令嬢と黒騎士様は結婚する2
馬車はゆっくりと整備された街道を進んでいた。賑やかで美しい街は、多くの人が行き交っている。特に今日は街中が様々な花で飾られ、春に相応しく華やかに彩られている。
馬車が通りかかると立ち止まって手を振る人や、頭を下げる人も多い。この土地の領民の、領主一族への好感を表しているようで、ソフィアの心も浮き立った。
「──ギルバート様。フォルスター侯爵領は、素敵なところですね」
窓から見えるだけでも、穏やかで安定した土地であることが分かる。復興途中のレーニシュ男爵領とは大違いだ。
「父と母が、よくやってくれているのだろう。……私も頑張らねば」
ギルバートは窓から外へと手を振りながらソフィアに言った。その言葉がレーニシュ男爵領のことも含んでいると分かり、ソフィアも嬉しい。
「はい。私も、ですね……っ」
「ソフィアも顔を見せてやるといい。この花はお前を歓迎しているのだろう」
甘く笑んだギルバートに、ソフィアは頬を染めておずおずと頷いた。今日、ソフィアはギルバートとの結婚の為、フォルスター侯爵領へとやってきていた。内側のカーテンを大きく開けて、窓から顔を覗かせる。手を振ると、わあっと外が沸き立つのが分かる。
「なんだか、恥ずかしいです……」
「ソフィアは良く頑張ってくれている。胸を張って良い」
それでも歓迎されていることは素直に嬉しく、ソフィアは街を抜けるまで、微笑みながら窓の外へと手を振り続けた。
領地のフォルスター侯爵邸は、ソフィアの予想より遥かに広く美しい庭に囲まれた、歴史を感じさせる建物だった。馬車から降りて中に入ると、エルヴィンとクリスティーナが笑顔で迎えてくれる。
「お義父様、お義母様。お邪魔致します」
ソフィアは緊張しながらも笑みを浮かべ、スカートの端を摘んで淑女の礼をする。
「ソフィアちゃん。ただいま帰りました、で良いのよ。これからよろしくね! ドレスが仕上がってきているから、先に合わせてしまいましょう」
結婚式は明日だ。ギルバートの仕事の都合から、かなり大忙しな予定になっている。ソフィアは頷き、一度ギルバートと離れてカリーナと共に客間の一室へ向かう。そこには先に侯爵家お抱えらしい針子が二人控えていた。抱えているのは、ソフィアの為にと仕立てられた純白のウエディングドレスだ。
「ソフィア様、お待ちしておりました。こちらをお召し頂けますか」
「──素敵です……っ」
思わず感嘆の声が出た。上質なシルク地に繊細な刺繍が春らしい花々を描き、幾重にも重ねられたシフォンがふわりと広がっている。長いトレーンにも刺繍が入れられ、ところどころにパールが縫い付けられている。打ち合わせで何度か話はしていたけれど、完成した実物を見るのは初めてだった。ソフィアの見たデザイン図よりも、装飾が増えているような気がする。
カリーナと針子達の手伝いで最後の調整を終え、ソフィアは別に用意されていた服に着替えた。控えめな装飾が愛らしい、清楚な印象のワンピースドレスだ。
「──ギルバート様達もお待たせしているでしょうし、戻らないと」
「そうよ。ソフィアのドレス姿は当日まで見せないって、大奥様が仰ってたもの。ギルバート様だって、きっと明日は見惚れちゃうに決まってるわ!」
「もう、カリーナったら」
ソフィアも楽しくなってくすくすと笑い、メイドの案内でサルーンへと戻ることにした。その時だった。穏やかな場に似つかわしくない大きな声が聞こえてきたのは。
「お願い致します! 一目だけで良いのです。ソフィアに──ソフィアに会わせてください!」
「そんなことを言われても、ソフィアちゃんは明日には我が家のお嫁さんなのよ。──貴方は態々、あの子を悲しませに来たの?」
「それは……」
クリスティーナの凛とした声が響いた。返事に詰まった男の声に、ギルバートの声が重なる。
「母上、この者はそこまで考えておりません。……やっと自分で確かめるべきだと学んだか」
その不穏な空気にどきりとして、ソフィアはカリーナを置いて駆け足でサルーンに飛び込んだ。そこにいたのは、声で予想していた通りの──できれば会いたくもない人物だった。
「──アルベルト様」
ソフィアの声に、それまで深く頭を下げていたアルベルトがはっと顔を上げる。ギルバートとクリスティーナも、気まずそうにソフィアを見た。
「ソフィア! 教えてくれ。私は、私は間違えていたのか? 君は私の贈り物や手紙を……捨てていなかったのか!?」
鬼気迫るその表情は、何かを探るようでもある。すぐにギルバートがソフィアに駆け寄り、支えるように腰に手を添えてくれた。その何気ない仕草が、ソフィアに勇気をくれる。
「よろしければ教えてください。その……贈り物や手紙というのは、何のお話でしょうか? 私は頂いた物を捨てるような人間ではないつもりです」
背筋を伸ばす。アルベルトが言っているのは、ソフィアには心当たりのないことだ。何故そのような誤解をしていたのか──予想はつくが、既に終わったことだ。
アルベルトの中では何かに片がついたのか、肩の力が抜けたようだ。質問には答えず、深く嘆息する。
「そう……か。ソフィア、これまで、本当に申し訳なかった。何か私にできることはないだろうか。今からでも償えるならば、私は──」
縋るような顔をしたアルベルトを、ギルバートが厳しい目で睨む。ソフィアは代わりに怒ってくれるギルバートの優しさが嬉しくて、こんな場面にもかかわらず自然と笑みが浮かんだ。
「アルベルト様。私は貴方に、何かを償ってもらいたいとは思っていません。ですが……そうですね」
視線を下げて暫し考える。思い出すのは、無邪気だった子供の頃だ。それでもきっと、こうなったのも運命なのだろう。辛かったことは多かったが、結果としてギルバートに出会えたのだ。それでも一つだけ、アルベルトに言わねばならないことがある。ギルバートの腕の感触を確かに感じながら、ソフィアはアルベルトをまっすぐに見据えた。
「──私のことを、ソフィア、と呼ばないでください。私をそう呼んで良いのは、ギルバート様だけです……っ」
それはまるで、空気の流れが止まったかのようだった。ギルバートが目を見開き、クリスティーナが楽しそうに微笑んでいる。アルベルトは予想外のことに対応できていないのか、目だけでなく口まで丸く開いていた。
「そう……か。──すまなかった、ソフィア嬢。どうか、幸せに」
アルベルトはそれだけ言い残し、フォルスター侯爵邸を出て行った。ほっと気が抜けたソフィアは、肩の力を抜いてギルバートに微笑みかける。
「ギルバート様、ご迷惑をお掛けしまし──!?」
次の瞬間強く抱き締められ、ソフィアは息を呑んだ。クリスティーナの笑い声が少し大きくなる。それでもぎゅうぎゅうと締め付けてくる腕は、ソフィアを逃がしてくれなかった。
「ソフィア、ありがとう」
耳元で告げられた言葉は、腕の力と反してとても静かで優しかった。ソフィアもゆっくりと腕を背に回して、目を閉じる。ギルバートの抱き締める力が少し弱まりとても心地良い。
ソフィアはクリスティーナに声をかけられるまで、周りのことなどすっかり忘れて、一番幸福な場所を満喫したのだった。