令嬢は黒騎士様と前を向く4
ソフィアの組み合わせた手をゆっくりと解くようにして、耳飾りと指輪が取り出される。ギルバートがしているのだと分かって、動けずにいるソフィアはそのままそれに甘えた。
「──馬車で待っててくれ。この場を片付けてくる」
ギルバートに抱きかかえられ、帰りの為にと呼んでいた馬車に乗せられる。一度その場を離れたギルバートは、すぐに戻ってきてソフィアを宿まで送り届けてくれた。
引き返すようにしてレーニシュ男爵邸に戻っていったギルバートが帰ってきたのは、もうすっかり日が暮れ、ソフィアが部屋の明かりを消した後だった。
ソフィアは布団に潜り込んだまま、ぎゅっと目を閉じた。今日は色々なことがあった一日だった。母の指輪と耳飾りが見つかり、パーシーと他数人の使用人が捕らえられた。これから自警団や領地の調査も始まるのだろう。
ソフィア達は捜査が進んだ分の残り数日を、このままレーニシュ男爵領で過ごすことになっているらしい。
「お父様、お母様……」
窓から差し込む微かな月明かり中、思い出すのは今日聞いてしまった両親の声だ。最期の声が、悲鳴が、耳に残って離れない。目を閉じた暗闇の中、見ていないのに頭の中で勝手に声に映像が重なっていく。不思議と叔父母を恨む気持ちにはなれなかったが、思えば思うほど悲しみは深く、ソフィアを搦め捕ろうと押し寄せてきた。涙に濡れた枕が、泣いて火照った頬にひやりと冷たい。
「──ソフィア、まだ起きているか?」
廊下から聞こえた足音でギルバート達が帰ってきていることは知っていた。しかしこんな顔を見せることはできないと、あえて出迎えはしていなかった。それからしばらく経っている。
「どうして……」
ソフィアの呟きを聞いている者はいない。布団の中でじっと息を殺した。返事が無ければ、ギルバートはきっと自室に戻ってくれるだろう。
しかしソフィアの予想に反して、部屋の扉が開けられ、床を踏む音が近付いてくる。寝台が軋む。布団を捲られ、隠していた顔が露わにされた。
「やはり、起きていたか」
目を開けると、ギルバートが寝台の端に腰掛けていた。寝支度までもう済ませているのか、既に部屋着へと着替えている。
「も、申し訳、ございませ──」
慌てて手をつき、上半身を起こす。夜の闇と月明かりの逆光で、ギルバートの表情は見えなかった。
「すまなかった」
ソフィアの言葉に被せるようにギルバートが言った。その指先が頬を撫でていく。辿られているのが涙の跡だと分かり、目を伏せた。
「止めてやれば良かった。──私は、内容を知っていたのだから」
「謝らないでください。私は、父と……母の言葉が聞けて、良かったと思っています」
もしあのまま証拠として回収されてしまっていたら、ソフィアが聞くことはできなかったかもしれない。そう思えば責める気持ちになどなる筈がなかった。叔父母は既に身柄を拘束されており、今ソフィアにできることは残っていない。ただこうして、行き場のない心を持て余しているだけだ。
「──そうか。ソフィアはこのまま出発の日まで休むと良い。出掛けても良いが、この町からは出ないように」
「はい、分かりました」
どうにか微笑みの形に表情を作り返事をすると、ギルバートは僅かに顔を顰めたが、いつものように頭を撫でてくれる。その手が、幼い日の父の記憶と重なった。
「おやすみ、ソフィア」
就寝の言葉はさよならの言葉だ。大きな背中が離れようとしている。
その腕に縋ったのは、無意識だった。触れてから自身の弱さに気付く。──愛していた。愛してくれていた。何年も経って今更失うことが怖くなるなんて、なんて滑稽だろう。
「ソフィア……?」
驚いて当然だ。ソフィアは今、寝台の上でギルバートを引き止めているのだ。それでも手を離したくなかった。
「──お願いします。今日はこのまま……ここにいてください。一人で寝るのが怖いです。ギルバート様が、何処かに行っちゃいそうで、嫌です……っ」
あの夜会の日、ソフィアは出掛ける前の父に抱き締められた。何度も頭を撫でられ、ソフィアも行ってらっしゃいと笑顔で手を振った。ギルバートとソフィアの父親に、似ているところは殆ど無い。ましてギルバートはただ隣の部屋に戻るだけだ。頭では理解しているのに、赤くなった目が、冷えた指先が、その温もりに縋ってしまう。
「だが──」
ギルバートが言いたいことは、ソフィアも分かっていた。婚約中とはいえ未婚の二人が夜を共にすることは、貴族間では一般に認められることではない。
「ごめんなさい……」
否定の言葉に力を失い、ソフィアの手がギルバートの腕から落ちていく。それを拾い上げたのは、離した筈のその手だった。
「──分かった。分かったから……そんな顔をするな」
ギルバートはソフィアの手を引き、近付いた額をこつんとぶつけた。きっと二人にしか聞こえない小さな音が、言葉にせずとも秘密だと伝えているかのようだ。
「ギルバート様……」
布団に身体を滑り込ませたギルバートが、ソフィアの背に腕を回してくる。促されるままに横たえた身体を優しく包むように抱き締められれば、自分のものではない感触が夜着越しに伝わってきた。体温が混ざって、心ごと温められているようだ。上目遣いに窺うと、ギルバートの顔が思っていたよりも近くにある。慌てて目を閉じた。
「大丈夫だ、ソフィア。私はここにいる。だから……安心しておやすみ」
その言葉に甘えて、ソフィアは胸元に擦り寄った。慣れ親しんだギルバートの香りと、確かな鼓動の音がする。子供のような仕草で恥ずかしかったが、その熱までもがソフィアをここに繋ぎ留めてくれていた。
「ギルバート様、……大好き」
あんなに怖かった闇が、浮かんできていた想像の中の映像が、得体の知れない不安が、ゆっくりと消えていく。ギルバートのシャツを握ったまま、気付けばソフィアは眠っていた。
その夜、久し振りに夢で見た両親は、昔と変わらず優しい笑顔で、ソフィアを励ましてくれていた。