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青薔薇の君(エミーリアとマティアスの場合)下

「──まあ、殿下。如何なさいましたか?」


城の明かりに照らされた開かれた場所に、秋薔薇が深紅の花を咲かせている。その美しい光景を背景にして、艶やかに微笑んでいる美女は──足元に三人の男を転がしたまま優雅に礼をした。


「いや、貴女の後について会場を出た男達を見かけたから、つい心配でね。しかし──なかなかの腕前のようだ」


「殿下にお褒め頂き、光栄でございますわ」


エミーリアは少しも悪びれることなく、堂々と一礼する。すっかり伸びてしまった男達は、投げ飛ばされたように上向いて倒れている。見ていなくとも何があったかは想像に難くない。マティアスの推測が正しければ、確かにエミーリアに落ち度はないだろう。しかし夜会の会場でこのような騒ぎを起こしてしまったことは、褒められることではない。


「彼等を医務室へ。丁重に休ませてくれ」


距離をとってついて来ていた護衛のうち二人が頷いて、早速男達を医務室へと連れて行った。余計な人間がいなくなり、護衛を除けば、マティアスとエミーリア以外誰もいなくなる。


「ご親切にありがとうございます」


どこか不本意そうなエミーリアに、マティアスは面白くなって喉の奥で笑った。


「いや、私は彼等に親切にした覚えはないよ。自分の保身の為さ。──これからすることを、誰にも咎められたくはないからね」


「これから……?」


マティアスは目を細め、口角を上げた。この興奮をどう表現したら良いだろう。薔薇を背景にした彼女は、これまで見たどの令嬢よりも強く凛々しく、美しく見えた。しかし首を傾げる姿は年頃らしく愛らしく、また急に王太子である自身を前にしてもしゃんと伸びた背筋からは自信があることが窺える。初めてだった。エミーリアを──一人の令嬢を手に入れたいと、強く思ったのは。

マティアスは片足を軽く引き、左手を差し出す。その顔に浮かぶ極上の笑みに、エミーリアは痙攣したように片頬をぴくりと動かした。


「──私と踊って頂けますか、お嬢様」


抗えない程に強い視線に射抜かれる。それは王族であるが故か、それともマティアス自身の強い存在感故か。エミーリアは喉の奥が引き攣るのが分かった。


「──あ……っ」


意味のない音が漏れても、マティアスは表情を変えないままに手を差し伸べている。頬が勝手に染まっていくのが分かる。甘い蜜に誘われるように、蝶が罠に掛かるように、それが自然の摂理であるように、エミーリアは右手をゆっくりとマティアスの手に重ねた。明確な意思などなかった。ただそうすることが当然であるかのように、吸い寄せられた。


「ありがとう。──では、会場に戻ろうか」


「はい……」


どうしてしまったのだろう。いつもなら適当にあしらってしまうのに、今はそれができない。マティアスが王太子だからなどという簡単な理由ではない。ただ単純に──エミーリアはそれ以上考えるのを止め、マティアスのエスコートに任せて夜会の会場へと戻った。





扉が開いた瞬間、視線が集まるのが分かる。一人で出て行った筈のマティアスがエミーリアを伴って戻ってきたのだ。驚くのも無理はないだろう。そんな視線も気にならないとばかりに、マティアスは会場の中心へと歩を進める。楽団が、ゆっくりと音楽を奏で始めた。


「──では、踊ろうか」


にっこりと笑顔で言うマティアスに、やっと我に返ったエミーリアは慌てて微笑みを返す。ここで負ける訳にはいかない。すぐに曲に合わせ、緩やかなステップを踏み始めた。


「王太子殿下は、流石ですわね。お望みのタイミングで音楽をお掛けになるなんて」


精一杯の嫌味に、マティアスは虚を突かれたように目を見開き、やがて面白そうに控えめな笑い声を上げた。


「はは……そうか。これはね、私がさせているのではないよ。──戻ってきた私達が充分に目立っていたのだろう。皆優しいね」


そう言われてしまっては言い返すのもかえって子供っぽいだろう。内心では悔しく思いつつも、エミーリアはただ頷くだけだ。


「そう、ですわね」


「貴女は運動は得意だろう? それはダンスもそうだと思って良いのかな」


「ええ……少々、自信はございます」


「ならば、共に楽しもう。折角の夜会だ。──あんな男達のことなど、すっかり忘れてしまえ」


曲調が変わる。同じ曲であるのが嘘のように早いテンポに、エミーリアは驚きつつも足を動かした。マティアスの楽しそうな表情が正面にあり、唐突に見せられた無邪気な笑顔に驚きが隠せない。


