特別な誕生日(ギルバートの場合)上
『令嬢と黒騎士様は結婚する1』の後です。
まだソフィアとギルバートが結婚する前の、ちょっとだけ特別な日のお話。
「カリーナ、どうしようー!」
ソフィアは自室で頭を抱えた。カリーナは苦笑しながらもソフィアの髪を梳かしている。
「どうしようって、ソフィア。それここ数日ずっと言ってるわよ」
「でも、何をしたら良いのか分からないのだもの……」
こんなにもソフィアが悩んでいるのは、ギルバートの誕生日が二日後に迫っているからだ。
レーニシュ男爵領から帰ってきて数週間が経過した。先日には社交シーズンの終わりを告げる王城の夜会が開かれ、嫌でも冬の終わりと春の始まりを感じさせられる。まだ寒い季節ながら、部屋から見える枝にも淡い緑色の蕾が膨らみ始めていた。
ギルバートの誕生日が迫っていると知ったのは、本当に偶然だった。いつもの勉強会のときにハンスが何気なく言った、ギルバートの年齢についての言葉。
『ギルバート様は二十五歳……あ、いえ来週で二十六歳になりますね』
ソフィア自身の誕生日への意識が希薄だったせいだと思いたい。それまで、ギルバートの誕生日を意識したことがなかった。慌ててソフィアはハンスに確認し、ギルバートの誕生日を聞き出したのだ。
「お祝いしたいと思うのだけど、もう何年もお祝いなんてしていないらしくて」
貴族の──まして侯爵の誕生日といえば、自邸に貴族を呼んでパーティーを開くのが基本である。しかしギルバートの両親が共に住んでいた頃には開催されていたそれは、ギルバートが騎士団に入り侯爵位を継いでからは行われなくなったという。曰く、祝われる当人が面倒だと嫌がっていたことも一因らしい。
「うーん、そうねえ。ソフィアがおめでとうって言えば喜びそうだけど、ギルバート様は」
「それだけじゃ、流石に……ね」
せっかくソフィアが初めてギルバートの誕生日を祝うのだ。言葉だけでなく、何か贈り物と、記憶に残ることがしたい。
「考えても決まらないなら、皆にも聞いてみたらどう?」
カリーナは丁寧に梳っていたソフィアの髪を、くるくると纏めてバレッタでハーフアップに留めた。
「そう、ね。皆に聞いたら、何かできることもあるかもしれないわ」
ソフィアはカリーナが選んでくれた若草色のワンピースの裾を軽く直して立ち上がった。
「──それで、お嬢ちゃんは俺のとこに来たの?」
「はい。料理長なら、ギルバート様の好みも把握していらっしゃるかと……」
準備室から厨房へ声をかけると、使用人の食事の時間で手が空いていた料理長がにこにこと相手をしてくれた。
「そうだね、ギルバート様はあまりはっきり仰ることはないけど、甘味もお好きなようだよ。誕生日らしく、ご馳走とケーキを用意しても良いんじゃないかな?」
「誕生日ケーキ……! なんだか素敵ですね」
両親が生きていた頃には、ソフィアも毎年楽しみにしていたように思う。白くて丸いケーキの上に、その日だけはソフィアの名前が書かれるのだ。それはとても特別で大切なことのような気がした。
「そうだろうそうだろう。もし用意するなら、前日の朝のうちに言ってくれれば作れるよ」
「ありがとうございますっ! 考えてみますね」
「あ」
ぺこりと頭を下げてその場を離れようとしたソフィアは、料理長の声に立ち止まった。振り返ると、料理長は少し困ったように笑っている。
「料理長?」
「いや……さ。お嬢ちゃんって呼んで来たけど、ソフィア様ってお呼びした方がよろしいのかと」
ソフィアはその申し出に目を見張った。これまではメイドの一人だったが、今はギルバートの婚約者として滞在していることになる。更に今のソフィアは、レーニシュ男爵でもあるのだ。料理長が困るのも、分かるような気がした。
「いいえ──料理長。どうか今はこれまでのままでお願いします。いつか……奥様って呼ばれるの、実は楽しみにしてるんです……」
言いながら恥ずかしくなってきた。今はギルバートも使用人からはギルバート様と呼ばれているが、ソフィアと結婚すれば旦那様と呼ばれるようになるのだろう。その時に奥様と呼ばれるのを、ソフィアはわくわくとどきどきの入り混じった気持ちで、こっそり楽しみにしている。
「──分かった、お嬢ちゃん。俺もお嬢ちゃんを奥様って呼ぶの、楽しみにしておくよ」
