バレンタインの甘い告白(ソフィアとカリーナの場合)中
バレンタイン当日、ソフィアとカリーナは午前中のうちから厨房で料理をしていた。昼前に完成したのはガトーショコラだ。冷ましてから包む為、料理長に頼んで冷蔵庫を借りた。
「──聞かずにいたけれど、カリーナは誰にあげるの?」
部屋へと戻る廊下で、ソフィアは口を開いた。カリーナは焦ったように足を止めて目を見開く。
「えっ?」
ソフィアも立ち止まり振り返った。カリーナの頬が真っ赤に染まっていて、ソフィアは驚いた。
「カリーナ……大丈夫?」
「あっ、ごめんソフィア!」
「ううん、良いのだけど……」
苦笑すると、カリーナは少し居心地が悪そうに手の甲を反対側の手で摩った。らしくない仕草にソフィアまで恥ずかしくなってしまう。
「違うの。話したくない訳じゃなくて、ただ……その。──こういうのって、初めてだから恥ずかしい。今分かったわ。ソフィアもこんな気持ちだったの?」
すっかり恋する乙女な様子のカリーナは、ソフィアから見てもとても可愛らしかった。
「ええ、そうよ。ねえカリーナ。せっかくのバレンタインだもの。頑張って。今度、彼のこと教えてね」
「違……っ! まだ彼じゃなくて──」
カリーナの様子からして、まだ片思いなのだろうか。
「今日の午後はお休みでしょう? ゆっくりお出掛けでもして、リラックスすると良いと思うの」
「ソフィアこそ、ギルバート様のことだもの。きっと今日は早く帰ってくるわよ。楽しみね。後で話聞かせて!」
「うん、ありがとうっ」
ソフィアは部屋の前でカリーナと別れた。自室とされている客間の一室で、ソフィアは藍晶石の指輪を左手の小指にはめる。着けている方が自然になったそれは、ギルバートの瞳のような藍色だ。透き通った石を見つめれば、それだけで自然と頬が染まる。きっとギルバートはまだ仕事中だろう。真面目なところも好ましく思っているが、こんな日は早く帰って来てほしいというのもやはり本音である。そんな矛盾する感情のまま、そっと照明のスイッチに左手で触れる。昇った太陽により窓の影になっていた場所が、ぱっと明るくなった。
それは、太陽が地平線の向こうにまさに沈もうとしているときのことだった。窓の外から聞こえてくる馬の蹄の音に、ソフィアははっと顔を上げる。いつもギルバートが帰宅するのはもっと後──日がすっかり沈んでしまってからである。まして今の季節は日の入りが早い。まさかという気持ちと期待とを抱えて、ソフィアは部屋を飛び出した。
階段の上から階下を見下ろせば、確かにそこにいたのはギルバートで、ソフィアは頬を緩ませる。足音を立てないように、上品な仕草を心掛けてサルーンへと下りた。
「おかえりなさいませ、ギルバート様」
その声に、ハンスとの会話を止めてギルバートはソフィアに顔を向ける。目が合い、どきんと胸が鳴った。
「──ただいま、ソフィア」
声に引き寄せられるように数歩前へと進む。すぐに自然な仕草で腕を引かれて閉じ込められたギルバートの腕の中は、微かに汗の匂いがした。すっかりソフィアの形に馴染んだその場所に、どうしても鼓動は大きくなる。
「あ、あの……ギルバート様。皆、いるので。恥ずかしいです……っ」
思わず俯いてしまいそうなソフィアの頤にギルバートの手が掛かった。くっと上げられれば、目を逸らすことができない。
「当主が婚約者と仲良くしている、それは皆も嬉しいことだろう」
ギルバートは、無茶な理屈を並べてソフィアを逃がさない。藍晶石よりも深いその瞳の藍色に吸い込まれるように、軽く重ねるだけの口付けを交わした。
「ギルバート様は、意地悪です……っ」
やっとその腕から解放されたソフィアは、すっかり熱を持ってしまった頬に自らの手を当てた。きっと真っ赤になっていることだろう。
