令嬢は黒騎士様と婚約する8
ギルバートは一人残った会議室で深い溜息を吐いた。マティアスに頼んだ通り、特務部隊と第二小隊の合同捜査は実現した。第二小隊からギルバートの他に二人と、特務部隊から四人。連日打ち合わせを重ねながら、主に王都の商人や貴族達を調べている。
捜査の進展は予想されていたより早かった。違法商品の流通経路はほぼ特定されてきており、ここ数年のレーニシュ男爵の不自然な金回りの良さが容疑を裏付けている。後は実際に男爵領へ行き、生産拠点を確保すれば良い。
問題はもう一つの事件だ。そもそも第二小隊が投入されたのは、こちらの事件の捜査が目的だった。しかし事件そのものが五年前な上、証拠品も保存されていない。追求は困難を極めていた。やはり直接領地のレーニシュ男爵邸に行き、事件当時の使用人を当たるのが良いだろうか。
「──レーニシュ男爵領か」
ソフィアにはまだ伝えていない事件だ。いつまでも黙っていられる訳ではないと分かっていて、口にすることはできずにいた。
しかし伝えなければならないだろう。以前見せてもらった、ソフィアが持っている前男爵夫人の首飾り。あれが数少ない証拠品の一つになるとギルバートは感じていた。
思わず額に手を当てる。こうなってくると、エルヴィンとクリスティーナが早く来てくれて良かったと思う。お陰でソフィアを正式にギルバートの婚約者という立場にすることができた。既にマティアスへの報告も済ませており、婚約者として公示されている。それだけで守れるものでもないだろうが、侯爵家の後ろ盾があると思わせることができれば多少は違うだろう。
「副隊長、こちらにいらっしゃいますか」
扉が数度叩かれ、外からギルバートを呼ぶ声がした。第二小隊の隊員だ。この後は予定を入れていなかったはずだが、何かあったのだろうか。
「何だ?」
それまでの思考が、無機質な声に乗った。厳しく聞こえただろうかと少し反省する。
「──ね、いたでしょう?」
「ですが、こんなに中まで入ってもよろしいのですか?」
「良いの良いの。一般の見学だって受け入れてるし、廊下に機密は置いてないからさ」
「そうでしたか……。ご親切に、ありがとうございます」
廊下から聞こえてきたのは、この場には似つかわしくない、鈴を転がしたような声だった。隊員の声も心なしか弾んでいる。ギルバートはまさかと目を見開き──数歩で扉の前まで移動した。がちゃりと勢いよくノブを引く。そこにいたのは、ギルバートがその声を聞き間違えるはずのない、ただ一人の婚約者だ。いつもより少し華やかな、上品な外出着に身を包んでいる姿はとても愛らしい。
「──ソフィア、何故ここにいる?」
まさか特務部隊が勝手に連行してきたりしたのではないか。眉間に皺を寄せたギルバートに、ソフィアは慌てたように手を振った。
「ギルバート様、お疲れ様です……っ。お義父様からのお遣いを頼まれて参りました」
差し出された手には、見慣れた印璽を使って封がされた手紙があった。それは確かにフォルスター侯爵家の者が書いたことの証明だ。ギルバートは心配が杞憂で済んだことに安心し、手紙を受け取った。
「ありがとう。……ここまでは一人で来たのか?」
「いえ、お義母様が王妃様に会いに行かれるとのことで、ご一緒させて頂きました」
エルヴィンとクリスティーナがタウンハウスにやってきて、もう二週間になる。滞在予定は一ヶ月間だ。二人は領地にいた分を取り戻すように、社交に精を出していた。そしてソフィアも二人──特にクリスティーナと関わることで、随分と明るくなったように思う。たまに連れられて外出しているとは聞いていたが、まさかここにやって来るとは思わなかった。
「そうか。一人ではなくて良かった」
今の世情で一人きりで出掛けさせるのは心配だった。いつもギルバートが付いている訳にもいかない。
「ご心配、ありがとうございます……」
頬を染めて上目遣いにこちらを窺うソフィアはとても可愛いが、横でそれを見てにやにやしている隊員が視界にちらつく。そして、エルヴィンがそれを承知でソフィアをここに来させたことも分かっていた。
「それでケヴィン、お前は何をしている?」
「あ、見えてました?」
にかっとギルバートに笑顔を向けてきたのは、合同捜査の人員でもある第二小隊の隊員のケヴィンだ。ギルバートがこちらに加わる以上、隊長のアーベルは本隊に残る必要がある。腕の立つ隊員を合同捜査に加えてくれたことは、純粋にありがたかった。
「最初からいただろう」
当然のことを口にすれば、ケヴィンは複雑そうな表情をした。
「あ、いえ、最初からいましたけど。僕、視界に入れられてないかなーと思いまして」
「そうか。それで、何故ここにいる?」
先に隊の執務室に戻っていたのではなかったか。ギルバートが聞くが、それに反応したのはソフィアだった。
「あの……この方は、助けてくださったんです!」
ケヴィンを庇うような発言は少し気になったが、助けるとはどういうことか。ギルバートはソフィアに顔を向けた。
「私、何処に行けば良いか分からなくて。門を抜けた先に、建物がいっぱいありまして……」
迷ったことが恥ずかしいのか、ソフィアは頬に手を当てる。ギルバートにとっては、初めての外出で怯えていたことを思えば、その成長は眩しいほどだ。ましてこの辺りは、似た作りの建物が多い。
「それでですね。僕が執務室に戻ろうとしたら、何かすごい人集りができてまして。とりあえずこの方を引っ張り出して、ギルバート様のところにお連れしました、って訳です」
やはり囲まれていたかと、ギルバートは小さく嘆息した。最近は特にクリスティーナの土産の服と勉強熱心なカリーナの努力もあり、ソフィアは益々美しくなっている。一人きりで近衛騎士団の敷地に放り込んだクリスティーナは何を考えているのかと、少し恨めしい。
「そうか、ありがとう。しかし、そうまでして届けたい手紙とは──」
「ギルバート様?」
今エルヴィンは同じ家に暮らしている。帰れば会えるのだ。話ならそこですれば良い。婚約するにあたって、エルヴィンにはレーニシュ男爵夫妻の罪について話していた。態々ソフィアをここに来させるということは、何か意味があるのだろう。
「──応接室に行く。ケヴィン、手配を」
応接室はそれぞれ個室になっていて、外部の人間と話したり、隊内で内密な話をするときに使われている。ケヴィンはギルバートの指示に、一礼して場を離れた。
「ソフィアもこのまま良いか?」
ギルバートは本当はソフィアを巻き込みたくなかった。しかし社交の場に出ているエルヴィンとクリスティーナがソフィアをここに寄越したことには、意味があるのだろう。
「はい。あの──一人にしないでください……っ」
ソフィアがギルバートの上着の裾を控えめに掴んだ。一人で知らない場所に来て、心細い思いをしたのだろう。ギルバートは緩みそうになる口元をきゅっと引き締めて頷いた。