令嬢は黒騎士様と前を向く3
「え……?」
ソフィアはもう一度、今度は意識して振ってみる。今度こそ決して聞き間違いとは言い難い程にしっかりとした音がした。ギルバートとフェヒトもまた、ソフィアに視線を向けていた。
「先程調べたときには、そんな音はしなかったはずですが」
フェヒトが不思議そうにじっと見ている。しかし確かに音はしたのだ。
「──それはアンティーク調度ではない。魔道具だ」
ギルバートの言葉は予想外のものだった。このランプは、先代男爵であったソフィアの父の物なのだ。
「でも、これはずっとあって──」
困惑しつつランプを見ていると、ギルバートがソフィアの元へと歩み寄ってきた。手を差し出され、ランプを渡す。ギルバートがそれを観察し軽く振ったが、音は鳴らないようだ。
「ランプ自体はオイル式だ。もう一つの機能は、おそらく男爵家の者のみが扱えるのだろう」
「そんな魔道具もあるのですか?」
「親族に限る物は多いな。特にこのランプのように、何かを隠しておく物に関してはその傾向が強い。──少し待て」
ギルバートはランプシェードを外してランプと一緒に机に置き、軸に彫られていた模様を紙に書き写した。紙の上には、その一部を抜き出した図や数字が書き加えられていく。
「それ、模様じゃ……?」
「これは魔道具の回路だ。これで起動の方法が分かれば良いのだが──」
ギルバートの手元をフェヒトが覗いた。しばらくして、その図を指差す。
「こことここに情報が足りてないのでは?」
「分かるのですか」
「……多少ですが。宜しければ拝見させてください」
ギルバートはすぐに手元の紙とランプをフェヒトに見せた。フェヒトがギルバートの書いた式に幾つかの情報を追記し、ギルバートが更にそれを分解していく。ソフィアは何が起きているのか理解できないまま、二人の作業をじっと見ていた。
「──ここを掴んで押し込むと良い。ソフィア、おいで」
呼ばれるまま、ランプの前に立つ。その軸の上に付いていた装飾を、ギルバートから貰った指輪を付けた左手で掴む。押し込む場所など無さそうなそれを、ぎゅっと思い切り押し込んた。
台座が割れて開く。予想通りのものが出てきて、ソフィアは緊張と共に訪れた懐かしさに頬を緩めた。ダイヤモンドの耳飾りと指輪は、金属こそくすんでしまっているが、その石の輝きは変わらない。
「お母様……」
手の平に乗せ、祈るようにぎゅっと包んだ。ギルバートがその仕草に慌てて顔を上げるが、既にその魔道具は起動した後だった。
夜会らしき華やかな音楽が流れている。少し甘さを含んだ控えめな笑い声がした。
「何を笑ってるんだ?」
低過ぎない声は優しい響きで、ソフィアは目を見張った。これは──この声は、ソフィアの父の声だ。同時に先の笑い声が母のものだと気付き、目を閉じる。少しでも、欠片も聞き逃したくなかった。
「だって貴方ったら。出掛ける前にずっとソフィアを離さないんだもの」
「仕方ないだろう。一人で夜の邸に残していくなんて、可哀想じゃないか」
「あら。あの子、結構しっかりしてるわよ」
「それでも、だ。心配なものは心配なんだよ」
「ふふ。──じゃあ、早く終わらせてしまいましょう」
音楽が止み、ざわざわとした人混みの音になる。ギルバートがソフィアの手を掴んだ。
「──ソフィア、それ以上は」
目を開けたソフィアは、すぐ近くにあるギルバートの真剣な表情に驚きを隠せなかった。ギルバートが止めるということは、きっとソフィアにとって辛い内容なのだろう。しかし知らずにいることはできない。首を左右に振り、組み合わせた両手を更にぎゅっと握る。ギルバートは小さく嘆息すると一度手を離し、ソフィアの手を改めて優しく包んだ。
「──兄さん。態々夜会の会場で呼び出すなど、何の用だ」
「君が逃げるからだろう。自分が何をしているのか、本当は分かっているんだな」
「何を──」
「目先の利益に囚われるな。君が育てているアレは、違法なものだろう」
「そうよ。このままじゃ、男爵家ごと駄目になってしまうわ。今ならまだ……っ!」
「……黙れ!」
がたんと大きな音がして、短い悲鳴が聞こえた。ソフィアはびくりと肩を震わせる。
「私は、すぐにこのことを騎士団に報告するよ。弟だと思って説得に来たが──無駄だったようだ」
「そんなことをしてみろ、お前達まで道連れにしてやる。殺してやる……殺してやるからな!」
「──そうはならないよ。君とは、もっと早く話をしていれば良かった」
夜会の音に戻り、しばらくしてまた音も声も消えた。どうやら帰ろうとしているようだ。
「──申し訳ございません。ちと腹具合がおかしくて」
「パーシー、早く帰りましょう」
「はいはい、すぐに」
ごとごととした音がする。馬車に乗ったのだろう。ソフィアはその馬車の行き着く先を知り、目を瞑る力を強めた。今知ってもどうしようもないのかもしれない。身体が震えているのが分かる。それでも最後まで父と母の声を聞きたくて、真実と向き合いたくて──組み合わせた手を緩めることはしなかった。
「ねえ貴方、どうするつもりなの?」
「そうだな。話をして分かり合えればと思っていたのだが──難しいか。少しでも早く騎士団を動かしてもらえるよう、伯爵殿に頼んでみよう」
「でも、あの家にはビアンカちゃんがいるわ。確か、ソフィアと同い年よね」
「望むなら家に入れれば良い。幼いあの子には関係ないことだ。だが──ソフィアは大丈夫だろうか」
「あら、どうして?」
「──あの子は人見知りだろう」
「ふふ。本当に貴方はソフィアに甘いんだから」
「そうかな。……早く帰りたいよ」
会話が途切れ、烏の鳴き声がした。馬車の音が大きくなる。
「パーシー! 何をしている!?」
「すいませんね、貴方の弟君に頼まれまして」
「この──」
「貴方!?」
「パーシーが馬車を降りた! それに、ここは──」
何かが壊れる大きな音と、木々が折れる音。叩きつけるような音がして、ソフィアは息を飲んだ。一転して静けさに包まれる。最初に口を開いたのはフェヒトだった。
「──私はこのことを伝えてきます。侯爵殿は証拠品をお願いします」
それはソフィアへの気遣いだろうか。扉の閉まる音がやけに遠く聞こえる。動けずにいるソフィアの背を、ギルバートの手が励ますように摩った。
このままでいても何も変わらないことは分かっていた。ソフィア自身、両親が崖から落ちて死んだことは分かっている。今の音声がそのときのものであることは間違いない。
「──ソフィア、ご……ね」
それは微かな声だった。少し甘さを含んだ控えめな声は、掠れている。思いもよらなかった声に、ソフィアは目を見開いた。これは──これは間違いなく、ソフィアへの言葉だった。堪えていたはずの涙が溢れてくる。
「お母様……?」
「どうか、しあ……せに。帰れ、なくて。ごめ……なさ──」
ソフィアはぺたりと床に座り込んだ。最期の言葉が耳から離れない。そして今度こそその耳飾りからは、それ以上何も聞こえてこなかった。