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令嬢は黒騎士様に近付きたい7

「ギルバート様、ありがとうございます」


 季節はすっかり冬だ。四阿の周囲の花壇にはノースポールの花が敷き詰められるように咲いていて、夜を少しだけ明るく見せている。外に出る者など二人の他にはいないだろう。しかし四阿の中だけは、いつかと同じ魔法のお陰でとても暖かかった。


「いや。──連れ出してすまない」


 夜会会場から漏れる明かりと騒めきがここまで届いてくる。さっきまでそこに自分もいたことが信じられないほど、この場所は穏やかな空気で満ちていた。


「いいえ。私、嬉しかったです」


 まるで一夜の夢のような幸福だと思う。綺麗なドレスを着てギルバートの隣に立ち、社交界デビューをし、二人で踊ることまでできた。贅沢すぎる幸せは起きたら消えてしまうような気がして、少し寂しい。


「ならば何故そんな顔をする?──言わねば分からない」


 ギルバートは正面からソフィアを見つめ、頬に触れた。近くから探るように見つめられて、目のやり場に困る。そんな顔とはどんな顔だろう。ギルバートのその言葉にはいつだって他意はないのだ。言わなければ分からない。言ってほしいと、知りたいと思ってくれているのだろうか。ソフィアはおずおずと口を開いた。


「私……夢のようだと思っておりました。ギルバート様の隣にいられるこの時間が、朝になれば醒めてしまうようで、寂しいと──」


 素直に言葉にするのは恥ずかしかった。視線を下げてギルバートから目を逸らす。ギルバートの手が頬から離れ、ソフィアの手を握った。


「夢でなければ寂しくないか?」


「ギ……ルバート、様?」


 ソフィアは顔を上げた。言葉の意味が分からずに首を傾げる。しかし、なおもギルバートは問いを続けた。


「私の隣にいる今が、朝になっても続くなら──ソフィアはずっと笑っていられるか?」


「そんな……っ」


 驚きに目を見開く。ギルバートはソフィアが思った以上に真剣な表情をしていた。そこに感じられる本気に、喘ぐように息をする。ソフィアに言葉の続きを促すように、藍色の瞳は逸らされなかった。


「私には、過ぎた願いです。ギルバート様の隣にはきっと、もっと素敵な方が似合います。侯爵家に相応しい……ご令嬢が──」


 話している内にも、視界が滲んでいくのが分かった。ここで泣いてはいけないと、奥歯を噛んで堪える。ギルバートがソフィアの手をぎゅっと握った。少しずつ、溢れそうだった涙が引いていく。


「私はそんなものを望んでいない。──ソフィア、お前には私と添うよりも穏やかな幸せが似合うと、何度も考えた。私は他人を幸せにできる人間ではない。お前を、危険に晒すかもしれない」


 話しながら自分を否定するギルバートに、ソフィアは必死に首を左右に振った。そんなことはない。ギルバートはソフィアに、たくさんの幸せをくれた。レーニシュ男爵邸にいた頃は知らなかった、たくさんのことを教えてくれた。そしていつだって前を向く力をくれた。想いが溢れて言葉にならない。


「だが、私はソフィア──お前が欲しい」


 息を飲んだ。本当に夢ではないだろうか。鼓動が耳元で鳴っている。しかし繋がれた手の温度と確かな感触が、今を現実だと教えてくれていた。


「わ、私──」


 藍色の瞳が揺れた。そこに映り込む自身の姿は、やはり頼りなげに見える。それでもギルバートが望んでくれるのなら、側にいることを許されるのなら。強くあろうと決意した。


「ギルバート様のことを……お慕いしております」


 どうにかそれだけ言葉にする。押し殺し続けた言葉はいとも短く、口にすればすぐに夜の闇の中に消えていった。顔に熱が集まっていく。ギルバートが、優しく包み込むようにソフィアを抱き締めた。ソフィアは初めてその背中に腕を回して返す。広い胸に身体を預けると、自分のものではない鼓動の音がした。


「──ソフィア、すまない。私はもう、お前を離すことはできない」


 切実な響きをはらんだ言葉が、ソフィアの耳元で囁かれる。


「愛している」


 とくんと大きく胸が鳴った。それは両親が死んでしまってから、ソフィアが誰にも言われることがなかった愛の言葉だ。


「離さないでください。どうか、ずっとお側に置いてください……っ」


 一度は堪えたはずの涙が、ぽろぽろと零れていく。それは、ソフィアが初めて自分自身のために言った我儘だった。ギルバートのためでも、他の人のためでもない、自身のために望んだ幸せだ。ギルバートは少し身体を離して、指先でそっと涙をすくい上げた。


「ありがとう」


 ふわりと微笑んだギルバートが、ソフィアの髪を崩さないように優しく撫でる。近付いてくる距離に、ゆっくりと目を閉じた。一瞬だけ唇に触れた柔らかな感触は、すぐに離れていく。それが口付けであったと理解したときには、ソフィアはまたギルバートの腕の中にいた。


「──夜会に戻りたくないな」


 ギルバートが苦笑混じりに呟いた。その声音が面白くて、ソフィアもくすりと笑い返す。それまでの甘やかな時間から、現実に引き戻されたようだった。それでもなお、胸を満たす幸福感が薄れることはない。


「そうですね、ギルバート様」


 不思議な感覚だった。今ならどんな視線も苦痛も怖くない。これが想いが通じ合うということなのだろうかと、初めての感覚にソフィアは戸惑った。

 ギルバートはソフィアから身体を離すと、立ち上がって左手を差し出した。


「だが、初めての夜会であまり早く帰るのもまずいだろう。──お前は私の妻になるのだから」


 正面から言われた言葉に、ソフィアは思わず目を見張った。重ねようと伸ばしかけた手が、途中で止まる。


「……妻、ですか?」


 何も持たないソフィアが、頷いて良いのだろうか。逡巡していると、ギルバートがゆっくりと言葉を続けた。


「悩むことはない。私はソフィアがいてくれれば良い。全力で守ると誓った──あの言葉は違わない。だから、この手を取ってくれ」


 ギルバートはじっとソフィアを見つめている。ソフィアは引き寄せられるように、その手に手を重ねて立ち上がった。いつまでもギルバートの側にいられるのなら、今よりもっと強くなることも、頑張ることもできる。

 誰も見ていない庭園の、ここだけが暖かい四阿の中、二人は密やかに未来を誓い合った。

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