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令嬢は黒騎士様と領地に戻る3

 ソフィアはトランク一つに纏めた荷物をギルバートに手渡した。ギルバートはそれを慣れた手つきで馬に括り付ける。抱き上げるようにして黒毛の馬の背に乗せられ、懐かしい感覚がふと胸をよぎった。すぐにギルバートが後ろに乗り、手綱を握る。今回は二人用の鞍で、以前より安定感がある。ケヴィンとトビアスがそれぞれの馬に乗り、腹を蹴った。

 レーニシュ男爵領までは馬車で三日半、馬で二日程度の距離である。雪道での馬車は危険な為、馬で行くことになった。捜査の為に騎士団が来たことを、男爵邸の使用人や領地の者に気付かれないようにする為でもある。合同捜査の人員を特務部隊と第二小隊に分け、更にそれぞれが旅人と商人に変装して行くという念の入れようだ。第二小隊はソフィアがいるので、商材を買い付けに来た商家の娘と商人と、その護衛の体をとっている。


「ギルバート様……っ! あの、どれくらい馬の上なんでしょう?」


 不安定な揺れる鞍の上、ソフィアは不安になって聞いた。ギルバートは気を遣っているようであるが、それでいてソフィアの恐怖は理解してはいないようだ。


「そうだな。数時間毎に休憩を取る。──馬達が疲弊してしまう」


「そう、ですか。分かりました……っ」


 ソフィアはギルバートの腕に縋り付くようにして身を預けた。久しぶりの馬上はやはり恐怖の方が上回る。ギルバートが、僅かに口元を緩めた。


「──顔を上げて遠くを見ろ。馬も悪いものではない。世界が広がる」


 言われてすぐにできるものでもない。ソフィアはおそるおそる顔を上げては俯いてを繰り返す。斜め後ろを走るケヴィンが笑い、大きな声で話しかけてきた。


「思い切って顔を上げてごらんよ、ソフィア嬢。その方が怖くないから」


「ソフィア、大丈夫だ」


 ギルバートが対照的な柔らかな声でソフィアを励ます。思い切ってぎゅっと顔を上げ、景色を見渡した。


「う、わあ……っ!」


 それは見たことのない風景だった。いつの間に王都の中心地を出ていたのか、整備された道の左右には広々とした農地が広がり、そこに先日降った雪がまだ残っている。木々の茶と葉が印象的な輝く白い世界が、ソフィアの心をときめかせた。


「この辺りの農地は王城で管理しているもので、品質も良い。ここから次の街までは平原だ」


 長距離を走らせる為だろう。落ち着いてみると、前に乗ったときより速度は緩やかなようだった。ソフィアはギルバートの腕に縋りながらも、景色を楽しむ余裕が生まれている。馬車の中からでは、この広大な景色は見ることができなかっただろう。ソフィアは夢中で前を見ていた。





 それから休憩を挟みながら領地一つ分を駆け抜けた。途中の街で食事を済ませ、そこで宿泊する宿を確保する。広くはないがそれぞれ個室で、ゆっくりと休むことができそうだ。

 ソフィアはギルバートにトランクを運んでもらい、部屋で一息吐いた。分厚いコートを脱ぐだけでもほっとする。こんな旅は初めてで、ソフィアはどきどきしていた。同時に不安でもある。叔父母の罪と、男爵領の今。知れば知るほど、実際に見るのが怖くなっていく。


「ソフィア、少し良いか?」


 扉が叩かれ、ギルバートの声がした。ソフィアは立ち上がって部屋へと招き入れる。端にある椅子に向き合って座り、水差しの水をコップに注いだ。


「ありがとうございます、ギルバート様」


 ギルバートはここまでソフィアを支えながら馬を駆ってきたのだ。疲れているだろうと思ったが、ギルバートは全くそんな様子を見せない。


「いや、大丈夫だ。ティモもソフィア一人くらい問題ない」


「ティモ……?」


「馬の名前だ」


 ギルバートが少し口角を上げる。ソフィアはその名前を初めて知った。いつもギルバートが乗っている黒い馬だろう。


「では、ティモにもお礼を言わないといけませんね」


 ギルバートと話していると心が軽くなってくる。知らない場所で、ギルバートもソフィアも身分を隠す為に簡素な服を着ている。いつもと違うことだらけで、カリーナもいない。どうしても少し寂しかったのだ。

