令嬢は黒騎士様と婚約する2
その日、ギルバートはこれまでにない程に居心地が悪かった。昨夜の夜会での出来事──ギルバートがデビュタントの令嬢をエスコートし、未来の妻だと言ったことが、王城の貴族間ばかりでなく、近衛騎士団まですっかり伝わっていたのだ。まさかこれほど早いとは思っていなかった。ギルバートは自身の読みの甘さを痛感した。
「──それで、お前の愛猫は結局女の子だった訳だ」
まさにその現場を目撃していたアーベルが、にやにやとギルバートに絡んでくる。周囲にいる隊員達も、興味深げに話に耳を傾けていた。どうしても出てしまう溜息を隠す気にもならない。
「隊長は見ていたでしょう」
「いや、あんな子どこに隠してたんだと思ってなぁ。もっと早くデビューしてたら、とっくに売れてるぞ」
確かに昨日のソフィアはとても可愛らしく、美しかった。しかしそれだけで語られるのも気に入らない。今日は行く先々で似たようなことを言われ、真面目に答える気もなくなっている。真実をありのままに話すつもりもない。暫し悩み、ギルバートは最も短い言葉を選んだ。
「──家ですが」
「はあぁ!? なんだその理屈!」
アーベルが大仰に驚いて見せた。周囲の隊員達も脱力しているようだ。逆に何人かは勢いを増して声を上げる。
「副隊長。家に隠してたって、それはそうでしょうけれど、納得いきませんっ!」
「そうですよ。家にいたら……あ! だから副隊長、最近ずっと帰りが早かったんですか?」
外の居心地が悪くて逃げてきたはずの第二小隊の執務室にも、生暖かい空気が漂う。ギルバートは目を逸らした。
「──殿下の護衛に行ってきます」
せめてマティアスの側なら、他に誰もいないだろう。特に今日は相談すべきこともある。そそくさと執務室を出ようとしたギルバートを、アーベルが呼び止めた。
「ギルバート。──おめでとう、大事にしてやれよ!」
まだ正式に婚約をした訳でもないが、その言葉は素直にありがたい。勿論、結婚をしないつもりは少しもない。ソフィアを守るためにもと、決めたことだ。
「ありがとうございます、隊長。ついでに噂も落ち着けてくださると嬉しいです」
「それは無理だな!」
アーベルはにっと口角を上げ、悪戯な笑みを浮かべた。ギルバート自身も本気で言った訳ではなかったので、小さく嘆息しただけで踵を返す。
第二小隊はマティアス付きであるため、貴族の子弟も何人かいる。彼らは昨日の夜会に出席していただろう。何か事情があることを察していながら、それには触れない彼らに内心で感謝した。
マティアスのいる王太子執務室に行くと、入れ替わりにそれまで室内で護衛をしていた隊員が出て行った。
「なんだ。早いね、ギルバート」
頬杖をつきながらペンを走らせていたマティアスが、苦笑混じりに言う。
「申し訳ございません」
正直に言えば居場所がなかったのだ。王城内のどこにいても、これまでになかった種類の視線に晒される。畏怖や憎悪の感情を向けられることには慣れていた。しかしこれはそういったものではない。例えるならば、珍しい動物でも見るようなものだろうか。
「さすがのギルバートも、今日は居心地が悪いか。──いいよ、話を聞こう」
マティアスはペンを置き、書類を机の端に寄せた。ギルバートは一礼し、口を開く。
「昨日の夜会の件です。レーニシュ男爵夫妻ですが、違法商品の生産に関わっている可能性があります。半年程前に逮捕されたバーダー伯爵の子息とも、関わりがあったようです」
バーダー伯爵家には数週間前に特務部隊の調査が入っており、当主が外患誘致の罪で逮捕されていた。その息子は、違法商品の取引を行い既に牢の中だ。
「あれは人体に影響があるからと、国内での流通と生産は禁止しているはずだ。──だがそれが事実ならば、特務部隊の管轄ではないか?」
取引された違法商品は、使用することで強い快楽を得ることができ、興奮状態になる代わりに強い依存性があるという──麻薬の一種だ。これは生産方法が特殊で、普通に育てれば害のない草を日光に当てずに育てることでその特性を得るという。生産場所が屋内になるため、発見が難しいと言われていた。
特務部隊は治安維持が職務だ。バーダー伯爵家が関わっている以上、第二小隊が下手に手を出して双方の仲を悪化させることは避けるべきだった。
「仰る通りです。しかし──」
ギルバートは唇を噛んだ。そうするべきだろうとは分かっている。最も平和的な解決方法だ。しかし、ソフィアのためにもそうはしたくない理由があった。
「……らしくないね、ギルバートが個人的な事件に執着するなんて。どうした、ソフィア嬢の血縁だからと情でも湧いたか?」
マティアスが軽い口調で言う。言葉に反して視線は鋭く、ギルバートを推し量るようだ。マティアスがこのような態度をギルバートに見せることは珍しかった。男爵夫妻に情などないが、ソフィアには辛い思いをさせたくない。ギルバートは素直に口を開いた。
「現レーニシュ男爵夫妻は、少なくとも五年以上前から犯罪に手を染めています。そしてそれは、かつての当主達には隠匿されていました」
ギルバートは正面から挑むようにマティアスを見た。マティアスは目を見開き、眉間に僅かに皺を寄せる。言外の意味に気付いたのだろう。ソフィアの両親が当主だった頃から犯罪が行われていたのなら、ソフィアは重要参考人だ。ソフィアにどう伝えるべきか。ギルバートはずっと悩んでいた。
「──私はこの事件を特務部隊に任せて、ソフィアを悲しませたくはありません」
特務部隊に全権を委ねては、前レーニシュ男爵夫妻の一人娘であるソフィアに直接事情を聞きに行くだろう。治安維持という大義名分の上様々な特権を得ていることもあり、特務部隊の事情聴取は他のどの隊より威圧的である。それをギルバートは身をもって知っていた。相手が容疑者でなくとも、そのやり方は変わらない。
「そうか……」
マティアスが薄く笑って溜息を吐いた。
「明日、また時間を取ろう。それまでに父上と話して方針を決めてくるよ。──それと、ギルバート。今の話はつまり、そちらもそうであるということかな?」
明言を避けたマティアスに、ギルバートは無言のまま頷く。マティアスは眉間の皺を深めた。言葉にしていないながらも、その真意は伝わっているようだ。
「それならばそちらの事件は第二小隊が捜査をしてもおかしくはない。悪い結果にはならないと思うよ」
「ありがとうございます」
口では礼の言葉を言いながら、ギルバートの心は全く晴れやかではなかった。せめて少しでも早く事件を解決してしまいたい。
「──それよりも、ギルバート。婚約おめでとう、先代侯爵夫妻もさぞお喜びだろう」
マティアスが、雰囲気を変えるように急に明るい声を出した。ギルバートはそれに反応しきれず、咄嗟に表情を消す。
「ありがとうございます。今朝知らせを出しましたので、数日中には返事があるかと思います」
あの両親のことだから、きっと喜び騒ぐだろう。しかし正式に婚約をするためには証人が二人必要だ。ソフィアの親族が使えない以上、ギルバートの両親が賛成してくれねば困る。
「そうか。──少しでもソフィア嬢が前を向けると良いね」
マティアスの言葉には心からの親愛の情が滲み出ていた。ギルバートもやっと表情を緩める。明日にならねば何もできないが、それでも少しだけ希望が見えたような気がした。