「ありがとうございます! では、他の方にも聞いてきますね」
今度こそソフィアは踵を返して準備室を出た。
「ギルバート様の誕生日、ですか」
「……は、はい。あの、何かございますか?」
次に声をかけたのはメイド長だ。メイド長はいつものように真面目そうな顔つきで、ソフィアは少し気後れしてしまう。元々上司だったこともあり、勝手に頬が笑みの形に引き攣っているようだ。
「そんなに緊張しなくて構いませんよ、ソフィア様」
メイド長は上品にくすくすと笑った。いつからか自然とソフィアを様付けで呼ぶようになった辺り、やはりメイド長はかつてクリスティーナの侍女をしていただけのことはあると、内心で尊敬する。
「あ……ご、ごめんなさいっ」
「いえ、そうではなく……そうそう、誕生日でしたね。ギルバート様は他人に祝われることには難色を示していらっしゃいました。あの能力が無くても聡い方です。やはり貴族の集まるパーティーでは、様々な思惑を感じてしまうのでしょう」
「──そう、ですね」
確かにギルバートは周囲の視線や態度に敏感だ。いつも何でもないように受け流しているが、それは気にしていないことと同義ではないだろう。
「私達使用人もギルバート様を祝いたい気持ちは同じです。もしお力になれることがあれば、お声がけください」
「ありがとうございますっ」
ソフィアは礼儀正しく令嬢らしい礼をして、その場を離れた。
「儂のところに来たのは正しい選択じゃ。ソフィアさん、祝いの席には花は必要じゃよ」
次に向かったのは庭師のところだ。カリーナと食事をするのに中庭に出ていた頃、こっそり知り合いになった。もうかなり高齢であろうに、その姿は矍鑠としていて元気そのものだ。
「ありがとうございます、お花……ですか?」
あまり男の人に花を贈る感覚が無かったソフィアは首を傾げた。庭師は皺だらけの日焼けした顔を更にくしゃくしゃて笑う。
「贈り物としてではなく、飾り付けとしてじゃよ。テーブルや壁に飾れば、それだけでも華やかになるからの。今の時期なら、温室にはもう薔薇も咲いてるのう。一部屋を飾り付ける位には他の花も揃っているよ」
「薔薇、ですか……!」
レーニシュ男爵邸ではソフィアにはあまり馴染みの無かった花だ。手入れが大変なそれは、男爵家の使用人にはとても育て切ることはできなかったようだ。なんとなく高貴な印象がある。ギルバートの黒い騎士服に似合うだろうか──そこまで妄想して、ソフィアは頬を染めて首を振った。
「どうかしたかの」
「あ、い、いえ……! ちょっと考えてみます」
ソフィアは気まずさを隠すように笑って、その場から逃げることにした。一度立て直さないと、勝手に考えて照れているなど恥ずかしい。
「その日の朝に言ってくれれば、儂は仕事ができる。そのつもりで考えてもらえるかい」
「──はいっ! ありがとうございます」
すぐに一礼して背を向けた。まだ熱は冷めてくれない。しかし、薔薇の花というのも良いかもしれない。ギルバートへの贈り物というと、どうしても剣と盾や馬のモチーフを選んでしまいそうだが、あえて花というのも似合うだろうか。
「ということなのですが、ハンスさん。どう思いますか?」
ソフィアはそのままの足でハンスの執務室へと向かった。
「──誕生日のお祝い、ですか」
「はい。あの……駄目でしょうか?」
両手を組んだハンスに、ソフィアは少し自信が無くなって俯いた。ギルバートがこれまであまり好んで祝ってこなかった日だ。勝手に何かをしようとしたこと自体、良かったと言える確信はない。
「いいえ、構いませんよ。むしろギルバート様の誕生日を祝いたい気持ちは、私も同じです」
ハンスにとってもギルバートは敬愛する主人だ。やはり思い入れは強い。ソフィアが祝いたいと言っていることも、ハンスにとっては喜びの一因であった。
「ありがとうございますっ」
ソフィアも嬉しくて自然と笑顔になる。どうしようかと考え始めたソフィアに、ハンスが悪戯に笑った。
「ですが折角ですし、少々サプライズ等を仕掛けても良いかもしれませんね」
「サプライズ……ですか?」
ギルバートを驚かすということだろう。誕生日でどう驚かすのかと首を傾げたソフィアに、ハンスは早速思いついた計画を話し始めるのだった。