令嬢は黒騎士様と領地に戻る5
「いってらっしゃいませ、お気をつけて」
ソフィアは宿の前で手を振った。
「本当に良いのか。やはり一人残して──」
「ギルバート様。……大丈夫ですから」
今日、ギルバート達は特務部隊と合流して捜査の進捗について報告をするらしい。その後は合同捜査に移るようだ。
どうしても誰か一人を護衛として置いていこうと言うギルバートを、説得したのはソフィア自身だった。ソフィアも役に立つことがあると信じてついて来たが、それは今ではない。本音は一人でいるのは不安だったが、その為にギルバート達の仕事の邪魔をしたくはなかった。ギルバートとケヴィンとトビアスがそれぞれ馬に乗って出掛けるのを見送り、ソフィアは宿の中へと戻った。
残されたソフィアは、町からは出ないようにと言われていた。しかし一人で町の外になど行く筈がないと思う。特にすることを決めている訳でもなく、何となく紅茶でも飲もうかと、昨夜も行った宿の中の飲食店に向かった。
「あら、おはよう」
ソフィアは不意に声をかけられて振り返った。
「おはようございます、ええと──」
「アルマよ、よろしくね。貴女は?」
「アルマさん、ですね。私は……フィーと言います」
本名を名乗る訳にはいかない。咄嗟に適当な名前を口にして、誤魔化すように笑みを浮かべた。アルマはそのままソフィアに店の椅子を勧める。
「今日はあの三人とは一緒じゃないの?」
「あ、はい。あの……今日はお留守番なんです」
一人でも、少し外を歩いてみようか。ギルバートに貰った指輪もあるのだ。不自由することはないだろう。そう思いつつ、一方で外への恐怖が無くなった訳ではない。
「そうなの。──それなら折角だし、町を見てきたらどう? ここもなかなか捨てたもんじゃないよ。この時間ならマーケットもやってるし、教会でちょっとした小物とかお土産も売ってるから。きっとフィーさんも楽しめるんじゃないかな」
ソフィアはアルマの提案に僅かの間逡巡し──行くことに決めた。
「ありがとうございます、行ってみます。あの、もし昨日一緒にいた三人が先に戻ってきたら、教会に行ったと伝えて頂けますか?」
ビアンカが教会のバザーに寄付していたはずの、ソフィアが作った刺繍の小物。ソフィアがレーニシュ男爵家を出た後のことが気になっていたのだ。領内に教会はいくつもあるが、大きな教会は三ヶ所だけだ。イベントをする時はそこが主催になる。そして普段から小物の販売等をしている教会は、その三ヶ所の一つである可能性が高いだろう。
「勿論だよ。気を付けて行ってらっしゃい!」
アルマに見送られ、ソフィアは宿の外へと出た。話の通り、まだ太陽が斜めに差し込む時間、マーケット目当ての人々が籠を片手に道を歩いていた。夜とは比べ物にならない活気ある町に、少し心が軽くなる。
教会はすぐに見つかった。少しひびの入ったくすんだ白い壁に、不釣り合いなほど美しく磨かれたステンドグラスが印象的だ。丁寧に手入れがされているのだろう。石段を上り、大きな木製の扉をゆっくりと引く。ソフィアが隙間から中の様子を窺うと、子供らしい少し高い声がかけられた。
「ようこそ! お祈りですか、お買い物ですかっ?」
驚いて扉から離しかけた手を、思い切ってぐいと大きく引いた。シンプルだが洗練された空間はいかにも教会らしい佇まいだ。奥に立派な祭壇があり、ステンドグラスに天使達の姿が描かれている。入り口の扉のすぐ横には長テーブルが置かれ、その上に小物や菓子が並んでいた。子供が三人、店番をする大人さながらに、テーブルの周りでにこにこと笑っている。
「こんにちは。ええと……先にお祈りをしますね」
ソフィアは祭壇の前まで進み、膝をついて両手を組み合わせた。ステンドグラスの向こうから差し込む光が、シンプルな室内を幻想的に照らしている。願うのはギルバート達の無事と、領民達の幸せだ。生者への祈りは気休めでしかないとどこかで感じながらも、願わずにはいられない。
祈りを済ませて長テーブルの前に移動した。あまり人が来る訳ではないのだろう、菓子は日持ちのする焼菓子が中心だ。続いて小物の方を見て、ソフィアは目を見張った。
「──お姉ちゃん、大丈夫?」
動かないソフィアの袖を、簡素なワンピース姿の女の子が不思議そうにくいくいと引いている。その感覚に引き戻されるように、ソフィアはゆっくりと口を開いた。
「え、ええ……あの。これって、どうしたの?」
そこにあったのは、鳥と花の刺繍が入った小物だった。ハンカチが多いが、それ以外にポプリや小さな袋もある。少し乱れた針目のそれは、ソフィアが以前作ったものと同じ絵柄だった。
「これは、ビアンカ様がくださった刺繍を真似して、僕達で作りました。えっと、ビアンカ様は領主様の子で……」
一番歳上らしい男の子がはきはきとソフィアに説明する。ビアンカがくれた刺繍とは、つまりソフィアがかつて作ったものだろう。作ったのがソフィアだと伝わっていなくても、それを真似してくれていることが、擽ったくて少し嬉しい。
子供相手だからか、ソフィアもあまり緊張せずに話ができた。バザーは自分達の作った物だけで参加したらしい。自分を説得するように健気にビアンカを庇う子供の姿に、ソフィアは安心すると同時に悲しかった。ビアンカは、ソフィアがいなくても、自分で作ろうとはしなかったのか。
結局、今日の夜ギルバート達と一緒に食べるために、焼菓子を四個買うことにした。小銭を渡し、菓子を受け取る。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
女の子が無邪気な笑顔で言う。こんなに可愛らしく元気な子供達も、孤児だと思うと居た堪れない。ソフィアは恵まれていた。両親が死んでも、どんな生活でも、暮らす家があったのだから。
「いいえ、私の方こそ……ありがとう。皆と話せて楽しかったわ。──また来るね」
ソフィアは扉に手を掛けて振り向いた。ぱたぱたと手を振る子供達の中で、年長らしい男の子だけは綺麗な姿勢で頭を下げている。その姿が微笑ましくて、ソフィアは片手を左右に振って子供のようなさよならをした。