令嬢は黒騎士様に拾われる6
「──君はもう少し、女性の扱いを学んだ方が良いね」
「そうですか」
ギルバートは眉間に皺を寄せて短く返した。マティアスは執務机に肘を突き、両手を組み合わせている。そう言われても、令嬢と触れ合う機会など滅多にないギルバートには無茶なことだ。マティアスは嘆息したが、ギルバートは不本意に思う。
「そういうところだよ。私にとって付き合い易いのは有り難いが、言葉が足りないから皆に勘違いされるんだ」
「関係ない他人にどう思われても、あまり気にしませんので」
ここは王太子の執務室だ。今は人払いをしており、マティアスとギルバートしかいない。ソフィアをフォルスター侯爵家の馬車に乗せ、馬を戻してすぐ二人はこの場所に来た。王城内とはいえ、安心して密談をできる場所は限られている。
「──それで、ソフィア嬢から何も見えなかったとは、どういうことかな? ギルバートよりも魔力の強い貴族が、この国にいるとは思えないが」
「いいえ、殿下。彼女はおそらく、魔力が強いのではありません」
ギルバートは僅かに視線を落とした。近衛騎士団第二小隊副隊長兼魔法騎士──それがフォルスター侯爵であるギルバートの今の役職だ。王太子であるマティアスの護衛が主な任務だが、ギルバートは魔法騎士として前線に出ることや、被疑者の取り調べを行うこともある。それは、その類稀なる魔力量と剣の腕のためだけでなく、他人の魔力の揺らぎを読み取ることができる能力のためでもあった。魔力の揺らぎは時に映像となり、音声となり、触れた相手の秘密や想いを知ることができる。会話で誘導すれば、欲しい情報を引き出すことも容易い。ギルバートはソフィアに触れた右手を広げた。
「──ギルバート?」
マティアスが探るように見ているのを分かっていて、ギルバートは無言のまま、ソフィアの手首を掴んだ感覚を思い出していた。驕っていなかったと言えば嘘になる。幼い頃から他人の感情を読み取ることができるのは当然で、その能力を周囲の人間に恐れられてきた。人に触れて、ただ肌の温度とその手首の細さだけを感じたことは、ギルバート自身が思っていた以上の衝撃だった。
「一体何だと言うのだ」
「失礼しました。……おそらく彼女には、魔力がありません」
「魔力が? ──そのようなことが……」
マティアスは目を見張った。ギルバートの言葉が予想外だったのだろう。この世界では、魔法を使えるほど魔力が多くかつ上手く扱える人間はそう多くない。それでも、一般的に魔力は血肉と同様にあって当然のものだと考えられていた。たとえ魔法犯罪者への刑罰であっても、魔力低下以上の措置を取ることはない。完全に失うことは、生活が不自由になることと同義だからだ。
「私も驚きました」
「ギルバートが言ったのでなければ、疑ってかかるところだな」
「恐れ入ります」
ギルバートは表情を動かすことなく言う。マティアスは平然としていると思っているのだろうが、内心でギルバートはとても動揺していた。年若い貴族の令嬢が、ぼろぼろと言って良いほどの姿で森で眠っているなど、あり得ないことだ。まして魔力がないのなら、より大切に扱われていて然るべきだ。今の時代、魔道具を使用しない職業など皆無と言って良いのだから。
「──それで、ソフィア嬢の荷物は」
ギルバートは足元に置いていたトランクを見下ろした。側には踵部分に血の付いた靴がある。
「こちらに。殿下が中を確認しますか?」
「いや、女性の荷物を勝手に開けるのは忍びないよ。念のため、何が入っているかだけ確認してくれ」
ギルバートは頷き、トランクに手をかざした。魔力を溜めて浸透させるように注ぎ込めば、脳内に直接トランクの中の映像が浮かび上がる。ざっと中身を確認すると、ギルバートはすぐに手を払った。
「──服が入っていますね、慌てて詰め込んだようです。他に本が一冊と、小銭が少し……」
「ほう、一応金は持っていたのか」
少し表情を和らげたマティアスに、ギルバートはその金額を言うのを止めた。パンを三つも買えば無くなってしまう程度の小銭は、子供のお小遣いのようだ。
「はい。それで、如何致しましょうか」
ギルバートは視界の端に映るソフィアの靴を見ないように意識し、マティアスに尋ねた。マティアスはギルバートの心など見透かしているかのように、微笑みを浮かべて頷く。
「ギルバートは午前休にするよ。午後の合同訓練から出勤してくれれば大丈夫だから、ソフィア嬢を連れ帰ってあげるといい。こちらからも医師を向かわせよう」
「──ありがとうございます」
ギルバートは姿勢を正して一礼すると、片手でトランクと靴を持ち、執務室から出た。馬車に残してきたソフィアが気掛かりだった。ギルバートは、魔力も金もなく、最低限の荷物だけを持って彷徨っていたソフィアの傷が、まるでソフィア自身の苦痛を表しているように感じていた。心が見えない初めての相手のその不確かさに、不安を覚える。
早足に王城の廊下を歩くギルバートは、周囲の視線に気付いていなかった。しかし、無機質な美貌と魔力を活かした冷徹な仕事ぶりから、陰で『黒騎士』と呼ばれているギルバートが、厳しい表情で急いでいるだけで、すれ違う人々は慌てて端に避けて道を譲る。後で何か事件か特務があったのではと噂になるのだが、ギルバートには一切の興味がなかった。