令嬢の価値(ビアンカの場合)上
『令嬢と黒騎士様は結婚する1』の後です。
本編には入らなかった、その後のビアンカのお話。
(上中下の3部構成です)
「何よっ! ソフィアが男爵ってどういうこと!?」
両親が逮捕され判決が下るまでの間、ビアンカは証拠を隠蔽する可能性があり、また行き場もなかった為、騎士団にある貴人用の部屋に引き止められていた。部屋こそ綺麗だったが家には帰れず娯楽もない空間に辟易し──やっと解放されたと思ったら、レーニシュ男爵邸には入れないときた。
門の前で押し問答を繰り返してもどうにもならないようだ。
「申し訳ございません。レーニシュ男爵位は現在ソフィア様がお持ちです。──ビアンカ様、貴女のご両親の爵位は剥奪されておりますので、貴女もまたこの家には無関係の方です」
「だから、そんなの知らないって言ってるのよ!」
「そう仰いましても……」
警備兵は口調だけは申し訳なさそうだが、決してビアンカを通そうとしない。
「──分かったわ。もう結構よ」
ビアンカは踵を返してレーニシュ男爵邸を後にした。こうなったら直接ソフィアに文句を言わねば気が済まない。ソフィアがいる場所は、きっとフォルスター侯爵邸だろう。
本来ならば爵位もない女がいきなり侯爵邸を訪ねること自体が不敬なのだが、その時のビアンカにはそれを気にする余裕はなかった。やっとそれに気が付いたのは、その立派な建物の門の前に立ったときだ。綺麗に整えられた生垣と、門の前からでも窺えるタウンハウスにしては広く美しい庭園。そして歴史を感じさせる洗練された建物。権威を象徴しているような外観に怯み、しかしもう引き返せないと門前で叫ぶ。
「──ソフィア、いるんでしょう!? 調子に乗ってるんじゃないわよ。早く出てきなさい!」
門前の警備が目を見張る。制止しようとするのを睨みつけて、門の先をじっと見た。ソフィアなら必ずビアンカが呼べば出てくる筈だ。しかし予想に反し、そこにやってきたのは品の良い中年の男だった。おそらく使用人だろう。物腰は柔らかいが、その目には突然の来客への猜疑心が浮かんでいる。
「もしや、ビアンカ様でございますか」
「ええ。私、ビアンカ・レーニシュと申しますわ。こちらにソフィア・レーニシュがいるかと思い参りましたの」
すまして言うと、男の合図で門が開けられた。
「本当にいらっしゃったのですね。──こちらへ」
慇懃な態度を崩さず、男はビアンカを邸内へと導いていく。玄関扉を抜けた先のサルーンから魔道具の明かりが等間隔に並んだ廊下を抜け、辿り着いたのは応接間らしき部屋だった。上品なソファーが対面に置かれた応接セットがあり、縦長の窓の側には華奢なティーテーブルと椅子が置かれている。窓からは外の庭園が見えるようになっているらしい。室内の調度から庭園まで全てが計算され完成されているように見えて、ビアンカは自身の存在までもが邪魔なもののように感じさせられた。
扉が軽く叩かれ、室内に男が一人入ってくる。その男はビアンカだけでなく、多くの令嬢が美しいと讃え──しかしその怖ろしさ故に距離を置いている、ギルバート・フォルスター侯爵その人だった。
「侯爵様、お邪魔しておりますわ」
「──それで、今日はソフィアに用があったのか」
ギルバートはビアンカに椅子を勧めることもせずに話し始める。不満に思いつつも、ビアンカはその姿を近くで見ることができるので良しとした。アルベルトも見目は整っているが、ギルバートの方が無駄がなく洗練されている。やはり侯爵という地位も素晴らしいし、魔法騎士としての名誉もある。この完璧と言っていいだろう男の伴侶に選ばれたのがソフィアだと思うと、ビアンカには許し難かった。
