令嬢は黒騎士様と領地に戻る7
「あ、昨日のお姉ちゃん!」
ソフィアを見てぱたぱたと駆け寄ってきたのは、昨日もいた女の子だ。
「こんにちは」
目線を合わせて、頭を軽く撫でた。ふにゃりと笑う顔が子供らしい。ソフィアも嬉しくて自然と笑顔になる。
「ふーん。お嬢さんが昨日来た教会って、ここのことかー」
ケヴィンは、外ではソフィアの名前を呼ばないことにしているらしい。ここはレーニシュ男爵領なのだ、確かにその方が安全だろう。ケヴィンは教会の中を珍しそうにきょろきょろと観察している。それを興味深げに見ていた女の子が、ソフィアの腕を引いた。
「ねえねえ、あのお兄ちゃんってお姉ちゃんの王子様?」
「えっ……違う、違うのよ。ええと──お姉ちゃんの王子様はね、今日は一緒じゃないの」
「そうなのー?」
女の子は残念そうに、ソフィアの腕を離さないままぷらぷらと揺らしている。
「──あっ、こらミア! ごめんなさい、お姉さん」
走ってきた年長らしい男の子が、慌てた様子で声をかけた。拗ねたような表情の女の子──ミアは、ぱっとソフィアの腕から手を離して、その手を背中に隠す。
「良いのよ、気にしないで。──ミアちゃんっていうのね。お兄さんの言うことをちゃんと聞いて、偉いわ」
「えへへ、だってデニスは怒ると怖いんだもん」
ソフィアはミアの言葉にくすくすと笑う。デニスと呼ばれた男の子は、やはり大人びた所作で肩を竦めた。
「僕はデニス、この子はルッツといいます。よろしくお願いします」
側にいる五歳くらいの男の子がルッツらしい。
「私は──フィーっていうの」
ソフィアが子供達と話をしている間に、ケヴィンは教会に来る人達からそれとなく聞き込みをすることにしたらしい。まだ午前中なのもあり、人は多くないが途切れることなくやってきていた。しかし小物や菓子を買う人はいない。
「皆、自分の生活で大変なんです、きっと。でも、僕達にもできるお仕事もあるから、大丈夫なんですよ」
デニスが不安そうなソフィアに言う。詳しく聞くと、十歳を過ぎた教会の子供達は、町の店の手伝いや荷運び等を日雇いでして、生活費の足しにしているそうだ。豊かな領地では孤児達にも教育を受けさせたり、生活に充分な寄付をすることもあるが、現レーニシュ男爵はそうではないのだろう。
午後になれば人も殆どいなくなる。子供達も形だけの店を片付け、食事と午後の仕事の為に戻るようだ。ケヴィンは最後の一人らしき男と、奥の方で話をしている。ソフィアは慣れたように荷物を纏める子供達を、入り口近くの長椅子に座って見ていた。
そのとき、それまで穏やかだった空間に似つかわしくないがらの悪い男が五人、正面の扉を開けて入ってきた。小声で話しているつもりのようだが、近くにいるソフィアにはその内容が聞こえてくる。
「あの子供で間違いないか」
「──ああ、さっさと済ませちまおう」
何のことだろうか。子供達は気付かず作業に夢中だ。男の一人が長テーブルに近付き、デニスの腕を掴んで引いた。ソフィアは思わず腰を浮かす。
「痛いな! 誰だよ──」
振り返ったデニスが男を見て言葉を切った。その顔には恐怖がありありと浮かんでいる。ルッツが今にも泣き出しそうに顔を歪めた。助けを求めようとしたのか、周囲を必死の形相で見回しているミアと──ソフィアの目が合った。
「何をしているのです……っ!?」
思うより先に駆け出していた。腕を振り解こうと踠いているデニスと男の間に入り、手に手を掛けてきっと睨めあげる。反射的に男は手を離し、デニスはソフィアの後ろで尻餅をついた。身長も体格もずっと大きな男が、予想外の乱入者であろうソフィアを見て鼻を鳴らした。
「何、お嬢ちゃん。どうしようってんの」
「どうしようって。それは……貴方達の方です。──自警団を呼びますよ……っ!」
精一杯の強がりで言う。俯けなかった。男から目を逸らすことすら怖い。足が震えているのが分かる。自分から飛び込んだのだ。今更引くこともできない。心臓の鼓動が大きく、耳元で警鐘を鳴らしている。男達が下品な笑い声を上げた。
「自警団、ねえ──お嬢ちゃん、これが何だか知ってるか?」
男は自らの左腕をソフィアの目の前に突きつけた。そこにあったのは、レーニシュ男爵家の紋が刻まれた腕章だ。色は緑。ソフィアは目を見張った。それは──その腕章は、レーニシュ男爵領の自警団に所属している証だ。
「これは──」
ソフィアは恐怖も忘れてじっとそれに見入った。では、デニスを力づくで連れて行こうとしたのは、レーニシュ男爵領の自警団だと言うのか。
「そんなもの信じてるなんて、お嬢ちゃんもまだまだ子供だねぇ。俺達ぁ、お偉いさんから許可もらってやってんの」
「──貴方達が、自警団だと言うのですか。弱い領民を助けるのが……仕事ではないのですか」
持てる精一杯で、それでもソフィアは言い募った。男は明らかに気分を害したようだ。目を吊り上げ、声を荒げる。
「がたがた煩えんだよ! こちとら仕事でやってんだ。邪魔すんじゃねえ!」
ぐいと掴まれたソフィアの右腕が、悲鳴を上げている。痛い。圧倒的な力の差は、どうしようもないだろう。
「なんなら、このまま連れて帰ったって良いんだぜ」
「──や、止めてください……っ」
震えた足では踏み止まるだけで精一杯だ。それでもソフィアが抵抗を緩めずにいると、遂には放るように突き離された。
背後には大きな柱がある。ぶつかる──と思い目を瞑る。次の瞬間柱より柔らかな感触で抱き留められ、ソフィアは床に座っていた。
「──無理しないでください」
「ありがとう……」
ケヴィンが助けてくれたようだ。ソフィアは足に力が入らず、立ち上がることができない。蚊の鳴くような声で礼を言うと、ケヴィンはすぐに立ち上がった。
「──今、僕の目の前で暴力を振るったね?」
「あ? それがどうしたってんだ」
ケヴィンの見た目はかなり小柄だ。身長もあまり高くない。屈強そうな男達に一人で向かう姿は、遠目に見ても勝てるようには見えなかった。
「現行犯──だよね」
ソフィアの位置からケヴィンの表情は分からない。
その後はあっという間だった。ソフィアが動けずにいる間に、ケヴィンが次々と男達を倒していく。鞘に入れたままの剣が風を切る音がする度に、物がぶつかる音も響いた。現実感のない光景に、目を閉じることができない。
「──お嬢さん、大丈夫?」
音が止んでも、ソフィアは動けずにいた。子供達の泣き声に気付いたときには、けろりとした表情のケヴィンが、ソフィアに手を差し出していた。