「殿下は……」


言いかけた言葉を飲み込んだ。言いたいことはたくさんあるが、今はこの時間を楽しもう。

マティアスが伸ばした腕に従い、エミーリアはふわりとドレスを広げて回る。裾を丁寧にさばきつつ舞い戻ると、マティアスはしっかりと受け止めてくれた。次のステップも自然と踏み出せる。初めて踊る筈の相手なのに、まるでずっと前から互いを知っていたかのように、ぴったりと息が合っていた。それはエミーリアには初めての感覚だった。少しずつ、世界から余計なものが削ぎ落とされていくような錯覚。


「──なんだか、私達しかいないみたいだわ」


「そうだな。私も、こんなに楽しいのは初めてだ」


弾む呼吸の中、聞かせるつもりもなく口にした言葉は、マティアスの耳にしっかりと届いたようだ。恥ずかしくて頬を染めると、マティアスはそんなエミーリアを揶揄うように踏むステップを変える。


「殿下は、……意地悪ですね」


当然のようにそのエスコートについて行きながら、エミーリアは唇を尖らせる。しかし眼前にある楽しそうな表情に、思わず吹き出して笑ってしまった。なんて──なんて可愛い人なのだろう。遠い存在である筈の王太子を、とても身近に感じる。


「私は紳士だよ」


「──左様でございますか?」


自分で紳士だと言う人間に紳士はいないと思う。どんどん楽しくなってきて、先程の仕返しとばかりに今度はエミーリアがステップを変えた。それにマティアスは目を見張って苦笑する。ついて来てくれることが嬉しかった。目立っているだろうことは分かっていたが、この楽しい時間を終えたくなかった。





翌日、いつもより朝寝坊をしたエミーリアは、日がすっかり高くにあることを確認して溜息を吐いた。タウンハウスの自室は、柔らかなレースや上品な家具で揃えている。どれも幼い頃から集めた、エミーリアのお気に入りだ。

侍女の手を借りて朝の支度を済ませ、着心地の良い柔らかなワンピースを身に纏う。どうせ一日家にいる予定なのだと、外にはあまり着ていかないような、甘い色合いの服を選んだ。外出するときは自分に似合うものを選ばざるを得ないが、家にいるときは好きな服を着たい。

朝食をとるより昼食の時間の方が早いと思い、侍女に紅茶と小さいスコーンを用意させる。読み途中だった本を開き、紅茶を口にして──ほっと一息ついたところで、ばたばたと騒がしい足音が近付いてきて、エミーリアは侍女と目配せをした。何があったのだろう。


「──エ、エエ、エミーリアっ!」


ノックも無しに部屋に飛び込んで来たのは、エミーリアの次兄だった。これでもかと顔を青くして、らしくもなく息を乱している。


「お兄様、どうなさったの? まさか、領地に何か──」


真っ先に疑ってしまうのは領地の危機だ。国境を守る役目を仰せつかっているアーベライン家の一番の事件は、隣国が攻めてくることだろう。しかし腰を浮かせかけたエミーリアは、続く兄の言葉にほっと息を吐いた。


「いやいや、領地は何ともないよ!」


「でしたらそんなに取り乱さないでくださいませ」


椅子に座り直し、残っていたスコーンを一口に食べてしまう。香り高い紅茶はエミーリアお気に入りのアールグレイで、華やかな花の香りがした。


「お前のことなんだが!?」


「──私の?」


心当たりがないエミーリアは首を傾げる。大きな問題は起こさないようにしてきた筈だ。なにせ、自分が目立っているという自覚くらいはあるのだから。


「ってああ、それどころじゃないよ。お待たせしているのだから、早く準備して下の応接間に来てくれ。頼んだよ!」


次兄は来たときと同様にばたばたと大きな足音を立てて出て行った。お待たせしている、ということは来客か。相手は聞きそびれたが、客ならばあまり待たせてはいけないだろう。

