令嬢は黒騎士様と婚約する7
数ある中からカリーナと共に選んだのは、桃色のワンピースだった。袖がふわりと広がっていて、袖口とスカートの裾からは同素材のレースが覗いている。明るい色の服を着るのはあまり慣れていなかったが、可愛いと言って送り出してくれたカリーナを信じて前を向いた。
雑談を交えた食事を終えた後、ソフィアは応接間へと呼び出された。先にエルヴィンとクリスティーナがいて、テーブルの上には上質な紙が二枚とペンが置かれている。
「ソフィアさん、遅い時間にありがとう」
エルヴィンが自然な微笑みで言う。ソフィアもまた、それに笑みを返した。緊張が表情に出てしまっていないだろうか。
「いえ──私の方こそありがとうございます」
これはギルバートとソフィアの婚約のための場だ。魔道具で煌々と照らされた室内はソフィアにはあまり馴染み深くなく、妙に神聖な雰囲気がある。
すぐにギルバートもやってきた。まだ着替えをしておらず、騎士服姿のままだ。ソフィアはその服装のギルバートが好きだった。仕事中の姿を垣間見ているようで、側にいると落ち着かなくなる。
「父上、母上。今日はありがとうございます」
ギルバートが礼儀正しく頭を下げる。エルヴィンが首を左右に振った。
「いや、構わないよ。二人のための場だ。──ソフィアさんも、後悔はないね?」
誓約書には既にエルヴィンとクリスティーナの署名が入っていた。ギルバートが左手でソフィアの右手を握る。
「ソフィア」
名前を呼ばれ、ソフィアは最後の躊躇いを取り払った。ギルバートを見上げて一度頷く。繋いだ手をゆっくりと解いて、ソフィアはテーブルへと歩を進めた。
「はい、後悔はありません。私はこの先、ずっとギルバート様のお側におります。ご迷惑をお掛けすることもあるでしょう。ですが……ですが、私はその分まで、ギルバート様を愛します。お義父様、お義母様。証人になってくださり、認めてくださり──ありがとうございます」
ペンを手に持ち、署名欄に名前を書き入れる。ソフィア・レーニシュという名前を、あとどれくらい名乗るのだろう。今のレーニシュ男爵家は、既に叔父と叔母、そして従姉妹のビアンカのものだ。ソフィアにとっては両親との思い出のある大切な故郷だが、きっとその当時とは様々なことが変わってしまっているだろう。心残りは、両親の墓参りを一度しかできなかったことだ。二年目以降は叔父母は墓参りなどすっかり忘れていて、一人で男爵邸を抜け出しても、代々の領主の墓がある丘までは辿り着けなかった。
それでも、せめてこれから幸せになることで、亡き両親も安心してくれるだろうか。信頼できるギルバートと共に未来を見ることを、許してくれるだろうか。
「──ギルバート様」
ソフィアはペンをギルバートに手渡した。ギルバートはそれを受け取ると、迷いのない所作で署名を入れていく。
「ソフィアを幸せにする。約束しよう」
ソフィアはその筆跡がいつか貰ったカードと同じだと、口には出さずに思った。侯爵邸に来たばかりの頃、部屋に置かれていたカードが直筆だったのだと、今になって思い知る。
「ギルバート、婚約おめでとう。結婚はどうするんだ?」
エルヴィンが二枚の完成した婚約誓約書を丸め、それぞれを革紐で縛りながらギルバートに問いかけた。
「次の春にと考えています。叶うなら、領地の教会で、と」
「まぁ! 貴方が言うのならあの教会ね。あそこは春は特に綺麗だものねー。きっとソフィアちゃんも喜ぶわ!」
クリスティーナが笑みを浮かべて頷く。ソフィアはギルバートの言う教会が何処だか分からず、首を傾げた。
「──お前にも見せたいと思っていた場所がある。ソフィアが嫌でなければ、そこが良いと思っている」
ギルバートがソフィアの表情を窺うように覗き込む。結婚の場所を勝手に決めていたことに罪悪感があるのだろうか。しかしソフィアには親しい友人もカリーナの他になく、逆に王都の中心で盛大に行うのは躊躇われた。ギルバートが綺麗な景色を共に見たいと思ってくれていることが嬉しかった。領地と言ったのも、ソフィアを思い遣ってのことだろう。そう思えば、自然と笑顔になっていく。
「はい、どちらへでも参ります。……ギルバート様、ありがとうございます」
「そうか」
ギルバートもまた甘く微笑む。クリスティーナが驚いたように目を見張って、何も言わずにエルヴィンへと視線を送った。エルヴィンが口を開く。
「ソフィアさん、これが貴女の分の誓約書だよ」
丸めて縛られた紙が渡された。厚みのある紙が、ソフィアの手の中でその存在を主張している。胸元へと引き寄せ、優しく抱き締めた。
「私を受け入れてくださって、ありがとうございます。期待に応えられるように……頑張ります」
「ソフィアちゃん。私達が期待しているのは、ギルバートを好いていて、側にいてくれることだけよ」
気負って言ったソフィアに、クリスティーナが柔らかな声音で言う。顔を上げると、エルヴィンが誓約書をしまっていた。きっとそのまま領地に持ち帰るのだろう。
「──はい。それでしたら……自信があります」
ソフィアがこれまで口にしたことのない強い言葉だった。滲んでいく視界の中、クリスティーナがソフィアの頭を撫でてくれる。その暖かさがまるで本当の母親の優しさのようで、溢れてしまいそうになる涙をぎゅっと堪えた。