令嬢と黒騎士様は結婚する1
「陛下。お時間を頂き、ありがとうございます」
王城の謁見の間は柱に細かな彫刻がされており、天井にはまるで聖堂のような美しい天使達の絵が描かれていた。
空間に圧倒されつつも、ソフィアはギルバートの隣で優雅に深く礼をした。ドレスはこの日の為に用意した一着だ。首回りをレースで覆い露出を抑えた仕立ては、ソフィアをいつもより大人らしく見せている。ギルバートもまた、今日は最礼装の騎士服である。
「──顔を上げなさい」
威厳に満ちた声はソフィアの緊張を強めた。しかし逃げ帰る訳にはいかない。決めたのは自分だ。ゆっくりと顔を上げて、ソフィアは正面から国王と目を合わせる。
「今日はソフィア嬢の話を聞くと決めているのでな。ギルバートは少し待て」
「はい」
「さて、ソフィア嬢。今日は私に用があるのだろう? 話してみなさい」
国王が面白そうに口角を上げる。その表情は好奇心溢れる少年のようでいて、思慮深い老人のようでもあった。呑まれないように顎を引き、ゆっくりと口を開く。
「──はい。この度は、私の叔父母のことでご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした。お話とは、今後のレーニシュ男爵位のことでございます」
「ほう。貴女から爵位についての話が出るとは。──続けなさい」
国王は僅かに身を乗り出し、左右の指を交互に組み合わせた。
「今、レーニシュ男爵家には男がおりません。ですが領民達は疲弊し、領地は荒れています。ですので、すぐに嫁いでしまう身ではございますが──どうか私に、レーニシュ男爵位を継がせてくださいませ……っ」
男系相続が基本のこの国で、娘が爵位を持つことは稀だ。まして今回は、爵位を持っていた叔父は既に牢の中である。改めて深く礼をしたソフィアに、国王は一度しっかりと頷いた。
「貴女が望むのなら、相続を認めることは吝かでない。まして男爵……いや、前男爵は、違法な手段で相続しているのだ。だがギルバートはどう思っているのだ? 今のレーニシュ男爵領は、買い手も付かず褒美にもならない土地だ。現フォルスター侯爵にとっては、欲しい土地という訳でもないだろう」
ギルバートは顔を上げ、国王をまっすぐ見ている。その口元に浮かんだ不敵な笑みに、ソフィアの心臓はとくんと跳ねた。
「──私は彼女の望みを叶える為に参りました。陛下、フォルスター侯爵領についてはご存知の筈です」
フォルスター侯爵領は、これまでも他領を併合してきた経験がある。過去の功績や婚姻等で得た領地が、飛び地のようにあるのだ。それはソフィアも知っていた。
「そうだな。──まったく、昔からお前は可愛げがない」
「畏れ入ります」
国王はソフィアに向き直った。
「ソフィア嬢」
「はい」
改めて気が引き締まる。まさか自分が、謁見の間で国王と向き合う日が来るなど思わなかった。しかし今、ソフィアは確かな願いを持ってここにいる。
「貴女への相続を認めよう。──領民への説明はしっかり行いなさい。何より大切なのは、他者の理解を得ることだ」
「有り難いお言葉でございます」
「ありがとうございます……っ」
ソフィアとギルバートは、共に深く頭を下げた。これから春までの間に、できることはたくさんある筈だ。領地とそこに住む領民達の為に、今のソフィアに何ができるだろう。
「ソフィア嬢は、領地経営については初心者であろう。エルヴィン達の助けも借りると良い。特務部隊が今回の捜査の為に集めた男爵領についての資料も、ギルバートに託す。好きに使いなさい」
国王はまるで全て分かっていたかのように言う。しかし真相がどうであれ、ソフィアにとっては有り難い話だった。感謝の意を伝え、その場を辞す。謁見の間を出て真っ先に深く嘆息したソフィアの肩を、ギルバートが優しく叩いた。
ソフィアはそれまでより更に忙しい日々を過ごしていた。何せ、これまで男爵領の経営を実質的に担ってきたパーシーも牢の中なのだ。これまでの領地がどうなっていたのか分からず、途方に暮れていたソフィアにとって、ギルバートが持ち帰ってきた特務部隊の資料はとても役立った。しかしそれを見ても、ソフィアとギルバートは揃って頭を抱えるしかなかった。
「──ソフィア。今更だが、お前の叔父は何を考えていたんだ」
「私もそう思います……」
最初に驚いたのは税金の高さだ。その額、フォルスター侯爵領の約二倍。それは確かに、少ない食料を売買する訳にはいかなくなるだろう。
ソフィアが男爵を継いで真っ先にしたのは、税金の引き下げだった。まず生活の基盤を整えさせなければいけない。ソフィアの生活は、これまで通りフォルスター侯爵邸で行なっているのだ。叔父母やビアンカが贅沢の為に集めていた金など、必要ない。
また、ギルバートがエルヴィンに相談したところ、ちょうど若者の育成の為に手が空いていた侯爵領の家令を一人、貸してくれることになった。ソフィアだけでなく、これまで領地経営には殆ど関わっていなかったギルバートも、その家令に付いて共に学んでいる。それはソフィアにとってはとても心強く、エルヴィンとクリスティーナにとっても嬉しいことだった。