 会話の途中、ギルバートが徐にポケットに手を入れ、摘むようにして小さな何かを取り出した。


「──ソフィア、手を出してくれ」


 言われるがままに手の平を上にして両手を前に伸ばす。ギルバートは一度苦笑して、ソフィアの左手だけを手に取った。甲を上にされ、その小指に小さな指輪が通される。


「ギルバート様?」


 首を傾げると、ギルバートはソフィアの左手の甲にそっと唇を寄せた。左手の感覚が鋭敏になって、そこから熱が広がっていくようだ。


「急ぎ作らせたものだ。出掛けている間は持っていてほしい」


 細く華奢な指輪は蔦が絡むようなデザインで、ソフィアの小指にぴったりと収まっていた。上品な白金に小さな藍晶石が付いていてとても可愛らしい。


「──ありがとうございます。ですが、出掛けている間……とは?」


「それは魔道具で、魔石の原理を応用したものだ。私の耳飾りと連動して、魔力を流している。左手なら魔道具も使えるはずだ。男爵領に入れば、ずっと側にいる訳にもいかない」


 ギルバートは左耳の小さなイヤーカフを見せる。そこにもやはり小さい藍晶石が付いていた。ソフィアは目を見張った。そんな魔道具が作れることも驚きだが、それはギルバートの魔力を使えということか。


「しかし、それではギルバート様が──」


「この程度の魔力では何ともない。ただ……その。お前がその指輪を使うと、私にはお前の居場所が分かってしまう。魔力を流すという機能上、どうしても察知してしまうから──」


 ギルバートは気まずそうに目を逸らした。しかしソフィアには何が問題なのかよく分からなかった。きっとソフィアの不自由を心配してくれたのだろう。ギルバートに知られるだけだ。寧ろ少し安心できるような気さえする。


「あの。私は……気にならないです、よ?」


「──そうか?」


「はい。ありがとうございます、心配してくださって」


 これまではアンティーク調度を使うか、カリーナに手伝ってもらって生活していたのだ。確かに旅路では、暖房をつけることも入浴をすることも、水を飲むことも一人ではできないだろう。かつてレーニシュ男爵邸で不自由な暮らしをしていたことを思い出す。その頃のソフィアまでまるごと救ってくれたような気がして、心がぽかぽかと暖かくなる。ギルバートはソフィアの返事に、安心したように微笑んだ。


「慣れない馬での旅で疲れただろう。今夜はゆっくり休んで、明日に備えてくれ」


 立ち上がったギルバートに従って、ソフィアも見送ろうと立ち上がる。扉の前で、ギルバートがソフィアの髪をくしゃりと混ぜるように撫でた。その幸福で優しい感触に、鼓動が大きく鳴る。何があっても、今だけは、ソフィアは誰よりも幸せな女の子だと思った。


「ギルバート様もゆっくりお休みになってください。私も、あの……」


 ギルバートに何かできないだろうか。ソフィアよりずっと疲れている筈だ。貰った愛情の分、何かを返したい。思い付く限りのことを頭に浮かべて、自ら赤面してを繰り返す。ギルバートは黙り込んでしまったソフィアを見下ろしている。振り絞った勇気は正しいものだっただろうか。


「──……っ」


 袖を掴んで思い切って引くと、ギルバートが少し斜めになる。ソフィアはぎゅっと背伸びをしてようやく届いた頬に、唇をぶつけるようにして口付けた。ギルバートが目を丸くして固まっている。すぐに離れたのに、身体中の血液が沸騰してしまったかのように熱かった。はしたないようで恥ずかしくて、ぎゅっと目を閉じて少し俯く。ギルバートの顔が見れない。


「ソフィア」


 しばらくして呼ばれた名前は、甘く蕩けるような音だった。おそるおそる目を開けると、ソフィアに合わせて屈んだギルバートの顔がすぐ近くにある。藍色の宝石のような瞳に見透かされるようだ。慌ててまた目を閉じると、くつくつと喉の奥で笑う音が聞こえ──すぐに唇にゆっくりと柔らかなものが触れた。角度を変えて何度も重ねられるそれに、ソフィアは息の仕方が分からない。触れ合っているだけなのに、少しずつ意識がふわふわとしてくる。


「──ギ、ルバート……様っ」


 口付けの隙間から声を上げると、ギルバートがゆっくりと離れていった。ソフィアは荒く呼吸をする。満たされていく酸素と共に、顔に熱が集まっていく。


「おやすみ、ソフィア」


 ぐしゃぐしゃと雑に撫でられ、柔らかい髪が乱れる。慌てて両手で頭を押さえると、ギルバートはすぐにソフィアから手を離して部屋を出て行った。

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