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令嬢は黒騎士様と婚約する3

 ソフィアはギルバートの帰宅を待って、その私室にやってきた。カリーナを侍女として付けてもらえたとはいえ、ずっと側に置く訳にはいかない。今夜もいつも通りギルバートの部屋の浴室を借りたソフィアは、濡れ髪のまま脱衣所を出る。


「──ソフィア、おいで」


 ギルバートがソファーの隣を手で指し示す。ソフィアは慣れた動作で隣に座った。いつものように手が繋がれるかと思うと、代わりに優しく抱き寄せられた。背に回った手が髪に触れ、ふわりと乾かされる。


「ありがとうございます……」


 改めて想いが通じ合っていることを感じ、頬が染まっていく。優しい魔法は本来の使い方ではなく、ギルバートの優しさがソフィアを包んでくれているような気がした。


「今日は何があった?」


 ギルバートはいつも通りの質問をした。何度も繰り返された変わらないやりとりに安心する。ソフィアもまた、いつもと同じように答えた。


「今日は客間を使って良いと仰ってくださったので、一日ゆっくりさせて頂きました。カリーナを侍女に付けてくださって、ありがとうございます。──それで、あの」


 ソフィアは少し身体を離して、ポケットから一枚の布を取り出した。練習して練習して、やっと渡せると思えた一枚だ。


「やっとできました。受け取って頂けますか?」


 それはシルクのハンカチだった。滑らかな白い生地には藍色の糸でギルバートのイニシャルが刺繍され、全体を縁取るように銀糸が細やかな模様を描いている。今日やっと刺し終えた自信作だ。ギルバートは身体を離し、両手でそれを受け取った。


「これは」


「以前お約束していた刺繍です。いかがでしょうか……?」


 材料は、ギルバートに以前買い物に連れて行ってもらったときに購入したものだ。随分時間がかかってしまったが、初めて貰った給料で、感謝の気持ちを伝えたかった。ギルバートはしばらくそのハンカチを広げてまじまじと見る。やがて右手で口元を覆い、ソフィアから視線を逸らした。


「──ありがとう」


「えっと、あの……お気に召されませんでしたか?」


 ソフィアはギルバートの反応に不安になった。好みのデザインではなかっただろうか。やはりもっと綺麗な物の方が良いだろうか。

 ギルバートはソフィアの声に顔を上げ──口元を覆っていた手を外した。その手が、すぐにソフィアの頭を柔らかく撫でる。上目遣いに表情を窺うと、ギルバートは目を細めて笑みを浮かべていた。少し目尻が赤いようだ。


「いや、とても嬉しい。──お前は刺繍が上手いんだな。大事に使わせてもらう」


 ソフィアは嬉しかった。ギルバートに褒められたことも、大事に使うと言われたことも。


「嬉しいです。あの、ありがとうございます」


 思いのままに言葉を口に出すと、ギルバートは首を傾げた。どうしたのだろうと、ソフィアも同じように首を傾げる。


「ソフィアが礼を言うことはない」


「ですが、ギルバート様が使うと言ってくださって、嬉しかったです」

 

 だからありがとうございます、と言えば、ソフィアは自然と笑顔になった。ぽかぽかと心の奥が暖かくて、陽だまりの中にいるみたいだ。ギルバートはハンカチを丁寧にテーブルに置き、またソフィアを引き寄せてその腕の中に閉じ込めた。





「これからのことだが──」


 ギルバートが話し始めたのは、それからたっぷり十分以上が経ってからだった。やっと離された身体に、ソフィアはすっかり体温が上がってしまっている。真面目な話を始めようとしているギルバートに意識を向けるのが精一杯だ。


「今後は今日と同じ客間をお前の部屋として使ってくれ。これまでの部屋にある荷物は、明日運べるように人を遣るから」


 その言葉にはっと現実に引き戻された。それではまるで邸内引越しだ。確かに使用人部屋を使い続ける訳にはいかないだろうが、荷物の移動まで手伝ってもらうのは気が引けた。


「一人で──あ、カリーナと二人で大丈夫です。あまりお手間を掛けるのは申し訳ないですからっ」


「いや、構わない。調度の入れ替えもあるのだから、男手は必要だ」


 最初にギルバートから貰った、壁に取り付けられた青い花をモチーフにした明かり。あれは確かに、自分達だけで設置するのは難しいだろう。


「……分かりました。ありがとうございます」


 少しでも他人の手を煩わせないように、なるべく早く他の物を運び出してしまおうとソフィアは決めた。ギルバートは構わず話を続ける。


「それと今日、私の父と母に手紙を出した。数日中に返事があるだろう」


「──大旦那様と大奥様に?」


「ああ。お前と私の婚約誓約書の件だ」


 はっきりと言ったギルバートに、ソフィアは目を見開いて固まった。婚約の誓約書は二枚作成し、それぞれの家で保管するものだ。貴族同士では作成するのが当然だった。ソフィアも幼い頃に一度署名したことがある。そしてそれは、きっともうこの世界にはないだろう。ギルバートが、ソフィアの躊躇いを察したようにぎゅっと手を握った。


「大丈夫だ。私は自分の意思で書くし、婚約期間を長引かせるつもりもない」


 ギルバートの瞳には覚悟の色が浮かんでいる。それはソフィアの内心の不安を見透かすようであり、暗闇を導くようでもあった。だからこそ、ソフィアも真摯に向き合わねばならない。


「ですがギルバート様。私の──私の叔父と叔母は」


 ソフィアは、夜会の日にギルバートが言ったことが気にかかっていた。捜査権というのは、悪事を暴くためにあるものだ。あの時、確かにギルバートは怒っていた。ソフィアの言葉にギルバートは僅かに目を伏せる。


「──詳しくは話せないが、彼らはある犯罪に関わっているようだ。これから追及することになるだろう。だが私は、それでソフィアを離すつもりも、何かを諦めるつもりもない」


 言い聞かせるようにゆっくりとした口調で、ギルバートは続ける。改めて正面から視線が合わせられる。それはもう逸らされなかった。


「だからずっと私の側にいると誓ってほしい。──誰に何を言われても、私にはお前がいなくなる以上に困る事などない」


 藍色の瞳に吸い込まれてしまいそうなソフィアを、その言葉が現実に縛り付けた。優しいギルバートがこれ以上何を背負おうとしているのか、ソフィアには完全には分からないままだ。ならば、せめて何かを返したい。今のソフィアにできることは、あまり多くはないだろう。


「──はい、ギルバート様。私も私の意思で、書かせて頂きます」


 婚約の誓約書に署名をすることで、その誓いになるだろうか。今度こそ破られることがない約束を結びたい。分不相応だと思われないように頑張りたい。ソフィアが繋いでいる手を握り返すと、ギルバートは表情を緩めて微笑んだ。

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