「そうなのです。──ソフィアったら、あんなにも仲良くしていた私を家に入れないようにと言いつけているようで……私、どうしようと思いこちらに伺いましたの」
瞳を潤ませるくらい簡単なことだ。肩を落として上目遣いに見れば、大抵の男は頬を染める。
「生憎ソフィアには外出させている。男爵令嬢の地位を失ったのだ。邸に入れないのは当然ではないか?」
その筈なのに、ギルバートは表情を変えずにじっとビアンカを見据えている。
「何を──何を仰っているのです?」
「貴女の両親は断罪され、父上の男爵の地位は剥奪された。つまり貴女は男爵令嬢でも何でもない、ただのビアンカでしかないということだ。レーニシュの姓も名乗らない方が良いだろう」
「そんな、ソフィアにはあんなに……優しくしてあげたのに、薄情ですわっ!」
「優しく、か。貴女の常識は随分と歪んでいるらしい」
「何を──」
「優しくすると言うのは、服を裂き物を奪い、蔑み萎縮させることか。婚約者と家まで奪った人間が嘘偽りで被害者を入れ替えるとは──滑稽なことだ」
呆れたように目線を逸らされ、ビアンカはかっと頭に血がのぼるのが分かった。悪い癖だと知っていながら、止めることはできない。相手が侯爵であったとしても、明確にプライドを傷付けられたのだ。
「貴方は何も知らないでしょ。私とソフィアの話を勝手に解釈して全部私が悪いみたいに言わないでくださいませ。全部持ってるあの子が、私にくれないのがいけないのよ!」
「まるで子供だな。他人のものばかり欲しがり、自分を省みない。勘違いしないで貰いたいが、私は貴女を知っている。私は、触れた相手の記憶と感情を読むことができるのだ。これまでに何度触れたか──考えてみると良い」
言われた言葉はビアンカにとって衝撃だった。思えば初めて会ったときから、ギルバートは無駄にビアンカに触れようとしていた。まさか最初の夜会で転びかけたのも、全てこの男の策略だったと言うのか。触れた相手のことが分かるなど、そんな力があってたまるかと思うが、このような場面で真剣に言われると信じざるを得ない。血の気が引いていくのが分かる。自身の行動が他者からどう見えるのかは、ビアンカ自身が一番良く分かっていた。
「以前にも言ったな。貴女の価値観で全てが決まると思わない方が良いと。少なくともそれは──ソフィアは、私にとっては何よりも大切なものだ」
言葉に熱は無く、淡々と事実を突きつけるような言い方が、ビアンカの体温をも奪っていく。自分は敵に回してはいけない相手に喧嘩を売ってしまったのではないだろうか。気付いたときには遅い。
「あ……」
意味のない音が口から漏れた。ギルバートの口角が上がる。
「──レーニシュ男爵位はソフィアのものだ。春には私の元へ嫁ぐから、男爵領は侯爵領に併合される。私がビアンカ嬢、貴女を引き受けよう」
一歩、距離を詰められた。ビアンカは目を逸らすことができず、その姿に釘付けにされている。美しい人間は──なんと怖ろしいものだろうか。冷水を浴びたような寒気に全身を支配されて、身体が震えるのが分かる。底知れない藍の瞳に飲み込まれてしまうような気がした。
「遠い親戚に、葡萄酒作りをしながら平民として暮らしている者がいる。既に許可は取ってある。──そこで生活して、自分を見つめ直すと良い」
「私は……私は、男爵令嬢なのよっ!?」
「何度も言うが、既にその身分は無い。この決定は私とソフィアだけでなく、王太子殿下も承知のことだ」
否定しようとしても次の言葉は無かった。
使用人達によってすぐに用意された馬車に押し込まれ、ビアンカは強制的にフォルスター侯爵領の奥地へと連れていかれることになった。途中休憩こそあれ外から鍵を掛けられた馬車の乗り心地は最悪で、誰にでもなく悪態を吐く。ついに目的地に到着するまで、ビアンカがそれまでの自身の行動を省みることは無かった。