後六時ですけど……」
「良ければ一緒に食事でもどう? ソフィア嬢達の話、今は無理だけどそのときならゆっくり聞かせてあげられるよ」
それはあまりに魅力的な誘いだった。いつもなら軟派であると嫌う誘い文句だったが、ケヴィンの表情からは下心は感じられない。それはカリーナが既にケヴィンを信頼し始めているからだろうか、それとも、ケヴィンの性質故だろうか。
「──ありがとうございます。では、六時に」
手の平で転がされているような錯覚に、カリーナは精一杯平静を装って返事をした。
予想以上に話が合い、また付き合いの良いケヴィンのお陰もあり、それ以来たまに二人で食事をする仲になっている。それはカリーナにとって予想外のことで、その無邪気と計算の混ざった性格は、好意を抱くには充分だった。
「あ、ありがとうございます」
カリーナはケヴィンの手に自身の手を重ね、立ち上がった。そのままくっと腕を引かれて、カリーナはバランスを崩しそうになるのを堪える。急に掛けられた力にきっと睨むと、ケヴィンはそのままカリーナの手を握った。
「はは、ごめんごめん。──それで、カリーナちゃんの目的の男は誰?」
可愛らしい顔の丸い瞳がすうっと細められ、柱の陰から門の方へと向けられる。今も出てくる騎士達に、女の子達はきゃあきゃあと騒いでいる。
「──……よ」
「え?」
言葉にならない声が悔しい。カリーナは握られた手を振り払い、持ってきた鞄の中からソフィアと一緒に作ったガトーショコラを取り出した。綺麗にラッピングしたそれは、今のぐしゃぐしゃな心とは似つかわしくない。それでも確かにケヴィンを思って作り、包んだものだ。勇気を振り絞って、腕を伸ばしてケヴィンに押し付けた。カリーナの手から離れたそれを、ケヴィンは両手で受け止める。驚いた表情が憎らしい。
「あんただって言ってるのよ!」
正面から出たら大変だと言っていたケヴィンは、きっととても女の子から人気があるのだろう。カリーナのそれも、余計だったかもしれない。そう思うと居た堪れなくて、そのままその場から逃げ出した。
「えっ……あ、ちょっと!」
追ってくる声は聞こえない振りで、外に向かって走る。真っ赤になった顔も、きっと潤んでいるであろう目も、今日はあまり目立たないだろう。なにせバレンタインだ。あんなにも女の子がいたのだから。
そしてきっと、ケヴィンが追い掛けてくればすぐに追い付かれるだろうことも分かっていた。相手は騎士の中でもエリートの、王太子付きの近衛騎士だ。案の定王城の敷地を出る前に手首を掴まれた。自身の乱れた呼吸と高鳴る鼓動が煩い。
「逃げないでよ」
言葉と同時に背後から抱き締められ、カリーナは余計に呼吸が苦しくなる。ケヴィンの少しも乱れていない呼吸に、悔しさが募る。
「……っ」
唇を噛んだ。涙が勝手に溢れてくる。またこうやって、ケヴィンはカリーナの胸を簡単にいっぱいにしてしまうのだ。
「待って、困る。泣かないで。──ああもう、どうしたら良いんだ」
困らせたい訳ではない。本当は笑顔で渡して、笑顔で受け取って貰いたかった。素直になれない自分が情け無い。ソフィアはいつだって可愛らしく、素直にギルバートに向き合っていた。あの大好きな友人のようになれたら、もっと違っていたのだろうか。涙は次々零れて、想いは言葉にならない。
「ごめん。カリーナちゃんが僕に会いに来てくれたとは思わなくて……他の男だと」
「他の……人なんてっ、知らないもの……!」
「うん、そうだね。ごめん。──それで、僕にくれたの、すごく嬉しいんだけど」
耳元を擽る声はこれまでにない程優しい。甘い声に、どうしても期待してしまう。
「これから一緒に、食事でもどうかな?」
少し自信のなさそうな声が嬉しい。抱き締めてくる腕に手を添えて緩めさせて、自由になった手で涙を拭った。
「そうね。私も、お腹空いちゃった!」
振り返って、きっと赤い目のまま笑う。ケヴィンは安心したような顔で、平静を装って笑い返してくる。
しかしカリーナは嬉しかった。赤くなった耳が、まだはっきりと言葉にされないケヴィンのカリーナへの気持ちを表してくれているような気がした。
次話から後日談を更新します。
引き続き、よろしくお願いします!