「帰りを待っていてくれたのが嬉しかった。──すまない」
眉を下げて言われてしまえば、ソフィアが許さない筈がない。今日、ソフィアは、心からギルバートの帰りを待っていたのだ。
「いいえ。お帰り、お待ちしていました。早く帰ってきてくださって、嬉しいです。あの、今日は……バレンタインですから……っ」
ソフィアが頬を染めつつも素直に微笑むと、ギルバートも嬉しそうに口角を上げる。
「ああ、知っている。だからソフィアにはこれを」
ギルバートはハンスに持たせていた紙袋の中身を取り出した。ソフィアは驚きに目を見開く。その心遣いに、心がじんと熱くなった。
「ギルバート様、これ──」
「最近はバレンタインに男から贈り物をしても良いと部下から聞いた。最近のソフィアは儚げな美しさの中にも凛とした強さがあると思う。私にとっては、まさにこの白薔薇のようだ」
その白薔薇の花束は、柔らかな色合いのラッピングでソフィアの心を和ませる。差し出されたそれを両手で受け取ると、胸元からふわりと薔薇の華やかな香りがした。自身を薔薇に例えられることがあるなど思わなかった。そういうことは、もっと華やかで美しい令嬢達に似合うと思っていたからだ。
「ありがとう、ございます……っ」
予想外の贈り物とその言葉に、ソフィアは潤む瞳でギルバートを見上げた。ギルバートは手を伸ばして、ソフィアの頭を優しく撫でる。その心地良い感触にぽろりと涙が零れて、胸元の薔薇の一輪を濡らした。
いつもより少し豪華な食事を終え、ソフィアは給仕を担当している使用人に合図をした。
「あの、ギルバート様。私からも贈り物があるんです」
ギルバートはナプキンを畳もうとしていた手を止め、ソフィアを見る。
「デザートに用意してもらっていて……あ、来ました」
使用人がギルバートの前に皿を置く。皿の上には、包装紙で包んでリボンを付けたソフィアの手作りのガトーショコラが置いてある。
「開けてもいいか?」
「はい。お口に合うと良いのですが」
ギルバートはリボンを解き、包装紙を広げる。料理人が作ったものより少し形は悪いが、味には自信があるそれを見たギルバートは、はっとソフィアへと視線を移した。
「──これは、ソフィアが作ったのか?」
「形は少し崩れてしまいましたが、しばらくの間料理長から教わって、ちゃんと自分で作りました。初めてですが、味は大丈夫だと──」
言い訳のように言葉を重ねるが、ギルバートはソフィアが話すにつれて笑みを深くしていく。それに気付いて言葉を切ると、ギルバートは一度頷いて、ソフィアの大好きな甘い表情を浮かべた。
「ありがとう、とても嬉しい」
そのガトーショコラは、その日のデザートとなった。ギルバートが皿を運ばせ、切り分けてソフィアにも分けてくれたのだ。
「せっかくソフィアが作った物を一人で食べないのは勿体ない気もするが、やはりソフィアと食べた方がより美味い」
ソフィアは、しばらくの間厨房での練習をギルバートに気付かれないように指輪を外していたことを話した。ギルバートはやはり僅かに視線を逸らしたが、そうか、と頷く。
「あの、ギルバート様。私、この指輪で居場所がギルバート様に伝わること──嫌だと思っていません。今回も……ギルバート様が私を気に掛けてくださっているって思って、嬉しかったです」
「しかし──」
「それに何かあっても、この指輪があれば……いつもギルバート様と繋がっているってことですよね」
頬を染めたソフィアに、ギルバートは息を呑む。ソフィアが首を傾げると、ギルバートは小さく嘆息した。
「ソフィア、……早く結婚したい」
二人の結婚まであと数ヶ月だ。ソフィアはそのあまりに素直なギルバートの言葉に、私もです、という言葉を飲み込んだ。
次回、カリーナのバレンタインです。