部屋の端に控えていた侍女と目配せをして、手早く着れるドレスに着替える。髪は緩く纏めてあるので、そのままにした。化粧など直す暇もなく、口紅だけを塗る。走らないぎりぎりの速さで廊下を歩いて、ようやっと応接間にたどり着いた。ドレスの裾を整え、髪に軽く触れて乱れていないことを確認する。扉を、軽く叩いた。


「──失礼致します」


扉を開けて真っ先に目が合ったのはエミーリアの長兄だ。いつも余裕の表情でいることが多い兄が、エミーリアを見て安心したような顔をしている。長兄が客の前でそのような表情を見せるのは珍しい。一体誰が──と思ったとき、入り口に背を向けていた客が立ち上がって振り返った。


「お邪魔しているよ」


金色の髪に涼しげな空色の瞳。すっと伸びた背筋は高い身長をより高く見せる。服の上からでも分かる適度についた筋肉と、多くの女性を魅了するであろう甘い微笑み。


「──殿下、どうして我が家へ……?」


それは間違いようがなく、昨夜ダンスを共にしたマティアス王太子殿下その人だった。どきりと心臓が跳ねる。


「貴女に会いに。それに、昨夜は次の約束をしそびれてしまったからね。ご家族からデートのお許しを頂こうと思って」


「許しなど……殿下が望まれればそれが決定事項でしょう」


「それでは意味がない。貴女の同意がなければ、独りよがりではないか」


涼しげに見える筈の空色の瞳の奥には、確かに隠しきれない熱情があった。それは自身を求められているようで、心の奥がじりりと焦がされる。


「私は……」


返事に困って眉を下げた。立ちすくんでいたエミーリアの元へ、マティアスは迷いのない歩調でまっすぐ向かってくる。すぐ前で立ち止まり、まるで本物の姫に対してするように片膝をついた。


「なにを──」


その姿勢を拒もうとエミーリアが口を開く前に、マティアスは一輪の薔薇を差し出した。それはこの世に存在し得ない筈の真っ青な薔薇の花だ。エミーリアは思わず言葉を切った。


「貴女は強く気高く、美しい心を持っている。それでいてとても可愛らしい。こんなに誰かに惹かれたのは初めてだ。エミーリア嬢、私は貴女のことをもっと知りたい」


その瞳には、嘘偽りの色は全くなかった。一国の王太子であるマティアスが、きっと多忙であろうに、わざわざエミーリアに会う為だけに来てくれたのだ。


「では……」


エミーリアは淡く微笑んで青薔薇を受け取った。どうやって青くしているのだろう。染色したのだろうか。それとも何か特殊な魔法でも使っているのだろうか。まじまじと見るエミーリアに、マティアスは期待を込めた表情を隠そうとしない。


「──お友達から、よろしくお願いしますわ」


様子を窺っていた長兄ががくりと肩を落とした。エミーリアはそれでも笑みを深める。しばし黙っていたマティアスは、面白そうに喉の奥でくつくつと笑い、そのままエミーリアの手の甲に軽く口付けた。


「な……っ」


目を見開いたエミーリアに、マティアスは手を離さないままくすりと笑う。


「光栄です、お嬢様。──逃がさないから、そのつもりで、ね」


以降マティアスのお忍びが増え、護衛達が頭を抱えるようになる。その代わりに仕事の効率が上がったのは、嬉しい副作用だった。

そしてあっという間に外堀をしっかり埋められたエミーリアは、二年後にはマティアスと結婚し王太子妃となるのだが──まだ、このときには知る由もなかった。

次はソフィアとギルバートの話です。

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よろしくお願いします!
― 新着の感想 ―
[一言] エミーリアと一緒に、どきどきしてしまいました(笑) 王道のロマンティックなお話、にやけながら読ませていただきました!
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